数日前に秋か冬の気候帯に入ったことは、計測値においても体感においても明らかだった。
今日は朝から雲も風もない晴天に恵まれ、透みきった大気の中を通る全ての音も光も煌めきが増して世界は一層輝いて見えた。夜になった今は、放射冷却により気温が一気に下がり氷点下になった。これは間違いなく、真冬の冬島近辺を航行中ということだ。

急きょ発明されたフランキー特製コーラストーブが幾つか船内に置かれたが、燃料節約のため、夕食を終えた全クルーがこのアクアリウムバーに集っていた。
少しでも火の近くで暖を取りたいが為に、各々が床に毛布やクッションを敷き、ストーブを中心にキャンプさながらの様子で肩を寄せ合うように円陣を作っている。

ウソップの計らいによりランプを全て消した暗闇の中で、アクアリウムとストーブから放たれる水色と橙の揺らめきだけを灯りにした空間はとても幻想的で、心に安らぎをもたらしてくれた。
深々と音もなく冷える外の気配となだらかな彩光の中で、時間はゆるりと流れ、互いに交わす言葉も静かで長閑だった。その密やかさはまるで、夜中にベッドを抜けだした悪戯好きな子供達が、秘密基地で大人の世界について考察する密会のようだった。

風呂から上がった剣豪は、しばらく熱燗を飲んでいたがすでに眠りに落ちていた。
考古学者と船大工そして音楽家はチーズとホットワインを手にしながら、狙撃手と船長は寝そべってトランプに興じながら、船医と料理人は銘々に読書に耽りながら、そして私は自慢の蜜柑を頬張りながら、時折ぽつりぽつりと話をしていた。

「あれ・・・もう蜜柑ねェのか」

長らくトランプに集中していたルフィが、ふと顔を上げてかすれた声をあげた。
ウソップにやり込められて唸りながら頭を掻きむしっていたせいで、黒髪の毛先が色々な方向に乱れて、いつもよりも多く額に掛かった毛先がより童顔を際立たせていた。

「ん、ごめん最後の一個だった」

私は、そんなルフィの顔を可愛いと無意識に思いながら返事をした。

「・・・おれもっと食いてぇな」
「・・・取ってきてあげようか」
「え・・・うん」

刹那沈黙が流れ、ぱらり、と船医が頁を繰る音だけが響く。

「?なぁに?」
「いや・・・」

珍しく言葉を濁し、惑った瞳を私に向ける。でも戸惑う意味が解せない。
何故かそれ以上言葉を続けないルフィ。その不自然な間合いに、ようやく私は自らの放った素直すぎる言葉の深意と、少し上がった心拍数に気づき、言い訳を探す。

「ちょうど天気を確認しに行こうと思ってたから、ついでに、ね」
「・・・そっか」

そう言って視線を落としたルフィから目が離せないのは、ストーブの炎が瞳に映りこみ、あたかもそこに熱情があるかのように、ちらちらと赤く燃えているからだ。
色の無いはずの会話にさえ色が灯るような錯覚までも引き起こす。
こんなに皆が近くにいるのに、突然二人だけの時間が流れている気がした。
この会話を、もっと続けたい。二人きりで。

「運ぶの、手伝って」

ルフィに伝わって欲しいのか分からない下心を籠めて言う。

「あぁ」

当然、といわんばかりのあっさりすぎるその返事が、またもむやみに心を弾ませる。
私達はよくこんな掛け合いをすることがある。端的でもそこに言葉以上の何かがあるように感じさせてくれる、情感に富んだ雰囲気。
この前がいつだったか思い出せないけれど、堪らなく好きだ。

ルフィがおもむろにコートを掴んで、歩き出す。私も後に続く。
ふとロビンと目が合った。とろり、とワインを揺らしただけで何も言わない。
扉に近づくにつれて、冷気が火照った身体を包んでいく。
外に出ると、あまりの温度差に顔が痛いくらいだった。
甘美な余韻に浮かれた頭も冷やされるようで、思わず長く息を吐くと、ルフィも同じように隣で白い吐息を確認していた。

「それ・・・まだ持ってたんだ」
「ん、気に入ってんだ。こっちの袖も取ったから動きやすいし」
「そう」

どちらからともなく、笑顔を交わす。かつて自分のものだったコートから逞しい腕があらわになっているのがなんだかくすぐったい。
歩き出した二人の間の距離は、肩が当たるか当らないかの近さ。
氷のように澄んだ空気の中で、甲板の軋む音だけが妙に大きく響く。

