この世界の闇の全てが集約されたのではないかと思うほど、残酷な夜があける。
涙のひとつも零せなかったあたしが、ただぼんやりとぐしゃぐしゃのシーツに額を埋めれば、視界に映ったのはあたしの手をぎゅっと握ったままのビアンキだった。

…寝ちゃったのか。
ただただぼんやりとした頭をシーツから起こして、壁にかかる時計を見つめる。

長針と短針の動きを、目だけで追って数える。
それは、地獄からの死刑宣告のような言葉を聞いてから3時間が経過したことを告げていた。

深夜2時。まどろむ意識に飛び込んできたビアンキと、背後に佇むラル。
懐かしいそのラルの姿に一瞬胸が熱くなったけど、2人の雰囲気から察してこれから告げられることが決していいことなんかじゃないことはわかった。

ふと思い出して、自分のベッドの足元に意識をやる。
ベッドの足元に置かれている簡素なソファ。そのソファの上で、ラルはあたしを見つめていた。


「…起きたか」

「…ん」

「さっき話したことは、理解できたか」


ラルはこんな時でも言葉を選ばない。それが何故だか、今のあたしにはちょうどいい。


「最初から理解できてる」

「…そうか」


あたしの手を握ったまま眠るビアンキの頬には、涙の跡が見える。
眠っていると言うのにあたしの手を握る力は強い。

2時過ぎに伝え聞いた真実。4時半頃まではあたしの意識もあったはずだから、恐らく眠ってしまった時間としては30分にも満たないだろう。


「ラル、ずっと起きてたの?」

「あぁ、…ビアンキが眠ってオレまで寝たら、その後になまえが泣いたとき、一人だろう」


うすく室内を照らす明かりの下で、ラルの双眸があたしを捕らえて動かない。


「…どうして、そんなこと言うの」

「、なまえ」

「親方様は、奥様を庇って亡くなった」

「なまえ、聞け」

「それ以上の真実なんて、どこにもありはしない」

「…なまえ、」

「あたしが泣く理由が、見つからないの…」


たった30分。その夢の中にとっぷりと飲まれてしまった意識は、いつものようにいとしいひとの姿を探す。
オレガノにいつか聞いた真相は、ただひたすらに不器用で身勝手な愛情の応酬。

愛故にあたしを手放した男と
愛故に供にありたかった女の話。

けれど生憎、あたしはそんな身勝手な愛の寓話には興味がない。

あたしに必要なのはいつだって、家光さんの体温と愛情だ。


「なまえ?」

「…あいたい」


会いたいよ。会いたい。あいたい。
もう、一人でいたくないの。手を握ってよ。抱きしめて。キスをして。

もう、思い出のなかのあなたじゃ、心が、淋しさが埋まらない。


「…まず、オレガノが家光から預かった」

「…?」

「そして、オレガノはターメリックに託した」

「なんの、話?」


それでも、あたしの頬を涙が伝うことはない。


「オレがイタリアを発つ時、ターメリックがオレに預けた」

「だから、」


ラルが懐から差し出したのは、純白の、


「なに、それ…匣?」

「あぁ、…思い当たるはずだ」


ソファに身を沈めたままのラルが、あたしにその匣を投げた。
仮にも人から預かったものを投げるな、と以前のあたしなら食って掛かったけれど、今はそんな気にならない。

純白の匣。手にとって明かりに翳す。
縁を染めるのは、鮮やかなブルー。


「…きれいな匣ね」

「…あぁ」


その匣が誰から預かったものなのかは、ラルの表情とその辿った流れを読めばわかった。
でも、中から何が出てくるのかなんて、あたしにはわからない。






手のひらで溶けたクリムゾン





引き出しの中から、リングを取り出す。今まで使ったこともないリング。

このリングには、どんな炎が灯るのだろうか。



部屋の外はバタバタと慌しい。十代目のお父様が亡くなったのだから、それはとても自然なことなのだろう。
その慌しい足音に目を覚ましたビアンキが、一度あたしを心配そうに見やってから立ち上がり、扉のドアノブに手をかける。


「ラル、そろそろ」

「あぁ」


ラルが立ち上がる。ソファが軋んで、二人が部屋を出た。
外から聞こえる声はだれの声だったか。そんなことを考えてしまうほどこの場所にかかわる人間と距離をおき続けた自分。

部屋に残されたのは、あたしと、純白の匣だけ。


いつか、家光さんにもらったリングを、右手の中指に嵌めた。


灯った炎は、気持ちとは正反対の濃い紅色。
悲しみを象徴するような色なら、まだ救われたのに。


「…あいたいな」


まるであの人の色だ、揺れる紅色を見ながら、かつて若獅子と呼ばれた彼を重ねる。


あたしは本当に、彼に愛されてたのか。

胸にくすぶっているそんな想いを振り払うように、匣に、炎を翳した。





クリムゾンで編み上げるヴェール





『俺は、奈々と結婚してる』

『知ってる』

『別れる気もねーんだ』

『…うん』

『でも、なまえが愛しいよ』

『…ありがと』

『生きてる内に、どれくらいなまえを俺のものにしておけっかな』



開匣したその中には、純白のレースに包まれた、プラチナのリング。



「…サムシング・ブルー、か」


純白に青い縁の匣の意味を知る。



『生きてる内に、どれくらいなまえを俺のものにしておけっかな』

『じゃあ、死んだらあたしだけのものになってよ』



棺で眠るその眠り顔の、お揃いの場所にお揃いの指輪。


もう、泣いてもいいでしょうか あたしだけの ただひとり。



『おかえりなさい』

『ただいま、なまえ』




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