きっかけは夏休みだというにも関わらず、風紀委員の仕事を続ける恭弥に、ありったけの文句を言った事だった。その成果があり、1日だけど何とか休みを取ってもらう事が出来た私は大喜びだった。だけど問題はここからだ。そう、どこへ出掛けるか、だ。せっかく取ってもらえた休みなんだから、街中の商店街やカラオケ、ゲームセンターなんてつまらない。第一、群れる事を嫌う恭弥を人混みの中になんて連れて行けない。どうしようかな、なんて考えていたちょうどその時、通りかかったコンビニのショーウィンドウに、「夏特集!カップルで行きたい避暑地」と書かれた雑誌が見え、すぐに購入。結局、私は浮かれながら明け方までその雑誌を広げていた。

「わぁ!綺麗だね!恭弥!」
「…」
「やっぱり怒ってる?」
「別に」

当日。私が選びに選び抜いた場所は、カップルで行くと幸せになれるというジンクスがあるらしい湖だった。並盛からは距離があるうえに交通機関も不便な場所で、恭弥に頼んでバイクを出してもらった為、彼の機嫌は頗る悪い。私がどの程度の距離があるとか、どれくらいの時間がかかるとかそんな事は一切伝えなかったから特に、だ。きっと恭弥が考えていたよりも距離があったのだろう。

「ごめんね…」
「…もういいよ」

せっかく取ってもらえた休みに、せっかく遠出までしたというのに、いつまでも気まずいまま過ごしたくない。そう思い素直に謝れば、恭弥は呆れたように溜息を吐き、それ以上は何も言わなかった。普段なら、もういいなんて言葉は1週間以上経たなければ出てこない。それなのに、機嫌が悪くなってから1時間も経っていない内にそう言ったのは、彼は彼なりに今喧嘩しなくても、と思っての事だろうと、プラス思考に受け止める事にした。そしてそう思う事によって、先程までの気まずい空気は一転し、楽しい空気が戻ってきた。その勢いで、湖にあるボートに乗ろうと恭弥を誘えば、彼も同じように感じていたみたいで、何の躊躇もなく首を縦に振ってくれた。

「やっぱり綺麗だね。水も濁ってないし」
「そうだね。草食動物の群れもいないし、君にしては良い場所を選んだんじゃない?」
「確かに、お盆だからかあんまり人いないよね。…って!私にしてはってどういう意味!?」
「そのままの意味だよ」
「ちょっと恭弥!」
「揺れるから立たないでくれるかい?」
「わ!?」

恭弥の意地の悪い言葉に腹を立てた私が、此処がボートの上だという事も忘れて怒りを露わに立ちあがれば、私とはまるで正反対の冷静な声でそう言った恭弥。その言葉で我に返り、揺れているボートに気付いた私は、慌てて座った。それでもしばらく、ボートは揺れているままだった。そんなやり取りも、いつもの事と言えばいつもの事だけど。

「咬み殺されたいのかい?君は一体何を聞いてたの?このボートを借りる時、この湖の中心部は深いから気をつけるように言われたよね?」
「…うん。ごめんなさい」

そういえばそうだ。確かに恭弥の言う通り、ボートを借りる時に管理人のおじさんに言われた。「この湖の中心部は人の手が届かない程深いから、万が一落ちても助けられないから気をつけて。一応救命具を付けて乗ってね」と。だけど、万が一落ちても救命具を付けて乗ってるんだから大丈夫なんじゃないの?と、そう思いながら、水面に視線を落とせば小さな水泡が立っていた。特に気にもせずその水泡を見つめながら、また気まずくなってしまったこの空気をどうしようか、なんて考えていたけど、恭弥は思っていたほど怒ってはおらず、そんな事は心配無用だったよう。「着替えもないのに濡れたら困るから、もう立たないで」の一言で、その件についてのお咎めは終わりだった。

「そういえば、写真撮らなくていいの?ちょうど新しいデジカメ買ったところだよね?」
「あ!そうだった!ちょうど今綺麗な景色だから撮るね!ありがとう恭弥!」
「別に。後で撮るの忘れたとかで騒がれる方が面倒だからね」
「ふふ。あ、でもちょっと待って。今このボートに乗ってるのって私と恭弥しかいないから、2ショットどうやって撮ろう…」
「僕は写真なんかに写る気はないよ。どうしても人物が写ってなきゃ嫌だって言うなら僕が撮ってあげるから、写るのは君だけにしてよね」
「えー!恭弥一緒に写ってくれないの!?」

そうは言ってみるものの、恭弥が嫌だと言ったらなかなか折れてくれない性格だって事はちゃんとわかっている。だから渋々2ショット写真は諦め、恭弥に私1人での写真を撮ってもらう事にした。せっかくこんな綺麗な場所へとやって来たんだから、記念に撮っておかないともったいない。そう思い、ボートの縁に片手を置き、もう片方でピースを作った写真を撮ってもらった直後だった。

「きゃ!?」

ボートの縁に置いていた方の手が、水中へと引っ張られるような感覚に陥り、そのせいで私はバランスを崩し、危うく水中へ落ちそうになった。反射的に動いた恭弥に支えられたおかげで、何とか水中に落ちなくて済んだけど。

「何してるの」
「違うの!い、今誰かに…」
「?」

だけど、よく考えれば真正面に居た筈の恭弥が私の腕を引っ張れる筈もなく、かと言ってこのボートに乗っているのは私達2人しか居ないわけで。そんな事を恭弥に話しても信じてもらえないかもしれないと、水面に視線を落とした。すると其処には先程よりも少し大き目の水泡が立っていた。そういえば此処は調度、深いと聞いていた湖の中心部辺りだ。そう思うと、水泡も何もかもが急に気持ち悪く思えて、慌てて恭弥に引き返そうと促し、岸へと引き返してもらった。

「な、何これ!!!」
「どうしたの?」

そして驚愕した。全身の血の気が引き、悪寒を感じる。岸に引き返してもらい、先程恭弥に撮ってもらったデジカメの写真を見てみると、其処には、一本の手が水中から招くように私の腕を引っ張っていて、引きずり込もうとしているような写真、謂わばある筈のないものが写り込んだ心霊写真、と呼ばれるものになっていたから。さすがの恭弥も、その写真を見るなり驚きを隠せない様子で目を見開いていた。

「どうしたのかね?」
「あ、あ、おじさん…此処は…ここ、この湖は…」
「ん?」

ボートのレンタル場で叫んだ私の声を聞いてか、ボートの管理人であるおじさんがやって来た。この湖には何かあるのか尋ねようとしたけれど、私の舌はショックで回らず、代わりに私よりは幾分か冷静な恭弥が写真を見せ、この湖には何か言われがあるのかとおじさんを問いただしたところ、おじさんは溜息を吐いてこう言った。

「この湖には何の言われもないよ。ただ、今はお盆の時期だからね。湖に何かがいるんじゃなく、湖が何かを呼んだんじゃないかね?水辺は何かを呼びやすいというから。ほら…だって今も君の後ろに…」





背後を振り返ったところで、私の記憶は途切れた。そして次に目を覚ました時は、並中の応接室だった。全てが夢だったのかと思った時、腕に痛みを感じて視線を移した。人の手形が痣のように付いていた。応接室にはいつの間にか無かった筈の水槽が置かれていて、そこから大きな水泡が立っていた。



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