「、先生はいつも笑ってますね」
いつかそう尋ねたことがありました。
でも先生はあたしに何かを答える代わりに、穏やかに微笑んでみせるだけでした。
出会った春、蒸し暑い夏、夜風の秋、震えた冬。
一番悲しかったのは、先生と共有することができなかったことです。
その悲しさも切なさも喜びも温もりも、例えば共有することができていたなら、何か変わっていたのでしょうか?
先生が欲しかったものはあたし1人じゃどうしても与えてはあげられなかったけれど、先生はいつだって穏やかだったから。
だから、あんなにも激しくてこんなにも脆い先生を見たことはありません。
ねぇ先生。
他に何か方法はなかったのでしょうか?
他に何か出来ることはなかったのでしょうか?
「もう、君は全てを共有している」
恨まれたままで終わるなんて許さない。
あたしの、あたしたちの大切なただ一人。
「真選組という、ただ一つのこころを」
先生。
あたしは、
あなたの笑うこの場所で、あなたの元で戦って死にたかったのです。
「伊東先生、」
「…愛しているよ、この戦に巻き込んでしまったほど」
慟哭のとりかご