『ごめんな、』


電話の向こう側から聞こえたその非情なセリフは、意味とは似つかわしくないほど悲しそうな声で紡がれた。


「…ううん、あたしは大丈夫だから、奈々さんのところにいてあげて」


たっぷりの間をあけた後、それでもあたしの口から零れるのは思ってもいない言葉。
どうやら彼の奥さんが体調を崩してしまったらしい。
電話で細かく教えてもらったけれど、悲しいかな、あたしはその事実に軽くショックを受けてその文章を全部は理解できていなかったのだ。


『落ち着いたらまた連絡すっから』


わかっているつもりだった。
彼の一番はあくまでも家族なのだ。
日本に行くという彼に同行してついてきた空港の傍のホテルのベッドで携帯を握る。

ツインなんて選ぶんじゃなかったかな。
のりがきいてパリッとしたシーツのままの、空いたベッドを見つめながら携帯の終話ボタンを押す。

でも、下手にダブルとかにしちゃったら、それでもやっぱりあたしは眠れない夜を過ごすことになるんだろうな。


枕に顔を押し付ける。
じわり、と何かがこみあげてくるけれど、最初からあたしには泣く権利なんてない。
そんな権利があるとすれば、今体調を崩して辛い中でも愛する旦那さんに看病してもらってる奈々さんだけだ。


むくりとベッドから起き上がる。

こんなんじゃダメだ。


ひとまず無駄に広いバスルームであついシャワーを浴びよう。
そしたら彼が戻ってきたときゆっくりできるように、仕事を終わらせておこう。







彼から連絡があったのは、それから2日後のことだった。
あたしは変わらずツインベッドの片方でごろごろしている。

ラフなTシャツ姿だけれど、左腕に巻かれた包帯が白く、この空間に酷く不釣合いだ。


『、なまえ』

「どうしたの、ゆっくりしてて大丈夫だよ」


本当はすぐにでも会いたいのに、少しだけ視線を泳がせてしまう。
当然ながらいくら視線を泳がせても欲しいものなんてない。

もしくは、シャマルが余計なことを言ったか。


『…その包帯は、なんだ』

「は、」


後ろを振り向けば表情をどこかに置き去りにしてきたとしか思えないほど、凍りついた表情であたしを見下ろす家光がいた。

この人はどうやらいつだって、あたしの背後をとることに長けているらしい。


「あれ、もう、奈々さんはいいの?」


いつの間にか耳元の携帯からはツーツーというコール音が聞こえている。
それでもあたしは携帯をおろすことを忘れたかのように固まったまま、笑うしかない。

それくらい、彼の表情は恐ろしいものだった。


「俺の質問に答えろ」

「…え、と」

「それとも、シャマルには言えて俺には言えねーってか」


家光がこちらに歩いてくる。
ピンと張り詰めた空気に、射抜かれてしまいそうなほど冷たい視線。

携帯を持つ右手が微かに震える。
嫌だよ。そんな目で見ないで。


「ご、めんなさい」

「…」


家光のため息が部屋の中にやけに大きく響く。
ふっと脱力して、やっと携帯をベッドの上に放ることができた。

右腕の傷は大したものじゃない。
情報収集に走り回った時ちょっとしたバカをやって、相手に切りつけられたものだ。
左腕でナイフを受け止めたせいでついた傷。
刃物傷はなかなか血が止まらなくて、傷口の割りに血液だけがどんどん流れた。
…ただ、それだけのこと。


「…大したことはねーんだな」

「え、うん、それは」


今度は家光が脱力したように、あたしの座るベッドに腰掛けた。
ぎしり、とスプリングが悲鳴をあげる。


「、家光?」

「心臓止まるかと思った」


彼はもう一度大きなため息をついて、今度はへにゃりと情けない笑顔であたしを振り返った。


「心配、した?」

「当たり前だろ」

「奈々さんは?」

「急な仕事が入ったって出てきた、」


家光の手のひらがこちらに伸ばされる。
やさしく、あたしの包帯越しに腕を撫でる手のひらが少しだけ震えてる。


「頼むから、俺のいないとこで怪我すんな」







童話



「ね、あたしって意外と愛されてる?」

「…それこそ当たり前だな。言わせるなよ」




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