繋いだ手がしっとりと汗ばんで、握られる力が徐々に強くなっていく。視線だけでちらりと隣を見上げても、彼と目が合うことはない。


「バーナビー」

「…はい」


呼びかければ返事は返ってくる。けれどやはり視線が交わることがない。彼に連れてこられた先の、バーナビーの部屋。その窓際から二人並んで夜景を見つめる。一体彼は何をするつもりで私を自分の部屋に呼んだのか。


「お腹、空いてる?」

「…いえ」


言葉は普段通りに丁寧なのに、彼の口数は驚くほど少ない。小さくため息を吐けば、彼の肩がびくりと震えた。


「…ねえ、バーナビー?」

「あなたは、わかってるんですか」


何を、と聞かなくてもわかる。それがわかるくらいには、女であるつもりだ。
だって彼は、バーナビーは、私を呼び出した電話で「今日、泊まりに来ませんか」と言ったのだ。
その声が熱っぽく浮かされ掠れていたのが印象に残っている。


「…なにを?」


それでも敢えてとぼけた私はきっと意地が悪いんだろう。バーナビーが私を睨んで、口を開く。


「僕はあなたに、泊まりに来ませんか、と言った」

「うん」


バーナビーはいつも余裕綽々で、女の子たちに愛想を振りまいている。そんな彼からの魅力的なお誘いに、私は期待した。そのお誘いが'そういう'意図を含んでいることを期待したのだ。
けれどまだ確信が持てずにいる。バーナビーが私を見つめる視線に、時折まざる熱っぽさや湿っぽさ、しっとりと濡れた眼差しに戯れに肌をなぞる指先。
それらを思い出すだけでぞくりと粟立つ。


「正直に言います」

「うん」

「僕は、女性を抱いたことがありません」


どんな告白が飛び出すかと思い、それを聞いて細く息を吐き出した。いや、だって、まさか。


「えっと、あの、ごめんなさい。私…初めてじゃなくて」

「あなたのことはいいんです」


なんと返答したものか、悩みながら謝罪の言葉を口にすれば、彼はぴしゃりと吐き捨てる。
そんな告白しなくたっていいのに、そんな気持ちを込めてじとりとバーナビーを睨む。
けれどバーナビーはその視線の意味を正しく理解することはなく、困ったように眉を下げて自嘲気味に笑うだけ。


「…すみません」

「私、バーナビーが経験豊富そうだから好きになったわけじゃない」

「…僕も、あなたが処女だろうと思って好きになったわけではありません」


ん、と疑問に感じた。今さらりと好きという単語を口にした彼はいたって真面目な顔で窓の外を見ている。
でも、いわゆるお付きあいをする時にだって私は彼に「好きです」とは言われていない。
その単語の攻撃力の高さを今更思い知った。


「バーナビー、もう一度言って」

「…何をでしょう」

「…好きって」


急に気恥ずかしくなって彼から目をそらす。窓に反射したバーナビーの視線が私に突き刺さるのがどうにもいたたまれない。
繋いだ手がじっとりと気持ち悪くなってきた。


「…なまえさん、顔を上げて」

「上げたいのはやまやまなんだけど、ね」

「それではキスもできない」


繋いだ手、その指先が私の手の甲をくすぐる。童貞のくせに、なんて一瞬飛び跳ねた心臓を押さえつける。そんなセリフを吐いてしまったら、きっとバーナビーは傷つくだろう。


「経験豊富ではないですが、」

「…うん」

「大切に抱く自信はあります」


恥ずかしい宣言も脳内を沸騰させるだけ。
ふと視界に影が落ちて顔を上げれば、熱い舌がくちびるを舐めとって、そして口内へ侵入してきた。


「ん、っう」


脳内が沸騰して、どろどろに溶けていく。どこまでも追ってくる舌先から逃れるように顔を背けようと努力してみるけれど、バーナビーはしつこくくちびるを追いかけてくる。
甘露を移しあうような、奪い合うような、熱っぽく、荒っぽく、優しいくちづけ。

繋がれたままの手のひらが熱い、お互いの汗で湿って気持ち悪いのに、手を離せない。


「ベッドルームに、」

「シャワー、浴びさせ、て」

「…だめですよ」


離れた唇が余裕なさそうに開く。あまりに恥ずかしくなって視線を上げられないまま見下ろした先の、バーナビーのズボンが膨らんでいて、さらに恥ずかしくなった。
生娘じゃあるまいし、自分に言い聞かせても心臓がどくどくと落ち着かないのは、バーナビーの翡翠色の瞳がガラス越しでも私を見つめているから?


「なんで」

「あなたの匂いを嗅ぎたいんです」

「…へんたい」

「なんとでも」


手を引かれてベッドルームへ。電気を点けっぱなしにされたリビングはそのままに、パタンと閉じられた扉。

ようやく上げた視界は、すぐにバーナビーの顔で塞がれた。


「…愛しています」



融解のベージュ





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