「寒い」
下校途中、突然降ってきた雨に焦って周囲を見渡すも、そこに突然雨宿りできる空間が出現するはずもなく、傘を持たない私は駆け足で学校まで戻ってきた。
「着替えたか」
「はい」
ガラリと開いた白い引き戸は、私がいる化学室と化学準備室を繋ぐものであり、隔てるものでもある。
白衣をさらりと着こなした桂先生が、制服からジャージに着替えた私を化学準備室へと招き入れる。
「あったかい…」
雨に濡れでもしなければさして寒くもないだろう気温。それでも先生はストーブに灯をともし、そして温かいココアをマグカップに注いでくれた。
「座っていいぞ」
「はあい」
何度か立ち入ったことのある準備室だけど、こうやって授業にも部活にも関係なく入るのは初めてだ。
なんとなく化学部員として過ごした2年とちょっとを思い出しながら、新鮮な気持ちで辺りを見回す。
「それにしても災難だったな。突然降られて」
「ほんとですよ…でも学校にジャージがあってよかった!」
長い髪の毛を後ろでひとつにまとめた桂先生が、ふわりと優しく笑う。
手に持ったマグカップは温かく、優しい香りが立ち込めている。
「あぁ、雷が鳴る」
「え?」
そう、桂先生が言うと同時に光った窓の向こう。しばらくして低い音が体の芯を揺さぶって、思わず先生の顔を伺ったら先生は悪戯に私の頭を撫でた。
「"雷の仕組みを答えよ"」
「え、ええ…?!」
「元化学部員なんだからわかるだろう」
笑う先生に小さく胸の奥が痛んだ。元、という言葉に反応したのかもしれない。頭を撫でられたことに反応したのかもしれない。結局わからないまま、私は先生へ秘めていた微かな恋心が這い上がってくるのを堪えながら、完全には思い出せないその仕組みを口にする。
「えぇ、と、雲の下方にたまったプラス電気が、地面にできたマイナス電気と引き合って、空気の壁を破って火花放電を起こして、」
「そうだな、それが雷だ」
合っていたかと安心したのもつかの間。
先生は「まぁ、テストだったらバツとは言わないまでもサンカクくらいだな」と笑ってみせた。
「先生って、そんなに意地悪でしたか…?」
「こうして雨が降る中に二人でいると、どうしても教師と生徒だということを忘れそうになる」
口に含んだココアは甘い。じんわりと冷えた体に浸透していくその温もりと、さっきからずっと私の頭に置かれたままの大きな手のひら。
「少し、引き合ってみようか」
頬に寄せられたその唇に、窓の外では今日二回目の雷が光った。
落雷被害
―せ、先生、あの、
―今は、教師と生徒だということを忘れてくれ。