ブレイカー

 朝起きたら桜ちゃんが居なかった。
 時が来たのと思うと同時に胸を圧迫する寂しさを感じる。いつしか終わる夢物語だと分かっていたけれど、今まで生きてきた中で一番短く感じた二週間だった。
 朝から慌ただしく動き回る士郎達を見送り出勤すれば、仕事場に青い槍兵の姿は無い。まるで初めから存在しなかったと言うように何も言わないマスター。何も変わらぬ日常が寂しいと思うのは、何故だろう。
 決戦は柳桐寺だと士郎は言っていた。たしかにあの場所ならば聖杯が育つに相応しい。汚染された聖杯に興味はないけれど、また士郎と凛ちゃんと桜ちゃんとイリヤちゃんと。セイバーさんとアーチャーさんとライダーさんとランサーさんと、ギルガメッシュと。文句を言い合いながら、皆で一つの食卓を囲めればいいと。
 自分の目の前にある小さな幸せを願いたいと思う。
 残る敵サーヴァントは三人。
 キャスターと柳桐寺を守るアサシンと、ランサーさん。
 死の呪いを携える槍を士郎達に向けられるわけにはいかない。士郎とセイバーさん、それに凛ちゃんには桜ちゃんの元まで辿り着いてもらわないといけないし、ギルガメッシュはどこかへ行ってしまったし。
「人数不足だなあ」
 何気なく呟いた声は誰にも聞かれず消滅する。
 あの子達は私が出る事を良しとしない。存在しない八組目が此度の聖杯戦争に関わるのは反対だと、全身で嫌悪感を顕わにする。
 ならばどうする? 気付かれないようについていくか、それとも……先回りをして、障害物を排除するか――。
「いけないいけない」
 考えついた選択肢を打ち消し、今一度己の役割を頭にたたき込む。
 私は攻撃する側の人間ではない。あくまで護るものだ。
 ならば、選択肢は一つ。
「士郎」
 身支度を整える攻撃者に声を掛ける。
 倒すべき敵の前に、お前の正義は喜びを覚えているのかと。言えるはずの無い言葉を飲み込んで、共に行く旨を告げる。
「な、何言ってんだよ彩香!」
「初めに言ったわよね? バックアップするって」
「そりゃ……たしかに、聞いたけど。でも駄目だ! 彩香をあんな場所に行かせる訳にはいかない!」
 頑なに頷こうとしない士郎の頑固さに頭が下がる思いすら覚える。衛宮の名を戴く男は、貴方に似て頑固に育ってしまったようです。
「サーヴァントを従えていない彩香さんは足手まといになります」
 きっぱりと言い切る凛ちゃん。
「そうだ、彩香。ギルガメッシュはどうしたんだ?」
「ん? ギル様ならどっかふらふらしてるんじゃない?」
 戦争に乗り気でない私に合わせてくれるギルガメッシュは、ほとんどを子供の姿で過ごしている。最終戦といっても、私がやる気を出さない限りギルガメッシュが自ら参戦する可能性は低いだろう。
「ふらふらって……それでいいのかよ」
 がっくりと肩を落とす士郎の頭に手を置き、玄関の戸を開ける。肌を刺すような冷たい空気が心地よい。
「いつまでそうしてるつもり? 士郎。早く行かないと時間がなくなっちゃうわよ」
「ちょ、ま、まてって!! 彩香!!!」
 慌てる士郎達を後目に、暗闇へと足を踏み出した。



