勢い任せで高杉にタンカを切り、神威くんに非常に申し訳ない事をしたあの日から数日、彼の言葉の意味をずっと考えていたけど、考えれば考えるほど、わからなくなっていた。まさか私があの自己中でろくでもない不良を好きだなんて、とてもじゃないけど信じられない。恋なんてした事ないけど、雑誌や漫画、テレビの恋愛ドラマなどから私が認識していた恋というものとは全然違い過ぎるのだ。恋ってもっとこう、甘いものだと思ってたから。だけど私と高杉の間に甘いなんて言葉は一つ足りともない。本当にこれは恋なのか。神威くん、絶対間違ってるよ。何度もそう思った。それなのに、神威くんの言葉通り、高杉の事が好きだと仮定してみたら、今までの事全てがすっぽり纏まってしまう。だから謎は深まる一方で、遂に耐えかねた私はこれを打破するため、ある場所へ向かった。

「あら、菜摘ちゃん。珍しいわね。Z組に来るなんて」
「…妙ちゃん。今時間大丈夫?…ちょっと聞いて欲しい話があるんだけど」

それは一か八かの賭けだった。問題児ばかりが集められているクラス、3年Z組。いくらそこに用があると言っても、Z組は高杉のクラス。ヘタをすれば顔を合わせてしまう。万が一あいつがいたら全速力でUターンしようと思っていたけど、そこに高杉の姿は見当たらなかったので、家が近所ということもあり昔から親しくしている、志村妙ちゃんに声をかけた。最近はさっぱり連絡を取る事もなくなっていたけど、赤本を広げている他の友人にこんな話を出来る筈もなく、頭に浮かんだのは妙ちゃんしかいなかったから。男子には怖がられている、なんて話も聞く事もあるけど、私には昔から良くしてくれている彼女は、相変わらず優しく、昼休みの時間を割いて、私の話を聞いてくれた。

「そうねぇ。夜兎工の男の子が言うように、私も菜摘ちゃんはその彼の事が好きなんじゃないかと思うけど」
「でも…」
「菜摘ちゃんは、その彼が他の女の子と一緒にいるのを見たりすると苛々するんでしょう?それは嫉妬じゃないかしら。それに、彼の事を考えると感情の起伏が激しくなるのも、菜摘ちゃんが彼の事を好きだからじゃない?…あのね、菜摘ちゃん。あなたの言う通り、最初は誰もが恋なんて甘いものだと思っているの。だけど実際の恋なんて、嬉しい事や楽しい事の方が少ない。苦しい事や辛い事の方が多いのよ。特に、菜摘ちゃんみたいに順番を間違えてしまうとね」
「…」
「だけど、その苦しさがあるからこそ、楽しい事や嬉しい事がより幸せに感じられるの。それが恋よ」
「でも私は…あんなやつの事は…」
「好きじゃないって言うの?…じゃあどうして何度も彼の呼び出しに応じたりしたの。どうして他の男の人じゃダメなの。菜摘ちゃん、恋は頭でするものじゃないのよ。心でするものなの」

妙ちゃんのその一言に、今まで曇っていた何かが晴れていくような感覚がした。「恋は頭でするものじゃない。心でするもの」、確かにそうなのかも知れない。私は、欲求不満を解消するためになんかじゃない。始まりこそ飽き飽きしていた毎日へのいい刺激になるかもしれないなんて興味からだったのかもしれないけど、何時の間にか高杉の事を好きになっていて、だから何度もあいつの呼び出しに応じて、あいつが他の女といるのが苦しくて。何時から好きだったかなんてハッキリとはわからない。だけどきっと、高杉に屋上で会ったあの日から、私の恋は始まっていたんだ。私は、高杉が好きなんだ。そう思うと、自然と涙が零れる。そんな私の肩を、妙ちゃんは優しく擦ってくれた。

「菜摘ちゃんを苦しめてるその彼を殴り倒してあげたいところだけど、あなた達はまだ何も始まっていない。気持ちを伝えなきゃ、何も始まらないのよ」
「…うん。ありがとう…妙ちゃん」

