秘書になって早3年。…ところでこの秘書という言葉は何を意味するのだろう。一般的なその意味はうっすら理解しているものの、この場所にはそもそも一般常識なんて通用しないのだ。
「なまえ、明日の買い物付き合ってくれ」
「…またですか」
「…まぁ、」
執務室はシンプル。しかしそこに並ぶ家具類は全て高価なものたち。
ここでの秘書とは、主人に付き従うものである。それは仕事に限らず、である。まるでメイドか子守にでもなった気分だ。
主人は若く、柔らかい笑顔を人に向ける人物だ。そのためか、彼の"お願い"には抗えない強制力が含蓄される。…本人は気付いているのだろうか、
「あ、あと」
「はい」
「今夜、部屋に来てくれよ。少し飲もうぜ」
その言葉にあたしはとうとう眉間に皺を寄せてしまった。"飲もうぜ"。彼がそう言う時は必ず飲むだけでは済まないことを、あたしは身を以って知っている。恐らく彼は知っているのだ。あたしが逆らわないこと・逆らえないことを。人好きのする笑顔の裏を垣間見た。きっと彼は、自分の存在と言動による強制力を十二分に理解して、またそれを笑顔で行使できるほどには大人なのだろう。
「…無理か?」
「……」
しかしそうでなくては5000人を束ねるファミリーのボスなんてつとまらないのだろう。…うん。ここはきっと尊敬すべき点だ。
眉間の皺を指先で揉み解しながら自分に言い聞かせる。
「…なまえ?」
「あぁ、すいません。今夜ですね…大丈夫です」
わざとらしく手帳を開いてそう口にする。当然ながら今夜の予定が今突然入るわけもなく、こんなことなら無理にでも予定で埋めておけばよかった、と後悔した。
「よかった…じゃあ、なまえの好きなワイン用意しとく」
「ありがとうございます」
朝は彼を起こし、執務の下準備と書類整理をする。執務から逃げ出そうとする彼を執務室にとどめて、昼は一緒にランチ。彼の買い物に付き合って、何故かそのほとんどであたしもアクセサリーや服やバッグを買い与えられる。ボンゴレからの使者をもてなして、パーティーの招待状整理に封書の整理。ある時は黒いベンツを走らせて彼を迎えに行き、またある時は彼の運転する赤いフェラーリの助手席でおとなしくシンプルなワンピースを揺らす。パーティーでは繊細なデザインのドレスを着せられてスーツ姿の彼のエスコート。そして溶けて抱き合って眠る夜。
…これではまるで秘書兼恋人だな。目の前で彼があたしを訝しげに見つめている。目が合えばにっこりと笑う。自分の思考を遮断。…あたしは今何を考えた?恋人?…いやいやいや、ないでしょ。自分の付き従う主人に恋?…いやいやいやダメでしょう!
かぶりを振って深呼吸。あたしは秘書!あくまでも秘書!彼はあたしの雇い主!
…よし、マインドコントロール完了!
「…ところで、明日はどちらに?」
「んー?買い物して、ミラノのホテルにスイートとってあるからそこ行く」
「…ホテル?」
「ホテル」
「何故ですか、と聞いても?」
「…やーっぱなまえ忘れてる!」
「…明日何かありましたっけ?」
「明日はー、俺たちが付き合って2年目の記念日!」
…………あれ?
意思の疎通と事実確認
「あの、あたしたちって付き合ってましたっけ」
「…………え?」