ギルバート女体化/鬱/若干の性描写

















それは極上の甘い罠。しとどに蜜で濡れた花弁は獲物を誘い、漆黒の闇へと突き堕とす―――




「んっ…ふっ……あッ」


部屋に充満するのは咽せ返るような汗と性の匂い、あられもない女の嬌声に欲で濡れた男の呼気。ぐちゅぐちゅと水音を響かせ二人は寝台の上でもつれ合っていた。


「ふっ、あんッ!…ふしぎな、ちから…ッ、て、なに…?」

「あ?…ああ、ある日天から聞こえてきたんだ…ッ、神の声が」

「神、サマ…?」

「過去を変えたくないか、と」


男が答えた瞬間女の口元が歪んだ。快楽からか、それとも…


「…なあ、代価を、貰っても良いか?」


狂喜からか。
女の口調と表情の変化に戸惑った男は律動を止め、跨る相手を見下ろした。女は歪んだ笑みを更に深め、緩慢な動きでシーツの下から黒い塊を取り出す。細い指先には似つかわしくないそれを男のこめかみに充て、鳥肌がたつような妖艶な表情で嘲笑った。


「さようなら」


まるで質(たち)の悪い娼婦のようだ。夜の闇に溶ける鴉は自嘲した。




「夜分遅くまでご苦労様デス」


今晩の任務はこの部屋で、資料によれば相手は黒髪長身の不男だった筈だ。ギルバートは瞑目し、本能的に一歩後退った。彼女を待ち構えていた男は胡散臭い笑顔を貼り付けてはいるが、目が全く笑っていない。自分はこの表情を知っていた。


「なっ…んでお前がここにいるんだ?」

「サテ、何ででしょうネェ?」

「…っ!!」


パシリ。痛いくらいの静寂の中、肌と肌がぶつかる音が響いた。追って、奥歯を噛み締める音と人を食ったような声が静かに落ちる。


「オヤマア。ナイトレイのお嬢様が直ぐ他人に手を上げるなんて、感心できませんヨォ?」

「ッ、ウルサい!!手を離せッ」

「イイデスヨ?」


君が逃げないと約束するのならば。ギルバートが振り上げた腕を捕まえた手と逆の空いた手で、彼女の顎を掴み耳元で囁いた。まるで情事の始まりの合図のような甘いその響きに、反射的にひくんと身体が揺れる。息も触れ合いそうなくらい近くに移動してきた男の紅眼を睨み付けた。


「オレは忙しいんだ!」

「お家(ナイトレイ)のお仕事の事ですカ?ソレならワタシがヤっちゃいましタ〜☆」

「は…?」

「ダカラ、そこに転がってる冷たい男なんかじゃなくワタシと楽しいお茶会をしませン?ネェ、レイヴン…」


困惑の色を混じらせた月色に笑みを深め、道化師は迷子の鴉を更に森の奥深くへと導いた。




「こうやって並んでお話しするのは久しぶりですネ。どうデス?近頃のナイトレイ家は」

「……」

「だんまりですカァ?反応が無いと流石のワタシも寂しいデス」


部屋に備え付けられたソファに肩を並べて座り、ブレイクはギルバートに話し掛けた。しかし、俯いたままの彼女はボトムスをギュッと掴んだまま動かない。彼女は先程からずっとこの調子だ。


「お仕事、辛くないですカ?」


そっと彼女の頬に指先を触れ優しく問い掛ける。びくりと大袈裟なまでに肩を揺らした彼女に構わず、彼は言葉を続けた。


「心根の優しい君には些かキツい任務ばかりデショウ?逃げ出したくなったのならば、ワタシの元に来ても…」

「黙れ!!」


頬に添えられていた手を力任せに叩き落とし、ギルバートがブレイクを睨んだ。何かを押し殺したように苦しげなその表情に、彼の瞳も鋭くなる。


「今更オレに構うな!!オレは任務だって一人でこなせるし辛くだってない!!」

「しかし、」

「もう、止めてくれよ……優しくなんてしないで…」


顔を逸らし立ち上がろうとしたギルバートの腕を先に掴み、逆に強く引いたブレイク。バランスを崩した彼女を、そのまま自分の胸に閉じ込めるようにして抱き締めた。一瞬、何が起こったのか分からなかった彼女は彼の腕の中で呆然としている。


「ワタシは心配なんですよ、君のことが」

(…ウルサい)

「君がいつ任務のせいで傷付くんじゃないカ、」

(ウルサいウルサい)

「いくら鴉がいるからって、ギルバート君は女の子なんですカラ、」

(ウルサいウルサいウルサいッ!!!)