妙ちゃんの言う通り、確かに私はまだ高杉に何も伝えていない。だから何も始まっていない。気持ちを伝えなきゃ、何も変わらないし、何も動かない。だから、伝えたい。スタートラインに立つ前に終わりになんてしたくない。そう思い、涙やら鼻水やらの汚いものを、持っていたポケットティッシュで拭い、立ち上がった。

「妙ちゃん、私行くね」
「頑張って、菜摘ちゃん。彼…高杉くんなら今日は登校してたから、多分屋上にいるんじゃないかしら」
「!」

その言葉に、目を見開いた。だって、私はその彼が高杉だなんて一言も言っていない。驚く私の顔を見て、妙ちゃんは優しく笑った。きっと私は、言われるがままに勉強しかせず、他に学ぶべき大切な事を何一つわかっちゃいない子供だったんだ。周りに流される自分に嫌気がさしたのは、不満じゃない、成長へのサイン。そして、屋上で叫んだあの日、高杉に出会ったあの日から、私は変わり始めたんだ。だから走った。また走った。高杉がいるだろう屋上へと。あの日と同じように。また一歩、新しい自分になる為に。

「居た…」
「…また叫びに来たのか?」

妙ちゃんの助言通り、高杉はあの日と同じように、屋上の給水塔の上にいた。息を切らせている私を、射抜くような瞳で見据える高杉。息切れのせいか、緊張のせいか、普段よりも幾分か早くなっている脈拍を抑えながら、給水塔の上へ登り、彼の隣に腰を降ろした。

「ねぇ、高杉。私じゃない女と寝て、欲求不満は解消された?」
「…そういうお前はどうなんだ。神威との相性は良かったか?」
「さぁ。神威くんとは何もしてないから知らない」
「はぁ?ホテルに行って何もしてねぇだと?」
「そうだよ。…ねぇ答えて。私以外の女と寝て、欲求不満は解消されたの?」
「…さぁな」
「…高杉、前に聞いたよね?他の女と寝るのが気に食わないのかって。…答えはイエスだよ」
「…」
「私は、高杉が他の女と寝るのは気に食わない。…それから、あんたは私の欲求不満を解消してやるって言ってたのに全然解消されないの。どうしてだと思う?」
「さぁな。相性が悪りィからじゃねェのか」
「…違う。私の欲求不満が解消されないのは、あんたと気持ちが通じ合わないから。高杉の気持ちがわからないから。私の事をどう思ってるかわからないから。私の事を好きだって言ってくれないからだよ」
「…」
「私は高杉が好き」

心臓の音が今までにないほど大きく聞こえるような気がする。上体だけを起こしている高杉の隣に座っていたのが良かったのか悪かったのか、高杉と目が合う事はない。だから彼が今どんな表情を浮かべているのかはわからない。そんな状況に、汗が頬を伝い、思わずスカートの裾を握りしめた。だって、私にとってはこれが人生で初めての、そして最後にしたいと思うほどの告白だから。

「解消してくれるって言ったのに、私の欲求不満はあんたに出会ってから溜まってばっかりだよ。…高杉にとってはただの遊びだったのかもしれないけど…ちゃんと責任持って私の欲求不満を解消してよ」
「…お前馬鹿だろ」
「…うん、そうかも」
「菜摘、お前は俺が好きだって言わないから欲求不満が解消されないって言ったなァ?」
「…うん」
「奇遇だなァ。俺もお前と同じ事を思ってた」
「え?」
「…責任持ってお前の欲求不満を解消してやるって言ったんだ」

そう言ったが早いか、高杉は私の頭に手を添えて引き寄せ、口付けた。それは夢にも思わぬ言葉と行動だったけど、高杉の目は真っ直ぐに私を捉えていて、偽りの言葉だとは到底思えなかった。今の今まで、とても苦しくて辛くて痛かった。だからこそ今私は、涙が出る程幸せなんだ。

「ねぇ、恋の味って苦くて甘い」
「どっかの天パみてぇに、糖尿寸前まで甘くしてやらァ」

辛くて痛くて苦しいけれど、涙を流した分だけ、いつかはきっと実を結び、開花するのだろう。



高校三年、恋の味を知った。
それはとても、苦くて甘い味がした。



120409 再UP end.