わたしは何度も言ったのだ。"お酒を飲みたくない"ではなく、"お酒を飲めない"と。飲んでどうなるのかなんてよくわかっている。記憶は飛ぶけれど、必ず手厳しい苦情が殺到するから。

それを無理やりに飲ませた彼が責任を持つのは当然のことと言えよう。
ただ、普段落ち着き払ってこちらの言い分を優先して気を使ってくれる彼が「一杯だけでも」と珍しく食い下がった時点で、私は何か変だと気付くべきだったんだろうとは思う。…思っている。今、まさに。

だって、目が覚めてぼんやりと手触りのいい布団がどう考えても私の記憶にはなくて、ふと視線を隣にやったならきれいな肌を惜しげもなく晒して穏やかな寝息を立てる彼、バーナビー・ブルックスJr.が眠っていたのだから。


「………わーお」


あまりの事態に口からは欧米風リアクションが飛び出す。きめ細かな白い肌にがっしりと逞しい腕、理知的な瞳は閉ざされ代わりにあどけない寝顔、形のいい唇とくしゃりと乱れた金色の髪の毛。
まるで彫刻のようだ、と思う。これで私も全裸でなければ、そう素直に喜んで写真の一枚や二枚嬉々として撮影しただろう。
そう、私は今全裸なのだ。


「…いったい、なにが」

「…お答えしましょうか」


落とされていた瞼がゆるゆると持ち上がり覗いたのは、どこか攻撃的な色を滲ませた翡翠の瞳。ガラス玉のようなそれに、思わず背筋が寒くなった。


「…お答えいただかなくても結構です。今の状況でなんとなくわかりました」

「そうですか?それは残念」

「…ざんねん?」

「ええ、もう一度同じことをしてさしあげようと」


何があったのか、見覚えのないベッドに男女が一組、散らばる下着に重なる服、全裸の男女、ダストボックスの中のティッシュと正方形のアルミパッケージ、これらの状況証拠から想像に難くない。


「…遠慮します」

「そうでしょうね、昨晩は随分と無理をさせましたから」


しれっと言い放つ唇が弧を描き、瞳が細められた。
寝起きに話したせいか、それとも昨晩の名残なのか、喉がからからに乾いてかさつく。


「…何か、飲むもの……」

「ああ、持ってきますよ」


ベッドから起きあがろうとした体を制されて、彼が立ち上がる。さらりと落ちた布団から現れたのは当然ながら何も隠すものがない体躯だった。


「何か、着てよ…!」

「お気になさらず。また脱ぐんですから」


その言葉の意味を聞く前に呆気なく向けられた背中。そこに赤く残る痕が明らかに爪の痕だとわかり、思わず自分の指先を見つめた。
爪と皮膚との間には、やはりと言うべきか、かさかさに乾いた血が付着していた。


「どうぞ」

「…どうも」


ガス入りのミネラルウォーターのボトルを手渡され、何も考えずに受け取って口をつける。
ぎしりと沈んだ隣に、彼は当然のように毛布の中へ入り込んだ。
その腕を私の腰に回して、ねだるような視線が下から注がれる。


「…なまえさん」

「…なんでしょう」

「僕にも一口いただけますか」


ん、とボトルを差し出せば不機嫌顔。いつもの眼鏡がないだけで、彼は随分と幼くなる。


「バーナビー」

「口移しで」


物欲しそうにこちらね突き出された唇。薄く開いた口からちらりと覗く舌先が恐ろしくセクシャルで、そこに視線が奪われたまま私の口の端から水がつうと顎を伝う。


「ねえ、」

「なまえさん、僕はもうずっと、こうして一緒に迎える朝を待ち望んでいたんです」


何が起こったのかはわかるけれど、どういうつもりなのかはわからない。それを聞くべく呼びかけた声は彼の言葉に遮られた。


「…ずっと?」

「はい。あなたを抱きしめたい、キスをしたい、一緒に朝を迎えて、向き合って朝食を、そうできたらどんなに幸せだろうと」

「…私を買い被りすぎじゃない?」

「いえ、僕にとっては、そうじゃないんです。簡単なものではありませんでした、…ずっと」


ゆるりと包まれ撫でられた頬が熱い。腰を抱える腕に引き寄せられ、無意識にボトルをサイドテーブルへ置く。その行動に彼が安心したように一つ息を吐き、そしてそのまま、唇を重ねた。


「バーナビー、」

「すみません…お酒の力を借りました。そうでもしないと触れられなくて」

「…飲めないって、言ったのに」

「かわいらしかったですよ、とても」


はにかんだような柔らかな笑み。頬から顎、顎から首、鎖骨へと辿る指先。そして私の胸に頭を埋めて抱きしめた腕に込められる力。
なんてことだろう、こんなに可愛く思ってしまうなんて、こんな状況なのに憤慨するどころか愛おしく感じてしまうなんて。


「それにしたって、こんな、」

「…我慢、できなかったんです」


恥ずかしそうに落とされた瞼と窓から差し込む朝陽がまぶしい。


「…ばかね」

「シャワー浴びますか?」

「………」


素面で抱き合いましょう、と暗に滲む熱のこもった台詞が胸元に落とされる。私を抱きしめる腕の力は弱まることなく、再び奪われた呼吸と、うごめく舌先と、辿られる歯列。離れた唇を繋ぐ糸はすぐにぷつりと切れ、まざった唾液を彼がごくんと飲み込んで動いた喉仏。


「……浴びる」


嬉しそうに微笑んで、解放されたからだに離れた温度を少しだけ淋しく感じてしまう。
「また、夜のように好きだと言ってください」不安げな懇願に撫でた頭を朝陽が照らしてキラキラと輝いて、思わず額にキスをした。



あしもとのキャンディ・カラー



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