5週目/最初から/鞠華 ED 11
〜二冊目〜
頭が少し重いような感覚がする。
タナ子「……心拍数63、体温36.7℃。異常無し。起床気配有り」
タナ子の声がやけに近い。
ふわり。空気の流れが変わると共に頭の重さが無くなった。
俺「っ、あさ……?」
タナ子「おはようございます、マスター」
タナ子は表情を変えずに抑揚の無い声でそう言った。
事務的な挨拶に対して、俺はわざとらしく感情を込めて挨拶を返す。タナ子は少し俺から目線を逸らした。そう。何でも良いから思ってくれ。反応してくれ。
俺「さて、と」
確か今日は……。
1 学校に行かなきゃ行けなかったな
2 本の発売日だったな
3 バイトの日だよな
4 何もなかったな
>>バイトの日だよな
俺は身支度を整えた。少ない荷物を持って家を出る。
今日はバイトがある日だ。
俺のバイト先はショッピングセンターの中にある本屋だ。働く前から通っていたので、割と長い付き合いである。
俺「どうしてもついてくるのか?タナ子」
タナ子「わたしはマスターを護る為にいるのです」
こんな感じでタナ子はショッピングセンターまでついてきてしまった。
しかし流石に本屋までは連れていけないよな。
俺「タナ子……あれ?」
今まで隣に居たタナ子が居なくなっている。
一瞬焦ってきょろきょろと辺りを見回すと、耳元で誰かが囁いた。
マスターの邪魔にはならないようにします。
それはタナ子の声だった。姿は見えなくても、近くに居てくれているようだ。
少し安心して本屋へと向かう。
?「きゃあ!」
どんっ。誰かが背中に激突してきた。
一体誰だ。と顔を後ろに向けると、馴染みの顔だった。
俺「鞠華さん!」
鞠華「俺くん、申し訳ありませんわ。お怪我はありませんかしら?」
申し訳なさそうに微笑んでいたのは俺のバイト先の先輩、鞠華さんだった。
俺「鞠華さんこそお怪我は……」
俺はそう言いかけて言葉を切った。
1 無いみたいですね
2 鞠華さん膝……
3 タナ子っ!!
>>鞠華さん膝……
俺は血の気が引いていく感覚に呑まれそうになるが、それをグッと堪える。
じわり。と、鞠華さんの膝からは鮮血が滲み出ていた。
普段は足さえも育ちの良さや気品さが出ているのだが、今はそれが壊されている。
俺「鞠華さん、膝……」
鞠華「ここに来る時も何度か転んでしまいましたの。どうしてかしら〜?」
困ったように微笑う鞠華さん。口元に添えた指は微かに震えていた。
平静を装っているが、きっと痛いのだろう。
俺「鞠華さん」
スッ。俺は鞠華さんの背中に左腕を回し、右腕を膝の裏に回した。
俺の筋肉は何の為にある?
今この時の為にある!
俺「すみません、失礼します」
鞠華「えっ?きゃっ、何っ?」
グッ。腕に力を込めて鞠華さんを抱え上げる。
所謂、お姫さま抱っこと言うやつだ。
まだバイトまで時間はあったが、本屋の休憩室を借りることにした。
鞠華「手慣れていますのね〜」
俺「母親がそそっかしい人で、よく手当てしてたんです」
鞠華「そうなんですの」
軽い手当てを終えて、鞠華さんの足を見る。やはり美しい。
俺「ん?」
俺は鞠華さんの履いているパンプスを見た。踵にあるヒールにヒビが入っている。
恐らく転んだりバランスをくずしたりした原因はこれだろう。
1 少々お待ちください、お姫様
2 ヒール、壊れかけてますね
>>少々お待ちください、お姫様
鞠華「えっ?俺くんっ」
俺はそんなキザったらしい言葉を鞠華さんに残して休憩室を出た。
ここがショッピングセンターで本当に助かった。目当てのお店に入る。
俺「……困ったな」
ズラリ。と並ぶ靴達。
どれが良いのかさっぱりわからない。
とりあえず鞠華さんが履いていたのと似た形の物を見る。
俺「………あ」
ふと目に止まったのは一つのパンプス。あまりヒールは高く無いが、デザインが気にいってしまった。
正直俺の好みなんてどうでもいい。のだが、逆にここは俺の好みで選んでも良いんじゃないだろうか。
俺「よし」
手際良く会計を済ませて休憩室へと戻る。
休憩室に戻ると、鞠華さんは心もとない表情をしていた。
俺「鞠華さん?」
鞠華「俺くん!お待ちしておりましたわ」
ぱぁっ。と鞠華さんの表情が明るくなる。
これから渡す物でそれが暗くならないと良いんだが。
俺「お待たせしてしまいすみません。その、鞠華さんの普段履いている靴より安物なんですけど」
鞠華「まぁ……」
俺は壊れかけている鞠華さんのパンプスを脱がす。
そして買ってきたばかりの俺のパンプスを履かせた。
鞠華「いただいてしまっても、よろしいんですの?」
俺「はい」
鞠華「くすっ。とっても気に入りましたわ」
ふうわり。鞠華さんが笑う。俺はこの鞠華さんの笑みが好きだった。
鞠華「あら〜?まるでわたくしの髪止めとお揃いみたいですわね」
そう。このパンプスに付いている花の飾りが鞠華さんの髪止めを彷彿させたのだ。
俺「鞠華さんに似合うかな、と思いまして」
鞠華「嬉しいですわ。ありがとうございます。あの……こちらも履かせていただけないかしら?」
鞠華さんは壊れていなかった方の足を差し出す。
このままだと靴があべこべだ。
1 はい。お姫様
2 えっと……
>>……はい
俺の答えに鞠華さんが瞳を伏せる。
鞠華「一つ、聞いても良いかしら?わたくしを幸せにすると言ったあの言葉は、婚約者では無かったら駄目ですの?」
俺「婚約者じゃなかったとしても、俺は鞠華さんを幸せにします」
言葉にしてみて自覚する。
俺は鞠華さんのことが好きなのだ、と。
鞠華「そう……。わたくし、俺くんの婚約者ですの」
俺はどこかで確証があったのかもしれない。
鞠華さんは大手企業のご令嬢。
財力、権力共に申し分無いだろう。
俺の婚約者候補だったとしてもおかしくは無い。
だからこそ俺は、もしもの話と言っておきながら俺の本心を鞠華さんに話したのだ。
俺「でも、鞠華さん。好きな人がいるなら、俺のことは大丈夫です」
鞠華「何が大丈夫ですの?」
俺「えっ?その、婚約者じゃなくて好きな人と結ばれたいと……」
くすくすくす。
鞠華さんが微笑う。
俺は何かおかしなことを言っただろうか。
鞠華「わたくし、婚約者だから俺くんと結婚するなんて嫌ですわ」
グサリ。鞠華さんの言葉が突き刺さる。
振られた、のか。
けれど鞠華さんは微笑を崩さない。
鞠華「婚約者ではなく、鞠華として結婚したいんですの。鞠華を、好きになっていただきたいのですわ」
俺「鞠華、さん」
ふうわり。鞠華さんが笑う。
なんだ。俺も、鞠華さんも、確証があったのか。
俺「婚約者かどうかなんて関係無い。鞠華さんが好きですよ」
鞠華「嬉しいですわ!」
ぎゅうっ。抱き付いてきた鞠華さんを優しく抱き締め返す。
鞠華「俺くん、提案がありますの」
1 ずっと一緒ですのよ?
2 一緒に住みませんか?
>>ずっと一緒ですのよ?
まるで内緒話をするかの様に耳元で囁かれた言葉。
そんな事、言われなくてもずっと一緒だ。
俺「俺はねちっこい性格ですよ?」
鞠華「くすっ。わたくしも、執念深いですわよ?」
俺と鞠華さんの笑い声が休憩室に入り交じる。
トンッ。その声を打ち消すかのような物音に振り返るとタナ子が立っていた。
タナ子「まだ他の婚約者候補の方とお会いしておりませんが、鞠華様をマスターの正式な婚約者。と言うことで良いのですか?」
俺と鞠華さんは少し顔を見合わせる。お互いの気持ちに嘘も偽り、ましてや変わりもない。
スッ、とタナ子を見据える。
俺「ああ。俺は、鞠華さんと婚約する。結婚、するよ」
鞠華「俺くん……」
タナ子「わかりました。レイシス様にご報告します」
そう言ってタナ子はまた見えなくなった。一体どこに潜んでいるのだろうか。
それからすぐバイトの時間になり、鞠華さんと少しドキドキしながら働いた。
俺はバイトが終わり名残惜しかったが、鞠華さんと別れた。明日も、会う約束をして。
家に帰る時は横にタナ子が居たが、特に何も喋らなかった。
俺「……鞠華さんと婚約かぁ」
部屋へと入り、幸せな気持ちを抱えたままベットに身を投げる。
俺「どうするかなぁ」
この幸せな気持ちのまま。
1 鞠華さんを思いながら寝る
2 通信機に手を伸ばす
3 タナ子に惚気る
>>タナ子に惚気る
今までの鞠華さんとのこと、今日のこと、思い出せる限りの鞠華さんとの思い出をタナ子に惚気た。
俺「タナ子。俺と鞠華さん付き合うと言うか、通り越して結婚だよ」
タナ子「嬉しいことなのですね」
俺「当たり前だろ?」
タナ子を見ると、表情を変えずに、じっ。と俺を見ていた。
微かに首が傾いている気がする。
タナ子「わたしにはわかりません」
どうして嬉しいのか。そもそも、嬉しいと言うものはわからない、と。タナ子は抑揚の無い言葉でそう言った。
タナ子「でも、マスターの体温と声がいつもより高いことから、嬉しい、と言うことなのだとは、わかります」
でも、わたしには感情が無いのでわたしはわかりません。とタナ子は付け加えた。
正直、タナ子がわかろうとわからまいと俺にはどうでも良かった。ただ、この幸せな気持ちを誰かに喋りたくてしょうがないだけなのだから。
一通り喋って満足した俺は眠りに就くことにした。
俺は、鞠華さんとずっと一緒にいると決めたから。
これで婚約者騒動は無事に終わり、平穏な日常が訪れるのだと、そう、思っていた。
〜二冊目終了〜