(ギルバート女体化/聖書パロ/鬱) 俺が死ねば良いんだ、と強く思った。 受胎告知 (暖かい、な) 不意に覚醒し、彼女は見慣れない景色に戸惑った。此処は何処だろう。確か今日の自分は体調が優れず早々に床に入った筈だった。 (…ああ、これは夢なのか) 直ぐに一つの結論に行き着く。夢であるのならばこの状況も頷けた。不可思議に真白く光る温かな空間にポツリと佇む自分。辺りには何もなく何の音も聴こえてこない。 『おめでとう、恵まれた人よ』 無であった空間に突如として声が響き、ギルバートは小さく肩を揺らした。男とも女ともつかない中性的な声が不思議と脳内に語り掛けるように聴こえ、彼女は不安感を露わにする。 『ギルバートよ、恐れる事は無い』 目の前に黄金の光が零れたかと思うとその光はみるみるうちに変化し、純白の衣装を纏った人が現れた。それは大天使ガブリエルだった。本人が名乗った訳ではないがギルバートはその名をすんなりと受け入れた。そういうものなのだ、と。天使はぼんやりと彼を見上げる彼女に構わず言葉を続けた。 『貴女は神の恵みを受けて男の子を身籠もった』 「…は?」 ここで初めて彼女は声を上げた。天使の言う事が理解出来なかったのだ。子を身籠もる?そんな筈は間違っても無い。だって… 「オレは…オレは男なんて知らない」 『聖霊が貴女に降り、いと高き方の力が貴女を包んでいる。神に出来ない事は何一つ無い』 「そんな事、ある訳ないだろ…?だってオレにはブレイクが…ブレイクしか…」 天使の無機質な言葉が脳内を嫌に反響し、ギルバートは混乱した。彼女にはブレイクという婚約者がいた。結婚こそしていないが未来を約束する愛おしい存在である。その彼が、結婚するまでと残しておいてくれた純潔だった。それなのに。 「嘘だ…これは夢なのだから…こんなもの、嘘に決まってる…!!」 『虚実ではない。神に選ばれし清い乙女よ。狼狽える事は何も無い』 天使の言葉はもはやギルバートには届かない。彼女は己の身に降りかかった運命に飲まれ、その罪の意識に泣き崩れた。 ** 「ギルバート君、」 「…ぁ、……ブレイク…?」 「オハヨウゴザイマス」 声がして目が覚めた。朝日を感じているのに視界が歪みぼやけている。それに違和感を覚えたギルバートは目を瞬き、目の端から滴が流れるのを感じてやっと自分が泣いている事を知った。視界がクリアになった事で心配そうに覗き込むブレイクの視線に気が付く。 「すみません、うなされていたようなので起こしてしまいましタ。怖い夢でも見ましたカ?」 「…ブレイクッ」 両手を伸ばしてギルバートがブレイクに抱き付いた。彼はそれを優しく抱き留め、あやすように彼女を包み込んでやる。耳元で再度どうしたと問うたが、ギルバートはブレイクの肩口に顔を埋め泣きじゃくり始めてしまった。ごめんなさい、ごめん、と譫言のように何度も繰り返しながら。 「落ち着きましタ?」 「…ああ、ごめん」 暫く経ちギルバートはようやく泣く事を止めた。体力を消耗した彼女はぐったりと彼に体重を預ける。朱くなってしまった目元を労うようにそっとなぞり、ブレイクは彼女に優しく微笑みかけた。 「不安な事でもあるんですカ?君はすぐに一人で背負いこんでしまいますからネ」 「ブレイク、どうしよう…オレ…!!」 「ハイ」 「子を…身籠もったかもしれないんだ…」 「…は?」 ギルバートの言葉が理解出来なくて、ブレイクは間抜けな声を上げてしまった。彼女は何を言っているのだろうか。第一、誰の子だと言うのだ。自分達の間にその様な行為は今まで一度も無いのに。 「何を、言ってるんデス…?起き抜けで寝ぼけて、」 「夢で言われたんだ」 天使に。ギルバートは静かに話し始めた。先刻見た夢の話を。告げられた彼は絶句した。彼女がこんな質の悪い嘘を吐くような人間で無い事は分かっているし信じている。危機迫る表情で切々と訴える彼女が偽りを口にしているとも思えない。だが、だからと言って、それを鵜呑みにしろと? 「少し、時間を下さい」 そう言った彼の感情が消え去った紅を見、彼女はひくり、しゃくりを上げた。 ** これは裏切りだ。ギルバートは己に向かって吐き捨てるように罵った。もう何度目かも分からない。気が付くと胎内の小さな命の事を考えていた。愛する人…ブレイクと自分のものではない、命。彼女にとってそれはとても重たいものだった。動く事何かを口にする事、息をする気さえも起きずベッドの上で数日が過ぎた。汚い、自分。ブレイクが二人にとって本当に望まれた子供を授かりたいのだ、と自分を想って気遣ってくれたオレの処女だったのに。汚い、汚らわしい。消えてしまいたい。でも、自分では死ぬ事も出来ない。オレなんて生きている価値も無いのに。無意味に生に縋ってしまう、浅ましい。なんて浅ましいんだろうオレは。ああ、だからアイツも来ないんだな。ギルバートは自嘲気味に笑ったが、渇いた喉からは乾いた音が鳴るだけだった。 (…ブレイク) 力無く、何かに助けを求めるように上げた腕は虚しく空を切りぱたりと落ちる。無情にも陽は傾き、今日も一日に終わりを告げた。 神の福音は時として残酷である。若く清らかな夫婦の選ぶ未来に果たして希望はあるのだろうか? いっそ彼女を殺して自分も死のうか。幾度となく思考を重ね、行き着く結論は常にこれだ。ギルバートを疑いたくはないが、自分との間に性行為は一度も無かったのだから100%私の子供でない事は確かである。その妊娠が明るみに出れば姦淫の罪でいずれは彼女自身が裁かれてしまうだろう。夫以外に体を許す事は犯してはならない大罪、つまり死を表す。他人の手によって愛しい彼女が殺されるのならば…それならばこの手で。何度彼女の家の前まで訪れたことか。何度彼女の部屋の窓を見上げたことか。結局は出来ないのだけれど。私はこれほどまでに彼女を、ギルバートを愛している。幾ら已むを得ない状況であっても、それだけは出来なかった。彼女の為自分の為にも――彼女を殺す、というのは極論過ぎるが――少なくとも離れなくては、と思うのに思い浮かぶのはギルバートの事ばかり。彼女の声、仕草、真白く細い躯、全てが愛おしい。くるくると忙しく変わる彼女の表情も。拗ねたように尖る唇、恥じらう真っ赤な頬、焦った顔、そしてはにかんだ笑顔。どれもこれも、私のものだったのに。 (…ギルバート) 嗚呼、彼女に逢いたい。堪らず覆った紅の隻眼からは一筋の滴が零れた。夜空に浮かんでいる筈の月は、どんよりと澱んだ雲に隠れ見えなくなった。 END 「ルカによる福音書」より (2011 Christmas) |