ルフィは蜜柑畑でも時折息をわざと大きく吐いては白さを楽しんでいた。
言葉少なめな姿は、彼の心髄の静けさや孤独を感じさせてくれる。
それは不安感をもたらすこともあるけれど、今日は吐息を感じる距離にいるせいか、安堵感を与えてくれた。

採った蜜柑をルフィのコートのフードに入れて、私達は甲板に戻ってきた。
錨泊中は進路確認は不要とはいえ、気象が突如変わることもある。
潮の流れを確認したついでに、風向、気圧、湿度も確認する。

「雪・・・降んねェのかな」

ルフィが空をじっと見上げて、ぽつりと呟く。
ドラムの雪山であれだけ過酷な経験をしても、まだ雪を切望する。
たった一度だけ逢った運命の女を偲ぶような、そのあまりに恋しげな横顔に、私は何故か嫉妬を覚えた。


降雪の必須条件は、氷点下以下の気温、空気中のチリ、水分。
船上で−2℃だから上空の気温も間違いなく氷点下だろう。
湿度も低くほぼ無風の今なら・・・もしかすると、出来るかもしれない。


「ナミ?」

私は取り出した天候棒から"冷気泡"を空へ放ち始めた。
雪を安定して長く降らせるには、通常のレイン=テンポよりも多くの雲が要る。
しばらくして、メインマストの上空に、小さいながらも厚めの雪雲を作り上げた。
あとは雲の中で氷の粒が大きく成長するのを待つだけ。

「・・・多分、少し時間かかるわ」
「うん」

多くを語らない私の意図を察してか、ルフィも傍でじっと見上げるだけで何も聞かなかった。
雪が降るかどうか保障もないのに、こいつはもう信じている顔をしていた。
普段待つ事があれほど苦手なのに、今は呼吸すらひっそりとさせながら、ひたむきに待っていた。あどけなさと精悍さが混じる表情に目を奪われる。
二人の白い息だけが僅かな風に乗って時を刻んでいた。

どれくらいそうしていただろう。
もう、降らないかもしれない。雨粒すら落ちてこない。
条件が揃わなかったか、と思い始めた時。


「あ」

沈黙を破ったのはルフィだった。私が雲から視線を移すと、
ルフィの鼻がほんのり赤く染まっていた。
そして、その鼻先をくすぐる様に六花の紋が舞落ちる。

「あ・・・!」

幾つもの白い小さな雪帽子が、ふわりふわりと二人を囲むように舞っていた。

「ほんとに降った・・・」
「すげェ・・・ナミ・・・おまえほんとにすげェ!!」

ルフィは嬉々として息を弾ませながら、私の身体をぎゅうっと掻き抱いた。
冷たい耳と柔らかな髪が頬に押しつけられ、ルフィの匂いが香る。

「!・・・今日は、たまたまね。条件が良かったのよ」

何時でも成功すると思われても困るのでそう謙遜して言うと、
ルフィは私の肩を掴んで身体を離し、真剣な黒い瞳で私を見つめた。

「たまたまでも、こんなのナミにしか出来ねェだろ。すげェよ!」
「・・・ん、ありがと」

真正面から褒められて気恥ずかしかったけど、喜ばせることが出来て嬉しかった。

二人の間を雪がちらちらと横切る。
私はコートのポケットからかじかんだ両手を出し、雪の華を受け止めた。
冷え切った掌の上で、瞬く間だけ結晶は形を顕わにして、融けゆく。

「手、真っ白」

そう呟きながら、ルフィは自分の両手で私の手をそっと包み込んだ。
雪の結晶を掬う様に、優しく柔らかく。

「・・・すげェ冷えてる」
「・・・うん」

こいつはこうやっていとも容易く一瞬で少年から男へと変貌する。
その境目はいつも曖昧で唐突で、官能をくすぐる。

「積もるかな、雪」
「どうかな・・・」
「蜜柑食って暖まったら雪合戦しようぜ」
「ん」

ルフィは私の片手を繋いだまま、アクアリウムに向かって歩き出した。
ドアの開閉と同時に離れる手。束の間の温もりも忘れるような、ストーブの熱気。
彼が皆に降雪を告げると、ロビンが素敵ねと言って微笑んだ。


------------
読んで下さった皆様、素敵な企画を立ち上げてくださった主催者様、
どうもありがとうございました。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -