「イタリアに帰るの?」
ついさっき言われたセリフをそのまま反芻して返したあたしに、ディーノは眉根を寄せて笑って見せた。
ディーノはそれきりあたしから目を背けてしまって、来たときとは比べ物にならないくらいゆっくりと身支度を整えていく。
あたしはそんなディーノを見つめながら、ソファに深く腰掛けて真っ白なマグカップに唇を寄せた。
マグカップの中で滑らかな円を描く白いミルクを一目見つめて、すぐに一口だけ飲み込んだ。
「次に来れる日は、…悪ぃ、わかんねぇ」
マグカップを両手で包んでディーノの一挙一動を見守るあたしを、ディーノはどうやらふて腐れているのだと解釈したらしい。
ご機嫌をとるようなやわらかい笑顔をあたしに向けた。
「…ううん。それはいいんだけど、ディーノ、腕時計逆だよ」
マグカップをガラステーブルの上に置いたら、それはカチンと小さく悲鳴を上げた。
それと同時にディーノの左腕を指さしたら、ディーノはまた眉根を寄せて笑った。
ディーノの右手が左手首の腕時計を外して、また付け直す。
ミリタリーのゴツゴツした時計をはめながら、ディーノは苦戦。
どうやったら反対につけられるんだろう、なんて的外れなことを思いながら、あたしは再びマグカップを手に取った。
「なぁ、なまえ」
「うん。なに?」
腕時計をきちんとはめなおしたらしいディーノが、あたしを真っ直ぐ見つめて笑う。
あたしはと言えばすぐにディーノから視線を逸らして、金色の髪の毛が窓から差し込む太陽の光に反射してキラキラと輝くのを見ていた。
「ちゃんと、俺を見ろよ」
呆れたような声音に目線をディーノの顔に向ける。
その表情は呆れたような声音とは反対に、とても悲しそうに見えた。
「ちゃんと、見てるよ」
「じゃあ、俺の気持ちだってわかるだろ」
「わからないよ。あたし超能力者じゃないもん」
そういうことじゃなくて、と頭をガシガシを掻くディーノ。
かき回された金色の髪がまたキラキラと輝く。
「上着なら、ハンガーにかかってる」
ワーキングパンツに七分袖のTシャツというラフな格好で、ソファに座るあたしを見下ろすディーノ。
あたしが上着のかけられたハンガーを指させば、ディーノは益々悲しそうな表情になった。
「なぁ、なんでだよ。そんなに俺を早く帰したいのか」
「違うよ。最初から日本とイタリアは遠いってわかってたことでしょ?」
両手で包むマグカップは最初と比べてだいぶぬるくなってしまっている。
ミルクもいつの間にか底に沈んで、歪な模様だけが残されていた。
「わかってっけど…」
窓の外に視線をやったら、どこかの空港からどこかへ旅立つ飛行機が見えた。
あと数時間後にはディーノの乗った飛行機がここから見えるかなぁ、なんて思ったけど、考えてみたらディーノは自家用ジェットで日本とイタリアを行き来してるみたいだから、見えるはずはない。
イタリアって、どこからどっち方面に飛ぶんだろう。
視界の隅ではディーノの視線があたしに向かって注がれている。
今度航空図買ってみようかなぁ、とまるで見当違いなことを考えながら、あたしはもう一度ディーノを見た。
「…じゃあ、俺もう行くぜ」
「うん。またね」
ソファに座ったまま小さく手を振る。
ディーノの表情は曇ったままで、手を振り返してもくれない。
最近はずっと、バイバイのキスもしてくれないし、笑ってバイバイも言ってくれないんだ。
恋人に恋煩い
ディーノは最近、来たときとは比べ物にならないくらいゆっくりと身支度を整えて帰る。
そしてあたしはそんなディーノを見つめている。
わかってはいるのだ。
だってディーノの背中は、引き止めてくれ、って言ってる。
先に玄関へと向かうディーノ背中を追うようにソファから体を起こす。
靴を履いたディーノの背中を見つめながら、こうして背中だけを見送るのは何回目だろう、と頭の中で数えてみた。
「…今度は、ほかの事のオマケじゃなく会いに来てね」
勢いよく振り向いたディーノの表情は見ないようにして閉じたドア。
ドアの向こうからあたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。