「ねぇ。君の名前は?」
「菜摘」
「そう。ねぇ菜摘チャン、僕のところにおいでよ」

そう言いながら、私の唇を指でなぞる、その優しく写る瞳には、妖しい光が潜んでいた。その瞳に誘われるように私の唇はすんなりと彼の欲しい答えを吐く。それが私と彼の最初の出会い。

「菜摘チャンは、ずっと僕の傍にいてくれる?」

止む気配のない雨の夜、彼は何処か寂しく、今にも掻き消されてしまいそうな声で私の肩に頭を乗せて、そう言った。そのまま彼が消えてしまうんじゃないかと不安になった私は、こくりと頷きそっと彼を抱きしめた。それが最後の優しい思い出。
ミルフィオーレという組織がまた1つ大きくなる度、彼は少しずつ、だけど明らかに変わっていく。それが悲しくて寂しくて、心の何処かで何かが終わりを告げていた。
出かける度に必ず血の臭いを漂わせ帰っては、また出かけていく。会話は少しずつ無くなり、必要なこと以外はお互いに口を開くことすらなくなっていった。時々、すれ違っては香る女物の香水の匂い。私に触れることすら最近ではなくなっていた。ねぇ白蘭。私達はどうしてこうなってしまったのかな?

「珍しいね。出かけるんだ?」

私と白蘭は同じ部屋で生活をしている。だけど彼は出かけていることが多く、部屋で顔を合わせることは滅多にないけれど、今日は何てアンラッキーなのだろう。私が出かける準備をしている真っ最中に、部屋に戻ってきたこの部屋の主である白蘭。

「うん。ちょっとね」

白蘭の言葉に、私は苦笑いで答えた。あまり詮索しないでくれといった様子を漂わせながら。

「そう」

そんな様子に気付いたのか、それ以上詮索する様子もない白蘭に少し胸が締め付けられながらも出かけるための身支度を淡々と整えていった。白蘭は唯何も言わずにベットへと腰を降ろしたまま私を視線で追っていて、その視線に私は息が詰まりそうになる。
沈黙が続く部屋。たった数ヶ月前までは幸せでいっぱいだった部屋。幸せが続くと信じていた私は今、それを浅はかな夢だったと心からそう思う。

「じゃあ、行ってくるから」
「うん。気をつけてね」

身支度を整え終えた私が白蘭の方に振り返りそう告げると、白蘭は薄っぺらいだけの笑顔で私に答えた。そして荷物を手に取り、白蘭に背を向け扉を開けようとしたその時、温かい感触と共に「菜摘、約束果たせなくてごめんね」と耳元で声がした。温かいこの感触は確かに白蘭のぬくもりで、私は彼の腕の中にいるんだということを認識した。

「気付いてたんだね…」

彼は私が何も告げなくとも気付いていた。だからこそ「ごめんね」という言葉を口にした。

「…うん」
「さすがね。…今までありがとう白蘭」

泣かないと決めていた筈なのに頬を伝う水滴。私は白蘭の腕を振りほどき、扉を開いて前へと進んだ。背を向け、振り返えらずに。


外に出ると、青い空に眩しい太陽が私を照らしていた。久しぶりの外の空気に喜びと不安と寂しさを感じる。それでもこれは私が決めた生き方だから振り返ってはいけない。もう私は白蘭の元へは戻らないのだから。
幸せと悲しみの2つを私に与えてくれた貴方が、幸せを手に入れることをこの世界のどこからか祈っています。

「さよなら。菜摘チャン」

そんな貴方の声が何処からか聞こえたような気がした。




(彼の部屋には寂しく揺れるアネモネが飾られていた)


アネモネの花言葉…薄れゆく愛


2009
なんだかなぁ…
title/Aコース