「ばかみたいだ」と私は言った。そしたら鏑木さんはふうとため息を吐いて「そうだな」と言った。
だから私は思わず鏑木さんの頬をひっぱたいて、鏑木さんのアパートを飛び出した。


『なまえ、今どこにいる』

「…鏑木さんにはかんけいない」

『いい加減にしろよ』


携帯電話片手に、低い声を聞く。ここはバーナビー・ブルックスJr.宅だ。
鏑木さんのアパートを飛び出して、ずびずび鼻水をすすりながら深夜2時にバーナビーさんをたたき起こした私は、少しの嫌味とたくさんの優しさを感じつつバーナビーさんのマンションでホットミルクをいただいている。


「しらない。鏑木さんなんてしらないよ、もう」

『なまえ』

「…しらない」


ぷつんと切った通話に電源もオフにして、ソファの上に体育座りした体勢のまま膝に額を押し付ける。
一人掛けのリクライニングに腰掛けたバーナビーさんが小さくため息を吐いたのを聞いて、思わずびくんと肩が跳ねた。


「虎徹さんと何かある度に僕のところへ来るんですね、あなたは」

「だって、こんな時間にほかにいくところないんだもの」

「…僕だったら迷惑をかけてもいいと思ってるんですか」

「バーナビーさんごめんなさい。もうちょっとだけ優しくして」

「…自分の家に帰れと言わないだけ、感謝して欲しいですね」


バーナビーさんが作ってくれたホットミルクは、ほのかにお酒の香りがする。
不思議に思ってじっとマグカップを見つめる私にバーナビーさんは「ブランデーを少し入れておきました。飲んだら眠ってください」と柔らかい声で言ってくれた。バーナビーさんは優しい。


「うん。…そうだね、ありがとう」

「ああもう、僕ではなく虎徹さんを選んだのはあなたでしょう」

「だって」

「ケンカするなとは言いませんが、もう少し弁えてください」

「…ごめんなさい」

「だからそんな顔をさせたいわけではなくて、」


鏑木さんと一緒にいるときのバーナビーさんはすごく余裕ぶってクールなのに、どうしてか私と二人でいるときはすごく子供っぽくなる。
今も、リクライニングから立ち上がって私の頭を撫でてくれるけど声は困ったみたく、言葉を選んでいる。
ひょいと私の手から空のマグカップを取り上げたバーナビーさんは、カップをテーブルに置いた。


「バーナビーさん、ホットミルク、おいしかった」

「…そうですか、それはよかった」


ぽすん、と隣が沈んで、膝に額をうずめたままちらりと横を見やったら、私の隣に座って私の髪の毛を梳くように撫でるバーナビーさんと目が合う。じわり。目頭が熱くなった。


「ごめんなさい。ひきょうでごめんなさい」

「知ってますよそんなこと。それをわかってて、僕はあなたを招き入れてしまったんですから同罪です」


バーナビーさんじゃなくて鏑木さんを選んだのは他でもない私なのに、そんな私にもバーナビーさんは優しい。優しいから、優しすぎて、そんな風に優しくしてもらえる価値なんてないのに、あまりにもバーナビーさんが優しくて、とうとう堪えきれなくなった涙が目尻からこぼれてしまった。


「ご、めんなさい」

「泣かないでくださいよ…」


私の頭を自分の胸に引き寄せてため息を吐いたバーナビーさん。そのあたたかさに頭の中がぼうっとする。やさしい。あったかい。
バーナビーさんの心臓は私のよりもずっと早く鼓動を刻んでいる。


「…バーナビーさん、緊張してるの」

「…そうですね。そうでしょう。当たり前です」


私の背中を抱くバーナビーさんの手のひらは熱い。私の頬が熱いのはきっと、ホットミルクに落とされたブランデーのせいだ。


「いつも、ごめんなさい」

「諦めましたよ。…なまえさん、虎徹さんのところに戻ってください」


だめ押しみたく「ね?」と呼びかけられて、ますますいたたまれなくなった。バーナビーさんはそう言いながらも私のからだを抱きしめたまま離す気配がないし、私もぐずぐずに泣きながらバーナビーさんの胸に額を押しつけるしかできない。
それでも頭をぐるぐる回るのはやっぱり鏑木さんの笑顔とか、困った顔とか、怒った顔で、それがすごく申し訳なくて、バーナビーさんの服をぎゅっと握る。


「…、虎徹さん、なまえさんなら今僕の家にいますから、迎えに来てください」


がばっと顔を上げたら、バーナビーさんが虎徹さんにコールしていた。PDAのモニタに映る虎徹さんの疲れた顔が驚愕のそれに変わって、すぐにかなしそうな顔になる。


『なまえは』

「僕では、泣きやませることができないようです」


ぷつんとモニタが消えて、バーナビーさんが私の目尻を優しく拭いながら困ったみたく苦笑いする。


「バーナビーさん、私のこと嫌いになった?」

「…なりません。なれませんよ…あなたは本当に、卑怯だ」

「…ごめんなさい」


バーナビーさんを選ばなかったのは私なのに、こうやってバーナビーさんに甘える私は最低だ。
そしてそれすらわかってて尚も私を甘やかすバーナビーさんもずるい。


「ほら、もうすぐ虎徹さんが迎えにきますよ」

「…うん」

「今度は、できたら……何もないときに来てください」


伏せられたバーナビーさんの目が悲しい色を滲ませる。それなのに私は、その言葉にだけは「うん」と返事ができなかった。


「バーナビーさん」

「いえ、いいです。返事はしなくてかまいません…忘れてください」


私から視線をそらして、「虎徹さんの恋人であるあなたに横恋慕した僕が悪いんです」と小さく呟いたバーナビーさんは、小さな子供のよう。
私はそんなバーナビーさんを抱きしめてあげられないまま、今日も虎徹さんのお迎えでアパートへ行って、虎徹さんに抱かれるんだ。


「バーナビーさん、ごめんね」

「なまえさんがいつか僕を選んでくれたなら、」


ほどなくして来訪のチャイムが鳴り響き、無意識にバーナビーさんのからだを押しのけて玄関へ走る。
現れるのは腕に包帯を巻いた不機嫌顔の虎徹さん。
その肌の色と包帯の白さのコントラストに、ケンカの理由を思いながら「ばかみたいだ」ともう一度呟いた。
虎徹さんは困った顔で頭をがしがしと掻きながら「ケガ、しねえように気をつけるよ」と言う。


「毎度毎度僕を巻き込まないで下さいよ」

「わーるかったよ、バニーちゃん」


背後から投げられるバーナビーさんの声はため息まじり。
虎徹さんと繋いだ手を引っ張られてよろよろと外へ向かって足を踏み出す。

わかっていたの。振り向いたらだめだっていうことくらい。
それなのに、どうしてかな。

私はそのとき、足を止めて振り向いてしまったの。



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