アジサイが咲いている。鮮やかな色の葉にはカタツムリが這い、梅雨を喜んでいるようだった。
笠を被り直して後ろを振り向く。さっきまで追ってきていた真選組の姿はない。代わりに、遠くから俺を探す喧騒が聞こえる。
「おかえり、うわ、びしゃびしゃ」
「すまん。何か拭くものを」
「ちょっと待っててね」
鼻が効くのか効かないのかわからない幕府の犬の目を掻い潜り、姿を隠しているあばら屋へと滑り込む。
そこにいるのは、もう随分長いことこんな生活を共に続けている女だった。
玄関のタタキには黄色い、鳥の足を模したような履き物がぐっしょりと濡れている。
―見なかったことにしよう。
部屋の奧に見てはいけないものがいるような気がしたが、気づかない振りをして笠を取り払う。そしてなんとなく腹が立ち、俺は彼女がいない隙にそれを外へと放り投げた。
「エリーもね、さっき帰ってきたところ」
…やっぱりか。考えることを放棄したはずの事実が彼女によって改めて突きつけられた。
「そうだ」
「どうした」
くるくるとよく表情の変わる彼女は、梅雨独特のじめっとした空気なんて微塵も感じさせずに笑う。
「さっきね、エリーがアジサイをたくさん持ってきてくれたの」
「ほう、…どうやって食うか」
「…食べるの?」
「違うのか」
渡されたタオルで粗方拭い、部屋に入る。そこにはごく自然にエリザベスが座っている。
「エリザベス」
名前を呼べばなんですかと言わんばかりにこちらを振り向いた。
「外に足が転がっていたぞ」
俺より先に彼女の元へ帰ってきたのだから、これぐらいの意地悪は許してほしい。
足元を隠しながらこそこそと部屋を出るエリザベスに、彼女は口許を僅かに歪ませてなんともいえない微笑を浮かべた。
テーブルの上にはアジサイが新聞紙にくるまれている。
「こんなにアジサイを持ってきてどうするつもりなんだ」
「いいじゃない。折角だから飾るよ」
まるで幼い子供を持つ夫婦のような会話だ、そこまで考えて、俺は思わず赤面した。
「…小太郎、どうしてそこで赤くなるの」
途端に訝しんだ表情に変わる彼女。これはよくない。
「いや、べべ別に何も」
「…浮気したら殺しちゃうんだから」
アヒル口でそっぽを向くその仕草は愛らしいが、言っていることは物騒だ。
「そう簡単に殺せるか」
「知ってる?アジサイってねえ、毒があるんだよ」
それきり途絶えた会話。足を持って戻ってきたエリザベスは、更にアジサイを2つ彼女に贈った。
花詠み
―いや、実はな、さっきの会話がふう、…いややっぱなんでもない
―…どうしたの?さっきより顔赤いんだけど、もしかして熱?