15.待つ




「行ってらっしゃいませ」




新品同様、綺麗なマントを手渡し深々と頭を下げて見送る。こちらを向かず短く返ってくる返事。期待なんてしていない。唯、私の声が聞こえているのならそれでいい。




「おかえりなさいませ」




不定期に帰ってきても必ず出迎えて見送り同様頭を深く下げる。返事は相変わらず短い。けど、絶対返してくれる。
土埃だらけのマントを預かる。時々どこかに引っ掛けるのか破れてくる時もある。洗ったり繕ったりして綺麗な状態で明日も見送りの際に渡す。それが私の役目、そして至福の時。
貴方が目覚めるのを待ち、帰ってくるのを待つのが堪らなく好きだ。だって待ってる分、会えた時とても嬉しいじゃない。
いつも傍らにいられたらそれはそれで幸せなんだろうけど、残念ながらそういう間柄では無いし特に強く望んではいない。
毎日、毎朝、毎夜。
お決まりでも事務的でも彼を眺め、言葉を交わす事で私は満たされる。
そんな、なんて事ない平凡な日常であり続けるのを願った。








「行ってらっしゃいませ」




今日はいつもと同じようで違う朝。
毎日見送ってその日には帰ってきていたリオン様が王の勅命で長い旅に出る事になったのだ。それはつまり今日中どころか暫く、いつ帰ってくるともわからない。長い時を待ち続けなければならない。
でも、いいの。確実に帰ってきてくれるのなら。
直接言わないけど、それが私の願いであり我儘であった。


「…行ってくる」


いつも、あぁ、とかしか返してこなかった彼が初めてそんな事を言ってきた。
少し驚いて思わず下げてた頭を持ち上げて目を少々見開いて見つめてしまう。それが気に食わなかったのか、少しむっとしたような顔をされ慌ててまた頭を下げて非礼を詫びた。


「ルナ」


今までより深く深く頭を下げて謝罪の言葉を吐いた後、名を呼ばれる。
久し振りに彼の口から自分の名が飛び出し、その口調から顔を上げろと言われてる気がして恐る恐る頭を再び起こした。もう先程の少し不機嫌な表情は消えており、ひっそりと息を吐いた。


「待っていてくれるか」


一体今日はどうしたのだろう。
こんな事言われたのは初めてだし、まともに会話してくれる事自体珍しい。
でも、だからと言ってさっきと同じ事してしまえばまたリオン様を不快な思いにさせてしまうと、なんとか平然を装った。


「はい。いつまでも、待ちます」


心は落ち着かないけど、本心である言葉はすんなりと出た。
その言葉が期待通りだったのか、満足気に微笑み踵を返して昨日連れてきた方々と一緒に街の方へと歩んで行った。
小さくなった姿に私はまた頭を下げた。








「おかえりなさいませ」




リオン様の帰還を一早く聞き付けた私は庭先で花の手入れをしながら彼が屋敷へ帰ってくるのを待った。
数ヶ月、長かった。
流石にとても寂しかった。だから帰ってきたと聞いた時、今まで以上に嬉しく思った。さぞマントやお洋服が汚れてる事だろう。
遠目で彼がこちらへ向かってくるのを見つけた私は玄関先で出迎える準備を整えた。
そして、いつものように頭を下げる。


「ただいま」


口調がどこか柔らかい。
ただいま、とも言われた事無かったので思わず顔を上げてしまう。
また繰り返してしまった。でも、言葉以上に驚いた。
数ヶ月前、旅立たれた時よりも背が伸びて顔付きもまだ少年さが残っているものの大分大人びていたのだから。


「そんなに珍しいか?」


冗談っぽく薄く笑いながら問い掛けてくるリオン様をまじまじと眺めてしまう。
一体どうしたというのだろう。たった数ヶ月、少しの間見てなかっただけでこうも変わってしまうのか。
胸が一回高鳴る。気の所為だと無理矢理鎮めて弁明しようと必死に言葉を探す。
すると、言葉を紡ぐ前にマントを外して手渡される。鮮やかだったピンクのマントがややくすんでおり、端の方がほつれてしまっている。
黙って受け取れば彼は最後に一度笑ってから屋敷の中へと入って行った。





それからというもの、彼はとても忙しいらしく前より家にいる時間が短くなっていった。魔物討伐を主としているが、時に兵士の指導や監督をしているとも聞く。
ここ最近、家にいる時間が短いのに話す機会は増えたので彼から色んな事を聞かしてくれる。
旅の間の出来事、共に旅した仲間の事、今監督している兵士の隊長さんの事、七将軍の候補として挙がっている事。
聞けば聞くほど、話せば話すほど私は贅沢にもリオン様自身の事をもっと知りたいと、もっとお傍にいたいと願ってしまう。
深く頭を下げてたばかりで彼の事、何も見えていなかったから…。



















