シュテルンビルトの夜景を見下ろしながら、ウェイターに案内された先のテーブルにつく。

目の前に向かい合うなまえちゃんは普段より大人しく、じっと夜景を見つめていた。黒い瞳に映る色とりどりの光の洪水がやけに扇情的だ。
いつもなら目に見えてわかりやすく乱高下する感情が、今日はあまりわからない。


「なまえちゃん、ワインでいい?」

「おいしければいいわ」

「せめて赤か白かくらいは教えてやってよ、な?なまえちゃんが好きなもの頼みてえから」

「…………赤」


少し目を見開いて驚きを表に出した後、赤ワインをリクエストしたなまえちゃん。白いナフキンを膝に置いて、また窓の外に視線をやった。
それでもどこなく眉間はすっきりと晴れやかに見えるのは、俺の希望的観測だろうか。


「…夜景、好きか?」


オーダーを終え、晴れやかながら若干の疲れを滲ませる横顔に問う。こっちをちらりと見やったその表情は、店ん中が薄暗いせいか完全には読みとることができない。


「こういうレストラン、よく来るの?」

「いや、バニーちゃんと取材ん時にちょっとな」

「…ふうん」


心なしか和らいだような目許に、レストランに連れてきたかもしれない女への嫉妬を感じ取った。それを感じ取れるくらいには俺も大人のつもりだし、男のつもりだ。
緩みそうな口元を引き締めて、メニュー片手に口を開く。


「なまえちゃん、魚と肉どっちがいい?」

「魚、いや、肉………でもやっぱ、さかな?」

「あー、わぁった!じゃ、両方頼むわ」


有無を言わさずに笑顔で「な?」と押せば、なまえちゃんは視線を小さく泳がせた。
さすがにこんなレストランでは普段のような悪態もワガママも存分に振るえないらしい。
多少の文句を言われても、居酒屋にしとくべきだったかもしんねえなあ。


「そうするわ」


ま、そんで怒って帰られちゃったら本末転倒だしな。
なまえちゃんは満足げに頷いて、夜景を見下ろしている。


「なまえちゃん、ほれ、乾杯」

「…うん」


ウェイターが注いだ深紅の液体が揺れるグラスを胸あたりに掲げて見つめた。見つめた先でも俺に倣ってグラスを傾け、細い音をあげたグラスの縁。
口に含んだ赤ワインは、普段自分から進んで飲みはしないワインでもはっきりと、美味いことだけはわかる。


「おいしい?」

「…まずかったら飲まないわ。でも、鏑木さんのチョイスにしてはなかなかね」


…わかった。わかっちまったよ。
今のはなまえちゃんなりの、最高のほめ言葉だ。屈折しているようだが仕方ない。それをほめ言葉だと受け取れるくらいの扱いしか、俺は今まで受けてねえんだ。


「美味いようで何よりだ」


なまえちゃんを見てると、頭に金魚が思い浮かぶ。縁日で掬った金魚。水槽に放してやってしばらくは寄って来ねえが、餌を撒いている内に進んで寄ってくるようになる。
まさに今の状況だろう。ほしいと言われた物を与えてやって甘やかして、金魚と違うのは、なまえちゃんは観賞用の愛玩物じゃあないってことか。


「何考えてるの?」

「んー?なまえちゃんのことかなあ」

「…気分が悪いわ」

「ほかの女のことと、どっちがいーい?」

「………」


無言は肯定。ただし眉間に寄った皺がご機嫌バロメーターの急降下を告げている。


「ほら、料理来たぞー」


並んだいくつかのプレートになまえちゃんの瞳が輝いた。大きな皿でなく、小さな皿を数種類用意してもらったのは全部なまえちゃんの為だ。


「女の子はいろんな種類いっぱい食いてえもんなんだろ?」

「随分と周到な予習ね」

「なまえちゃんの為だからな」


頬が赤く見えるのは窓の外のネオンが映ったからか。
フォーク片手に固まるなまえちゃんにできるだけ優しく笑いかけてやれば、その口許が物言いたげに緩んだ。


「今日、メシ食ったら帰んの?」

「別に、鏑木さんがどうしてもっていうなら付き合ってあげるわよ。そこまで薄情じゃない」

「そら有り難えこった」


メシの後にタクシーに押し込んで俺んちの住所をドライバーに告げたら、なまえちゃんは一体どうするんだろうなあ。
想像して思わず鳴らしてしまった喉に、訝しげな表情を浮かべたなまえちゃん。

大丈夫だよ。おいしくいただいてやっから。



メルトホワイト




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