 境内へと続く長い階段に立つ美丈夫。
 長い髪と長い得物を構え私達を阻む男。
「初めまして、今晩和。通してもらいたいんですけど、かまいませんかね?」
「ちょっ!」
「これはこれは、面白い女子だ」
 綺麗に笑う姿は眼福。まさか今日という日まで目の保養が出来るとは思ってなかった。これは役得だ。
「だが、残念ながら通す訳にはいかぬ」
 通りたいならば倒していけ。目で語る姿は侍を彷彿させた。着ている服装といい、おそらく名のある剣士なのだろう。
「そういうなら相手になるわ。アーチャーさんが!」
「彩香さん!? 何言ってるんですか!」
 勝手に自分のサーヴァントの名を告げられた凛ちゃんが牙を剥く。場違いな声音に士郎は閉口し、セイバーさんは素知らぬ顔。そして名前を出された当事者は「ふむ」と声を落とし。
「いいだろう」
「アーチャー!」
 干将・莫耶を両手に携え、赤い英霊が私達の前に歩み出た。
「凛、彩香の言うことも一理ある。ここは私が抑えよう。お前達は先に行け」
「ッ!」
 冬の城を彷彿させるのか、凛ちゃんの顔色が優れない。だがそこは魔術師。固く閉じた目を開いた後は、己のサーヴァントではなく近くて遠い戦地を見つめていた。
「必ず追いつきなさいアーチャー」
「愚問だな」
「そうだったわね。馬鹿を言ったわ。行くわよ、衛宮君」
「遠坂!」
 攻撃してくるかもしれない男の横を躊躇いなく通り過ぎる凛ちゃん。
「待ってくれ!」
 慌てて後を追う士郎……ちょっと情けない。男の子が女の子に先陣を譲ってどうする。
「アーチャーさん」
 三人が上方に行ったのを確認し、赤い英霊に話しかける。
「なんだね彩香」
 視線すら寄越さず言葉を紡ぐ背中を軽く叩いて。
「たまには肉じゃがが食べたい」
 献立の催促をした。
「――考慮しよう」
「うん、お願いね」
 そうして私もまたアサシンと思われる人物の横を通り過ぎる。長い長い階段にも終わりがあるように、全ての現象には終わりがある。それは一日だったり一生だったりと長さは様々だが。
「聖杯戦争、か」
 夜風に煽られる髪を抑え、少し遅れて三人の元へと辿り着いた。
緊迫した空気が大気を凍らす。登り切った階段の上に広がっていたのは、キャスターランサーペアと対峙する士郎達の姿だった。易々通してくれないだろうとは思っていたけれど、まさか二人が共闘の関係にあるとは思っていなかった。
「今晩和、良い夜ですね」
 緊張からかピリピリとした雰囲気を纏う士郎の前に一歩出る。
「お前は――」
「おう、昨日ぶりだな嬢ちゃん」
 フードの下で顔を歪めるキャスターと、乾いた笑い声を上げるランサーさん。
「士郎、何をぼさっとしているの? 貴方たちはここで足止めを食ってる場合じゃないでしょ。早く桜ちゃんを助けにいきなさい。正義のヒーローさん」
「彩香、貴女一人でサーヴァントを相手にするつもりですか?」
 愚かな選択だと窘めるセイバーさんの声に、自然と口元が緩んでしまう。綺麗な子に心配をされるというのは気分が良い。
「士郎とセイバーさんと凛ちゃんには目的があるからねー。特に何もない私はここでお留守番ってことで」
 だから早く行けと言外に告げれば、士郎が苦い思いを吐き出す声が耳に届く。そう、衛宮士郎はいやというほど知っているはずだ。衛宮彩香は言葉に出した事は必ず実行する人物だということを。
「ほらほら、さっさと行く」
「――ッ。無理はするなよ彩香」
「それは士郎に言いたいなぁ……貴方いつも血みどろで帰ってくるんですもの。洗濯する方の身にもなりなさい? 血って本当落としづらいんだから」
「あぁ……分かってるよ、姉ちゃん」
 あまり呼ばれない呼称に思わず振り向いてしまった。士郎よ、それは反則事項だ。うかつにも高鳴った心音の落とし前は必ずつけてもらおう。
「させないわ!」
 詠唱無しで発動する魔力にセイバーさんが剣を構える。
「それはこっちの台詞。若者の邪魔しないであげてくれる?」
 向けられた魔力は数メートル前で霧散する。当たらない事は初めから承知だったのか、キャスターさんの初撃に合わせるように、ランサーさんが距離をとった。
 赤い槍が来る。確信に似た思いに片足を踏み出す。
「士郎、早く行きなさい。貴方たちがいるとちょっとだけ不利になる」
「どういう意味だよ」
「男なら四の五言わないの。ほら、駆け足!」
 洞窟の方を指さすのと士郎達が走り出すのは同時。そして、大気が凍るのも。
 真名を持って深紅の槍が飛翔する。距離は十分、狙われているのは一人。
「悪いけど、遠距離を得意としてるのは貴方だけじゃないのよ? ランサーさん」
 甲高い音を立てて深紅の軌跡が火花を撒き散らす。
「どこまでも邪魔な女ね!」
「美人さんに褒められると気分が良いわ」
 士郎に向けられた軌跡は巨大な花を彷彿させるシールドによって阻まれる。ロー・アイアスとは異なる花弁は散ることなく、槍の呪いを防ぎきった。
「おいおい、マジかよ」
 手元に槍を戻し、青い英霊が楽しそうに口角を歪める。赤い瞳は好敵手を見つけたと言わんばかりに輝き私を映し出す。ランサーさんに見つめられるのは嬉しいけれど、獰猛な色を孕んでいるせいで落ち着かない。どうせならこう……優雅にお茶でもしながら……。
「随分と余裕ね」
 次々と打ち出される魔法は数日前の夜を彷彿させた。あの時は墓場だったが、今回は境内。壊れるものはあまりないし、逃げるには十分な広さがある。士郎達はきっと聖杯を破壊するだろう。私はそれまで二人を抑えておけばいい。
 護るのは昔から得意だった。
「なぁ彩香。油断大敵って言葉、知ってっか?」
 だから、油断した。
 キャスターさんに重なるように距離をとっていたランサーさんに気付き先程の護りを展開させたが、彼が持っていたのは深紅の槍ではなく。
「な、に?」
 護りを通過して、胸元に走る衝撃。
 血は出ない。ただ、熱い。
 勝ち誇ったようなキャスターの顔が見える。それと共に、どこか幻滅したようなランサーさんの顔も。
「はっ……」
 視線を下ろし熱さの原因を視認する。胸から生えているのは歪な形をした短剣。それが何なのか頭を悩ます私に、「ルールブレイカー」とキャスターの声が届いた。 あらゆる魔術による生成物を初期化する短剣だと、魔女が語る。
 左手で刺さっていた剣を引き抜いても血はおろか、傷一つ付いていない。ただ……左手が熱い。
隠していた令呪を発現させたのにうっすらとしか文様は現れず、数秒の内に完璧に消えた。
「これで貴女は本当に独り。私達に勝てるのかしら? お嬢さん」
 どくどくと脈打つ心音が煩い。
 視界が歪むのは痛みのせいか、それとも悔しさからか。
「は……は」
 漏れた音は嘆きにも笑いにもとれる音程で、色々な感情が渦巻き胸が熱くなる。
「いつまでそうしてんだ? 彩香。構えないと殺しちまうぜ?」
 つまらなそうな声でランサーさんが言う。そんな彼の声に僅かな寂しさを覚えながら、荒い呼吸を落ち着けるよう深呼吸して目を閉じる。
 ぼやける視界、消えた令呪……切れた因果。
「はは」
 今度はしっかりと笑えただろうか。
 暗闇の中で誰かの声が聞こえる。それはあの泥の中で聞いた音に良く似ていると思った。
「ほんと、運命って不思議なものね」
 言って、目を開ける。

 パキリ、と何かが割れた音がした。
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