携帯を開き、画面を見つめる。
アドレスから彼女の電話番号を呼び出す。
それでも親指はさ迷うだけで、結局電話をかけられない。
そして携帯を閉じる。
もう何回も繰り返しているその動作に、自分でもため息が堪えられない。
例えばこの世界で、一体どれだけの男がこんな気持ちを抱えているのだろう。
誕生日というその日。一年に一度しかこない特別な日。それでも恋人は遠く離れた島国にいる。
声を聞きたい。触れたい。キスしたい。抱きしめたい。
欲を挙げればキリがないけど、
単に自分の誕生日に彼女と一緒に居たいだけ。
目の前ではロマーリオが今朝からそわそわしてて、屋敷の中も変によそよそしくて、もう何度目だろいい加減わかるって!とか軽口を叩きながら移動する。
たくさんの人に祝われる誕生日。
もちろんそれはこの上なく幸せなことなんだけど、いつからかそれじゃ物足りなくなった。
たった一人から、ただ笑顔で「おめでとう」と。
そう言って欲しい。
「ボス」
時刻は23時24分。
結局俺はとうとう携帯の通話ボタンを押せずに、屋敷の執務室で書類仕事に追われながら自分の誕生日に突入しようとしている。
毎年ファミリーが総出で祝ってくれる俺の誕生日。
きっと今日も2月4日になった時、ファミリーに囲まれて飾り付けられたメインホールで豪華な食事とプレゼントに埋もれるんだろう。
「なんだ?」
わかっていながらわざわざロマーリオに聞く。
そろそろメインホールの準備ができたってことか、どこか歯がゆい気持ちを奥歯で噛み砕いて顔を上げる。
「…酷ぇ顔してるぜ」
ロマーリオはやれやれ、という顔で言う。
そして渡されたのは、鍵が、二つ。
「…なんだ、これ、って…俺の車のキィ、と…」
一つは俺もよく知る車の鍵。
そしてもう一つは、ルームナンバーの刻印されたシルバープレートにぶらさがる鍵。
ご丁寧にプレートには赤いリボンが結われている。
「…俺たちからのプレゼントは、3日間の時間だ」
手元の鍵を見つめる。
「このプレゼントは、なまえさんの企画だぜ」
ほら、早く行かなくていいのか。とロマーリオが俺のジャケットを放り投げる。
歪な放物線を描いたジャケットが俺の腕に収まった。
赤いリボンのゆれる鍵は、屋敷から20分の場所にある、ホテル、だ。
「…悪ィ!後頼む!」
意味を理解すると同時、俺はジャケットを着て必要なものをポケットに突っ込んだ。
部屋を飛び出す瞬間、ロマーリオが小さく「しかしなまえさんも大胆だな」とからかうように笑った。
ホテルのドアマンが俺を見つけるや否や、すぐに俺をホテルの中へと入れた。
車のキィを預ければ、「最上階でございます」と、小さく、笑顔で伝えてくれた。
エントランスを通り抜けて、最上階に直通のエレベーターに乗り込む。
なんとなく息苦しくて胸に手を置いたら、それはバクバクと飛び出しそうなほど早鐘をうっていた。
重厚な扉。
この向こうに、なまえがいる。
そう思うだけで心臓が口から出てきそうなほど緊張してきた。
このシチュエーションに何も感じない男がいるなら会ってみたい。
それでなくとも2ヶ月弱会ってなくて、それで、それで、
実のところ、俺たちは、まだ、だったりする。
…いや、まだっていうのは、えーと、まぁアレだ。うん。アレ。
ジャケットのポケットに手を入れる。体温で温まった赤いリボンの鍵を指先で遊ぶ。
深呼吸をして、鍵を取り出した。
鍵を差し入れて回せば、カチャンと小気味いい音がフロアに響く。
心臓は相変わらず早鐘のようだし、心なしか足も震えて、期待に少し膨らんだ下半身が痛々しい。
男ってバカだ!
そんなに暑くもないフロアで、俺の額にはうっすら汗がにじむ。
…もしもなまえにその気がなかったら、なかったら?
却下!
なまえの前では絶対やさしい男でいる。
そうだ、いくら誕生日だからってそんな期待するな!
ドアノブに手もかけられずぐるぐる逡巡する俺の前、豪奢な扉が控えめな音を立てて開かれた。
「…何してるの」
開いた扉から仕方なさそうに眉根を寄せて微笑むなまえ。
落ち着いたダークブルーのワンピースに身を包んだ姿が、なんていうか、こう、フ、フェロモンを纏ってる。
膨らむ期待を見ない振りして笑う。
「悪ぃ。…ちょっと緊張してた」
「久しぶりだもんね」
ふわり、笑うなまえ。
まぁそれもあるけど、なんて男のシタゴコロは心の奥にそっと仕舞って、部屋に足を踏み入れる。
壁にかけられている時計を見る。
時間は23時57分。
「ディーノ…」
「ん?」
何だ、と言おうとして振り向いた。
そして俺の口を塞ぐのは、柔らかくてあまい、彼女の唇。
ゆっくり入ってくる舌。
舌先が俺の口腔をなぞる度に心臓が体中に血液を送り出していく。
「な、」
突然なんだよ、言おうとした唇が彼女の人差し指で制止される。
「まだ、だめ!2月4日になる瞬間に、キスしてたいの!」
そして再びふさがれる唇。
視界の端にうつるのは、広いベッド。
ゆっくり彼女の背中に腕を回す。
彼女の背中がぴくんと震えた。
酸欠にでもなりそうなほど深いキスに頭の中が白くなっていく。
もっと、もっと。
後頭部に手を回して更に押し付ければ、彼女の唇が震えて、小さくうめく。
…あ、ヤバい。
壁の時計が、2月4日を知らせた。
…ところで、日本にはこんな言葉があるらしい。
「据え膳食わねば男の恥」
…恥らしい。
なまえがゆっくりと唇を離す。
つう、と繋がった糸がすぐに切れて、彼女の唇を汚した。
ぺろり、舐めとる赤い唇に、めまいがする。
「…なまえ、」
「誕生日おめでとう、ディーノ」
彼女の手が俺の手をひく。
てっきりケーキでも用意されてるのかと思いきや、彼女の足はベッドの方へ。
「あえない間も、ディーノが近くにいるって感じたいの」
「…俺も」
彼女がベッドに座る。スプリングがぎしりと悲鳴をあげる。
「あたしをぜんぶ、もらってください」
リボンはかけてないけど、付け足してはにかむ彼女。
あーもう!
ゆっくりベッドに押し倒す。
濃く広がる香りに、理性が破壊する音を聞いた。
ただ一人に、「おめでとう」って言って欲しい。
特別な日に特別な人と2人きりの空間で、彼女の体を直接感じながら幸せをかみ締めていた。
「…ん、ディーノ、」
「…っ、ん?」
「うまれてきてくれて、ありがとう」
弾けた愛情。
来年のプレゼントには、俺となまえの子供が欲しい。
今は、言わずにいようと思う。
とりあえず誕生日はまだ始まったばかり。