何時だって君は誰にでも笑っていて、弱音なんかこれっぽっちも言わなくて
強くて、素直で、でも嘘吐きで


なぁ、君は辛くなかった?




――青い空の中で1人、俺は彼女を想う。


数日前、イタリアから飛んできた俺に聞かされたのは隣に彼女が居なくなったという事だけ。
俺は着替える間もなく慌しく病院へ向かい、彼女の部屋を目指した。

「ディーノ!やっと来てくれた!」
「・・・・わ、るかった」

室内に飛び込んだ瞬間、其処には想像していたよりもずっとずっと元気そうなファーストネームの姿。
拍子抜けというか、肩透かしというか、兎にも角にも安心した俺は取り合えず溜息を落とす。
ファーストネームの傍に寄りゆっくりと腰掛けると、彼女は仰向けのまま読んでいた本を置いてゆっくりと微笑んだ。

「心配したんだから、な」
「うん、ごめんね?ありがとう」
「いや、でも無事で良かった・・・・・」

「・・・・・・ディーノ?」
「・・・ん?」
「ちょっと、起してくれない?自分じゃ起きれないんだ」

長いビロードのような黒髪が頬からシーツへ滑らかに落ちる。
思ったより元気そう なんて、何を見ていたんだ俺は。
ファーストネームは思ったよりずっとずっと、その身体から生気を亡くしていた。

背中に手を当て、壊れ物を扱うようにゆっくりと片手で押し上げる。
女性特有の柔らかさは健在だったけれど、その異常な軽さに俺は戸惑いを隠しきれなかった。

「ごめんね。何か私、看護師さんにも迷惑かけっぱなしでさ」
「病人なんだから、使えばいいじゃん」
「あはは!それもそうなんだけどー・・・」
「・・・・・どうした?」
「・・・・・・かな、って」
「え?」


「看護師さんも、ディーノも、いつか私の事忘れちゃうんだろうなって」


「ッに、何言ってんだよ・・・」
「えへへ、冗談だよ!ディーノはきっと、忘れてって言っても忘れてくれないもんね」
「・・・・当たり前だろ」

笑ったファーストネームの目には、何処か居た堪れなさみたいなものが映ってて、俺まで一緒に寂しくなった。
誰もお前の我侭や冗談なんかで怒らないよ。だから安心してくれればいい。
そう、ちゃんと言葉にして伝えられたのはいつだったかな。

ほっとしたようなファーストネームの目から、それでも寂しさは消えてくれなかった。
けど、彼女は俺にそんな事を一言も言わない。言えば俺が悲しいことに、君はきっと気付いてた。

君が、俺の手じゃ届かないところに行ってしまう。
そんな事実を受け止める勇気が、俺にはなかったんだ。

痩せていく身体。
あんなに温かくて、ファーストネームは此処にいるのに、どんどん体重の落ちていく君。


如何してこんなに君は細いんだろう?
其れはもうすぐ君が死ぬから

俺は何故、君の痛みを知らないんだろう?
其れは俺がこうして生きているから


――ねぇ? 君の痛みを耐え抜いていく、強さが欲しいよ。




ファーストネームの寝顔が大好き。好きで好きで、本当に、訳も解らなくなるくらいあいつが愛しい。
でも、その大好きな寝顔さえ、今は恐くて堪らない。


生きているのか死んでいるのか、医者でもない俺は一瞬じゃその判断がつかないんだ。
瞼が微かに揺れるたび、ファーストネームの“生”を再確認する。
“死”を待っているわけじゃないのに、こんなに其れは恐いものなのに、どうして俺は待つことしか出来ないの?


――このまま、もしこのままファーストネームが目を覚まさなかったら・・・・?


そう考えるだけで、震えが止まらなくて。
さようならなんていう、ファーストネームの言葉を聞く時がくるとなると、涙が伝いそうで 恐い。


きっと君は、そんな俺よりも直に恐怖へ触れている。
恐くて恐くて、泣き叫びたくて堪らない筈なのに、それでも、君は・・・・・――


「ディーノが居てくれたら、私、どんな事でも耐えられるよ」


なんて、笑うんだ。




ファーストネームは俺なんかよりずっと強くて、勝てる筈の無い病魔にすら、正面からぶち当たっていく。

柄でもないけど、頼むよ神様。ファーストネームに、もっと沢山の時間を下さい。


ただでさえ、遠い存在のあんたに祈るのは、
あんたより遠い存在になってしまいそうなファーストネームを繋ぎとめるのに、俺だけの力じゃ役不足だから。


――守りたい。そんな気持ちだけじゃ、ファーストネームはきっと消えてしまう。




「面会時間、終りましたので」

その場所に、何時間居たかはわからない。だけどあまりに短すぎて、離れたくなんかなかった。
ずっと握られた細い手を、離したくなかった。

「ディーノ・・・?」
「・・・・・何?」
「もう、行かなくちゃ駄目、だよ?皆も待っててくれてる」

ファーストネームの言葉に促され、嫌々思いつつも紡がれた手を解く。
ドアまで行くと、時間を告げた看護師が悲しそうに笑って
「明日も来てあげて下さいね」 そう、漏らしたのを覚えてる。