なんて事ない日常がずっと続くと当たり前のように思っていた。



少しずつ、確実に大人になっていく彼の成長を見ていきたいと願った。



徐々に崩れていく平穏に気付かなかった。



















それは突如訪れた。
マリアンさんが攫われ、レンブラントさんを始めとする使用人がヒューゴ様と共に屋敷を出て行った。
私は怖くて隠れてしまった。何が起きたのか理解出来なくてただ怯えた。
リオン様が血相を変えて屋敷の中をマリアンさんの名前を呼びながら駆け回っている。
物陰でリオン様の姿を確認した私は気の緩みからかその場で躓いてしまう。


「誰だ!」


その時生じた物音に緊迫した様子のリオン様が険しい顔してこちらを睨んだ。
厳しい表情をどこか懐かしく思いながらも恐怖心に煽られた私は素直に彼の前へ姿を現した。


「お前か。無事だったんだな」
「は…い…」
「他の者はどうした。マリアンは」


珍しく余裕の無い彼。
攫われた時の状況を思い出すと恐怖で口を噤んでしまう。
だが、執拗に同じ事を問い掛けられ徐々に言葉を紡ぎだした。


「あ…、…ヒュ、ヒューゴ様がマリアンさんを…。私、怖くて…、怖くて何も…出来、なくて…っ」


怖くて何も出来なかった。最低な言い訳だ。彼女が攫われていくのをただ黙って眺めていただけに変わりない。
ここで彼女の代わりに私が…、リオン様の大切な人が危険に晒されるのなら私が身代わりになってあげれば彼はここまで取り乱さなかっただろうに。
こんな、一介のメイドがおめおめとこの場にいてていい訳がない。
項垂れて謝り続ける私。狭い視界の隅でリオン様が動くのを捉えた。


「リ、リオンさ、ま…」


顔を上げた時には踵を返した彼が扉に手をかけていた。
自分自身小さな声の呼び掛けが聞こえたのか、扉を開ける事なく立ち止まった。


「帰って…きますか…?」


彼は答えてくれない。振り返りもしてくれない。


「…私、待ってます。いつまでも、…ずっと、待っています」


なんて勝手な言い分。仮に私が攫われたとなったら彼はここに留まったままだろうに。
でも、さっきからずっと胸の奥が嫌にざわついて不安感がまとわりついて募っていく。
これは、私の本心…?
待っている、だから帰ってきてという思いに違和感を感じる。
聞いてか聞いてないか、何も言わないまま扉を開けるリオン様。
私は震える体で頭を下げる。




「行ってらっしゃい…ませ」




何も返されず、既に羽織っていたマントを翻して彼は扉の向こうへと姿を消した。

初めて、何も返してくれなかった。

状況から見て当然といえば当然。だが、私の目からは止めどなく涙が零れ落ちていった。











外はとんでもない騒動となっている。
相変わらず恐怖心に負けている私は部屋の隅で怯え震えながらリオン様の帰りをひたすら待った。
お強い人だもの。次期七将軍になるような方だもの。きっと、この騒乱を鎮めてまた帰ってきてくれる。
そう信じないと自分を保てない。

でも、あの時私は―――。















騒乱を鎮めた方々がマリアンさんを連れて屋敷へとやって来たのだ。
でも、見覚えある顔ぶれの中によく見知った顔の人がいない。
この人達はリオン様の仲間達。なのに、なんでリオン様はいないの?
恐る恐る私は声に出して聞いてみた。彼は、リオン様は今どこにいるのか。


「リオンは…」
「アイツなら死んだわよ」
「ルーティ…!」




し、ん、だ…?
し、し、…死。




「最後まで勝手な奴だったわ」
「お前そんな言い方、…!」
「………」


死んだと告げた女の人から静かに涙が流れ出ている。
ふと、金髪の男の人の手元を見ると見覚えのある布が目に入った。
いつも以上に酷く汚れているけど、あれは…リオン様のマント。


「…嘘、嘘よ。だって私待つ、って…言った…のに…。待っててくれって、あの時……」


私は理解出来たけど認めたくなかった。心のどこかで暫く帰ってこないだけなんだと信じて疑わなかった。
だって、待っててくれって言ったんだよ?それで待ってたら数ヶ月後にはちゃんと帰ってきてくれたんだよ?
あぁ、あれはきっと夢だったんだ。行ってらっしゃいと言った私に何も返してくれなかったあの時が。
だって、今までは短かったけど必ず答えてくれたんだもん。


「ルナお願い、わかって。エミリオは…リオン様はもう帰ってこないのよ」
「マリアンさんまで冗談言わないで下さいよ。一緒に待ちましょうよ。リオン様、必ず帰ってきますよ」
「ルナ…」


帰ってくるまでにこのボロボロになったマントをなんとか綺麗にしなくては。いつ帰ってきても大丈夫なようにお屋敷も綺麗にしとかなくては。
帰ってきたら、今度は私からもお話してみようかな。甘い物、用意しとかないと。
大丈夫、大丈夫よ。また長い事会えないだけで待っていれば、必ず…。
待てば待つほど会えた時、とても、嬉しくて幸せ、だから…。

必ず帰ってくる。

そう信じているのに、悲しくなんてないのになんで涙が止まらないの…?




「ずっと、…まっています」




どうか、笑顔で帰ってきて下さい。






back top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -