「何故、親方様なのですか?」


部屋に備え付けの簡易キッチンでインスタントのコーヒーを淹れていたあたしに向かって、線の細い少年がそう言った。
珍しく部屋を訪ねてきたバジルくん。
本当なら日本茶があればよかったんだけど、生憎日本茶は全部親方様が飲んでしまったから。


「なぜ、と言われてもなぁ」

「はぐらかさないでください」


いつもはそんな他人のプライベートに土足で立ち入るような真似はしないのに、今日のバジルくんは真剣だ。
もしも彼があたしに好意をもっているのだとすればそんなこと問題にもならないのだけれど、その可能性は皆無。

だとすれば、


「…そんなに、沢田家のひとたちはいい人だった?」


湯気の立つカップを二つトレイにのせて、ガラスのローテーブルが鎮座するリビングへ向かう。
黒い皮のソファに座ったままのバジルくんが真っ直ぐにあたしを見つめる。
その視線は図星だったのか少しだけ所在無く泳いでいる。


「おぬしには、罪悪感と言うものはないのですか、」

「あったら何だって言うの。罪悪感なんて、今更確認されないでもずっと持ってる」


無意識に語尾が強くなってしまった。
驚いたように訝しげな表情を浮かべるバジルくんに一言謝って、カップをテーブルの上に置いた。


「ありがとう、ございます」


バジルくんはカップを手に取り、一口だけこくんと飲んだ。


「おぬしは、本気なのですか」

「覚悟がなきゃ、こんなことやってらんない」


バジルくんの視線があたしを通り過ぎていることに気付いて、思わず後ろを振り向く。
そこにあったのは、何の変哲もないカレンダーだった。

おとといから7日間分、赤く矢印がひかれているカレンダー。
日付の下には『親方様日本に滞在』と書かれている。


「拙者は、たとえ一部分でも壊したくない」

「…そう、そうね。バジルくんはそういう子だもんね」

「…もちろん、おぬしも」


バジルくんはそれきり、たった一口だけ飲んだカップをテーブルに置いて「ごちそう様でした」と部屋を出ていてしまった。
牽制か。
自分より年下の彼はなるほど、さすが親方様の弟子だけあってあんな表情もできるのか、というくらい鋭い視線をしていた。


「何故、家光なのか、」


最初に聞かれた言葉を反芻する。

何故、理由なんて思い当たらない。
理由もないまま惹かれてしまったのだから。
心を奪われることに、そもそも理由なんてないはずなのだ。


不意にジャケットのポケットで震える携帯。
こんな時に仕事かしら、とサブウィンドウを見やれば、そこには『親方様』と表示されている。


「、もしもし?」

『おぉ、なまえか』

「はい、どうかなさいましたか?」

『いや…今バジルから連絡があってな』

「……はい」

『内容までは言わなかったが、言い過ぎた、って沈んでてよ』


結局バジルくんは悪者にはなれないのだ。
正しいことのはずなのに、悪者でさえも傷つけたくないと願うのだ。


『…いじめられたか』

「そんな、」

『…お前は何も悪くねぇよ』


電話の向こう側から直接鼓膜を揺らす、低い声。
その声音は静かで、そしてとても穏やか。


「…そうでしょうか」

『俺はお前を愛してる』


この人は、今一体どんな顔して言っているのだろうか。


『だから、お前も俺を愛してるって言やぁいい』

「…愛して、ます。当たり前でしょう」


『それでいい』と次いで聞こえた軽いリップ音。
この人は本当に日本人なのだろうか。
それともイタリアにいすぎてイタリアナイズされた?


『予定通りに帰る。それまでいい子で待ってろよ』








カラー




親方様の家は日本にある。
それなのに、「帰る」という表現を使う。

そんなさりげない言葉も、私は涙が出るほど嬉しい。


「はやく、帰ってきてください、ね」




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