勿論俺は、毎日来るつもりだった。
残された曖昧なファーストネームの時間を、せめて二人で笑い合えたらと。

こんな急に心の準備なんて、出来るわけがなかった。




「ファーストネーム・・・・っ」
「・・・・・ディー・・ノ・・・・・」

看護師の顔が鮮明に甦るたった数日の内に、ファーストネームは三度も意識を無くした。
その度に俺は祈るような想いで動かないドアを見つめてたんだ。

だけど、今日は違う。
ファーストネームが手術室に入って数時間経ち、俺だけが病室内に呼ばれた。

「ね・・・ディ・・ノ・・・?」
「・・・・・どうした?」

「私がいなくな・・ても・・・・他の人は好きにならないでって・・・言いたい」
「・・・・っ!」

――力なく、俺を見据えたまま

「言えよ!ファーストネームには言う権利があんだろ!?」

口元には、絶やされぬ微笑み。

「でも・・・私だけ見な・・・で・・・・幸せに、なて・・・欲しいから」
「ファーストネーム・・・・!」
「愛して・・・た、よ?」
「いくなよっ・・・・頼むから・・・っ」


「ディーノと・・一緒、に・・・・・おばあちゃんになりたかった、なぁ」




ファーストネームの頬を、一筋の涙が伝う。
終幕を告げる機械音が、俺の全てを奪った気がして。


「・・・・言ったんだ。ずっと、傍に居てやるって」
「ボスッ・・・」


「何処に行くんですか!?ボス!!?」


ファーストネームの身体は、まだあったかかった。




病院の外は、真っ暗な闇の世界。
視界に入った小さな丘の上には、満開の桜みたいに白木蓮が咲いていた。
俺はそこに腰を降ろし、毛布の合間から見えるファーストネームを見つめる。

「ファーストネーム・・・?」

目を瞑ったまま、微笑む表情。大好きな、愛しい寝顔。
ファーストネームの頬に降る白木蓮は、彼女が大好きだと言った雪に似ていた。


「ほら、見ろよファーストネーム。お前が好きだって言ってた雪みたいじゃねぇ・・・?」


「日本の雪が降る季節はまだ先なんだ。雪降ったらさ、ツナたちとまた雪合戦しようぜ?」


「本当に綺麗だなぁ。ワインも持って来ればよかったか」


「ファーストネームがイタリアの飲みたいって言ったから、土産で買って来といたんだ」


「とっておきの秘蔵品だぜ、絶対お前に美味いって言わせられる自信あんだ」




「ボス・・・・・病院、戻りましょう・・・?」
「・・・嫌だ」
「ファーストネームさんは・・・死んだん・・・ですよ?」
「死んでねぇ!ファーストネームは生きてるんだ!」


奪わないで。


「今だって、こんなに温かいじゃねーか!」


俺は認めない、こんな事実。


「・・・・・っれは・・・ボスの体温ですよ」


笑って、俺の名前を呼んで 元気だって、昨日も言ってたんだ。

「・・・・・・ッ死んで・・・ねぇよ・・・・・」


「なぁ、ファーストネーム・・・?」


「一緒にっ・・・ばあさんになって・・・・・」




笑い合うんだろ?


『俺達も年、取ったな』、って。




「ボスッ・・・・・」
「ファーストネームっ・・・・ファーストネームッ!」




『愛してる』と、照れくさそうに呟いた唇は
どれだけ俺が叫んでも、もう言葉を紡がない。


白い頬へ流れるのは
君のじゃない、俺の ――涙




「幸せになって、欲しいから」




拝啓、愛しい寝顔の君。


君は今もその場所で、俺を見ていてくれてますか?
一人だけ君をあの季節へ置いていく俺に、羨ましいなんて頬を膨らましていますか?


あの季節を思い出すと白木蓮に泣いてしまう俺に
「ディーノはバカだ」と、笑っていてくれていますか?




終戦

目が腫れるまで一日中泣いた事を
簡単に処理出来る程 俺はできた人間じゃないよ




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