「喉乾いたーあ」

「はいはいっと」


いきなり家に押し掛けてきたのは、少し前から妙に俺につきまとってくるようになったなまえちゃん。十も年が離れているせいか、立派に成人しているが俺の中では女性というより少女に近い。そんなことを本人に言えばきっと怒るんだろうが。


「コーヒーきらあい」

「んー、じゃあ紅茶とグレープフルーツジュースどっちがいい?」


以前にも乗り込んできたことがある。その時には飲みモンなんか用意していなかった。酒しかないが、酒を出すのは憚ったのだ。結果、彼女は盛大な舌打ちをして帰って行った。
その後すぐにいくつかの飲料を冷蔵庫に揃えた理由は聞かないでほしい。自分にもわからねえんだから。


「…グレープフルーツ」

「はいよ」


冷蔵庫から冷えたグレープフルーツジュースを取り出し、きれいに洗ったグラスに注いで彼女に差し出す。彼女は礼も言わず、当然のようにそれに口を付けた。
よくよく見てみれば、彼女の額に滲む汗。そういや冷房つけてなかったな、と思い立ち、リモコンで冷房のスイッチを入れる。
なまえちゃんはグラスに口をつけたままちらりと俺を一瞥して、そしてふいと視線を逸らした。


「ねえ、お腹すいたんだけど」

「どっか食いに行くか?」

「めんどくさあい。作ってよ」


ソファの上で足を組む彼女はミニスカート。太ももまでせり上がったスカートの裾が目に毒だ。
意図的に視線を逸らせば、なまえちゃんの不機嫌そうな声が耳に届く。


「目をそらすのって失礼よね」

「いんやあ…じっくり見んのも失礼でしょうよ」

「そうね」


結局どっちも失礼に当たるようだ。グレープフルーツジュースを差し出して解消された彼女の眉間の皺が、再び深く刻まれる。どうやら俺はまたこのお嬢さんのご機嫌を損ねちまったようだ。畜生。


「簡単なもんしか作れねえからなあ」

「なんでもいいわ。まずかったら食べないから、得意料理にしてよね」

「…はーい」


俺の方を見ずに言い放つ唇は小さくアヒルになっている。汗をかいたグラスから水滴が垂れて、彼女の太ももに落ちる。
すぐさまティッシュでそこを拭ってやれば、なまえちゃんの眉間の皺がまた少しだけ解消された。


「チャーハンでいいよな」

「得意料理ならなんでもいいって言ってるじゃない」


そして再び不機嫌顔。
同じことを二度言わせると彼女のご機嫌は急降下する。また一つ学習して、俺はキッチンに立った。
コース料理を作れとか言われなくてよかった。
冷蔵庫の扉を開いて心から思う。前回の反省として飲料は買ったが、食材までは買っていない。申し訳程度の材料から更に賞味期限を確認すれば、一人分のチャーハンの材料くらいしか残らなかった。
まあ、俺はカップラーメンでも食うからいいけどよ。


「…ほれ、熱ぃから気をつけろよ」


無言で皿を受け取り、スプーンで掬ってふうふうと冷ますなまえちゃん。キッチンからはヤカンが声を上げる。カップラーメンに湯を注いでテーブルに持って行けば、彼女は更に不機嫌な面持ちでカップラーメンと自分のチャーハンを見比べて、そしてまた視線を逸らした。


「…おいしくない?」

「まずかったら食べないって言ったわ」


つまりおいしいってこと?
味見をしていないから何とも言えないが、この殺伐とした家に女の子がいるっていうのもなかなかに良いもんだ。…今のおっさん思考だな。取り消そう。


「ねえ、トイレどこ」

「あー、そっちの角」


すたすたと俺が示した方へ歩いていくなまえちゃん。その背中が扉の向こうに消えたのを確認して、バレたらまたとんでもなく不興を買うだろうとは思いつつもチャーハンの味見をすることにした。


「そうか、旨いのかあ」


思わず口元が緩む。なまえちゃんが口をつけたスプーンを、少し躊躇いながら口に運ぶ。
そこで、噛み潰した固いものがガリッと音を立て、ジャリジャリと砕かれる。


「…殻入ってんじゃん」


卵を割ったときに失敗したんだろう。こんなもん食わせたらなまえちゃんのご機嫌はナナメになってしまう。
でも、既に彼女はチャーハンを三分の一食べている。彼女が食べた分には殻が入っていなかった?んなわけがない。


「…何してんのよ」

「ああ、いや、これ卵の殻入ってんじゃねえ、かなー、なんて」

「入ってたとしても、カルシウムが摂取できていいんじゃない」


ぴくりと動いた片眉に、悪態。
俺の手から皿とスプーンを奪ってまた食べ始めるなまえちゃん。
この子は本当に、なんつーか。


「なまえちゃんさ、なんでこんなおじさんに構うんだ?」

「別に、一番手懐けやすそうだったからよ」

「へーえ、素直におじさんのことが好きだからって言ったら?」


つるりと口から飛び出した軽口。あ、ヤバい、と思った瞬間どうにかフォローしようと顔を上げたら、真っ赤な顔をしたなまえちゃんが口をぱくぱくしていた。


「……ばっかじゃないの!私がなんであんたみたいなおっさん好きになんなきゃいけないのよ!」


いや、だからね、
あーもう、


「いんやあ、その顔で言われても説得力ねえんだわ」


ガシャン!一口分のチャーハンが残った皿がテーブルに叩きつけられ、そしてなまえちゃんは立ち上がり俺に背を向けた。


「あんたなんてだいっきらい!」


ばたばたと部屋を出て行くなまえちゃん。
それが無性に可愛くて愛おしくて、おじさんをこんなにしちゃった責任くらいはとってもらわねえと割に合わねえよ。

すっかり伸びたカップラーメンを放置して、一口残ったチャーハンを口に運ぶ。
それにはやはり卵の殻が入っていた。


「甘やかして欲しいなら素直にそう言やいいのに。ったく…」

自分で吐いたため息まじりの言葉は、思ったよりも甘い。



ブラックラグーン



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