堅く閉ざされた瞼に、ブレイクは優しくキスを落とした。ギルバートの悲痛な叫びなんて知らずに。壊れ物に触れるような、ほんの軽い口付け。しかしそれは飽和寸前の彼女の理性を崩すには充分だった。ギルバートは、目の前の彼の唇に噛み付くように自分のそれを重ねた。彼女の纏う雰囲気が一気に変わり、ブレイクは少し戸惑う。


「はッ…ギルバート君?」

「浅ましいだろう?」


見上げた彼女は歪み諦めきった顔で自嘲っていた。何時の間にか押し倒され、ソファに背を預けている自分に苦笑する。涙が零れ落ちそうな目元に指先を伸ばすとまた叩かれた。


「ほんの少しの刺激でカラダが疼くんだ」(これ以上オレを見ないでくれ)

「本能が、快楽を追い求めるんだよ」(心を掻き回さないで)


厭に冷静な口調で吐き捨てながら、ギルバートは妖しげな手付きでブレイクのシャツの裾から指先を侵入させた。滑らかな肌を筋を辿るように撫ぜ、相手を挑発する。これは生きる術だ。


「オレにはこの生き方しか無いんだよ。こんな生き方しか知らない」(全てが崩れてしまうから)

「醜いだろう?軽蔑すればいいさ。ありのままの、穢れたオレを…!!」(もう、戻れない)


声を荒げて叫んだ瞬間、ぐるりと世界が反転した。ブレイクに押し倒されたんだと理解したとき、ギルバートは心の底から可笑しくなった。ああ、コイツも結局は同じなんだ。今までの男とおんなじ。心が冷えていくのを感じた。反対に無意識に口元は嗤ってしまう。


「なあ、お前もオレを抱くか?今までオレを抱いてきた男共は皆、オレの身体は極上だと賛美したんだ、」


パンッ、と乾いた音が室内に響いた。見上げると凍ったように冷たい紅色に射竦められる。感情の籠もらないそれはただただ怖ろしくて、ひくりと喉が上下した。遅れて、叩かれた頬がじんわりと熱い。


「君は汚くなんてない。何処までも、気高い純白に染まっています」


ふ、と空気が緩み、ブレイクが淡く微笑んだ。紅に温度が戻り、体温の低い指先が今度は労うように優しく頬を撫でる。


「もっと自分を大事になさい。君がいなければ護るべき大切なものも護れませんよ」


優しい言葉が指先が、頑なな心を溶かしていくようだった。本当はいつでもこわかったんだ。男に媚びて汚れていく身体が。好きでもない男に抱かれる度、機械のように冷めていく感情が。音を立てて壊れ消えていく自分自身が。必死に保とうとした心と体の均衡はとっくに崩れていた。それでも爪先立ちで掻き集めた脆い砦のなか、震えながら膝を抱えて強がってきたのに。


「…いたい、」


いとも簡単に、この男はオレの虚勢を破っていった。染み込むように勝手に心の内に入ってきてオレの心をぐずぐずにして。ギルバートの月色から大粒の涙が零れた。堰を切ったようにボロボロと零れ落ちるそれを、ブレイクがそっと拭う。彼女は幼子みたいに声を上げて泣いた。


「いたい、ほっぺた、いたいよ…こわい…こわ、かた…」

「ごめんなさい。痛かったですね。もう、平気ですから。ね、ギルバート…」

「ぶれ、く…!」


縋りついて泣く彼女をあやすように抱き締め、ブレイクは優しく背中をさすった。肩口はすぐに涙で濡れ、背に回された指先は小刻みに震えていた。暫くして肩の違和感が重みに変わり、規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやらギルバートは泣き疲れて眠ってしまったようだ。


「ヤレヤレ、手のかかるお嬢サマだ」


ブレイクは独りごちた。彼女の身体を自分の上着で包み込んで抱え直し、窓枠へと近付く。そのままひらりと飛び越え夜闇に溶け込んだ。



瓦解



さ迷い続けた鴉はやがてひとつのシルクハットを見つけた。誘われるように近付き、空洞を覗き込む。暖かそうだった。休息を取りたかった。鴉は帽子に入りその月色を閉じる。疲弊した脳では疑う事さえ億劫だった。なかは甘い香りがした。

鴉が堕ちたのは甘い罠だったのか、それとも――


END



2011/2/5 沫金
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