雲一つない、晴天の下。
白いワンピースを着た少女は、左手に白猫を抱き、右手に日傘を差して歩いていた。

熱されたコンクリートは、触れてもいないのに熱く感じる。しかし、避暑をしようにも、ちょうどいい影は見当たらない。
もう帰ろうか――そう思い、少女が踵を返すと、先程通り過ぎた十字路の角から、小学生の団体が走り抜けて行った。




IF 〜もしも夏目少年に出会っていたなら〜




小学生の団体が走り抜けたのとは別に、色素の薄い、細身の少年が、団体から離れるように俯いて歩いている。黒いランドセルを背負っているが、どちらかといえば、ランドセルに背負われている――そう見えるほど、線の細い少年だった。

普通、小学生とはみんながみんな、団体で行動するのではないのだろうか。
あの少年は、いじめられているのかもしれない。それならば、有り得ない光景ではない筈だ。

少女はそう思い、足を止めて、とぼとぼと歩く少年を見ていた。
腕に抱えた白猫が、歩みを止めた少女のことを、エメラルドグリーンと鮮血のようなオッドアイで不思議そうに見上げる。少女はそんな猫に微笑むが、歩きだそうとはしなかった。

「あ・・・」

少年に、ひしゃげた空き缶がぶつかる。空き缶が飛んできた方向には、にやにやと意地悪く笑う二人の少年。

「もう嘘つかないのかよ?」
「お前さ、お化け見えるんだろー!?」

意地悪少年二人組を、空き缶を投げられた少年は一瞥すると、何も言わずにまた歩き出した。

「お化け、ねぇ・・・」

何となくその少年が気になり、少女は"帰る"という選択肢を捨て、彼の後を追う。

「思ったよりも面白い散歩になりそうだね」

腕に抱いた白猫へ声を掛ければ、彼は同意するかのように「ニャァ」と鳴いた。

暫く歩くと、少年は道端に生えた木の上を見上げ、ビクりと固まる。少し離れて歩いていた少女もそちらを見上げ――納得した。

差していた日傘を閉じる。
少女は固まっている少年へと近付き、震える小さな肩に、白魚のような手を乗せた。

――ビクッ

突然肩に掛かった重みへ、少年はすぐさま振り返る。怯えを隠しきれないのだろう、ただでさえ白い少年の顔は、見事に真っ青だ。

「・・・大丈夫?」

少女は、そんな少年の顔を見て、思わずそう問い掛けた。

「だ、いじょうぶ、です」

たどたどしく答えた少年の視線が、もう一度木の上に移る。同じように、少女も見上げた。

「・・・あれは、ちょっと気持ち悪いよねぇ」

少女がそう口にすると、今度は驚いたような表情で少年が向き直る。

「お姉さんも・・・あれが、見えるの?」

少年の言う"あれ"というのは、青々とした葉のついた木の枝に乗る、生首のことだ。
普通の頭よりも、一回り大きな生首。たっぷりと髭はあるのに、頭に毛は生えていない。幸い、血のようなものは一切垂れていないが、こんなにも天気のいい昼間、木の枝に乗った青空の似合わない生首は、誰が見ても気持ち悪いだろう。

「・・・見えるよ。変なおじさんの生首」
「・・・・・・」
「・・・ねぇ、君さ、よかったらあっちにあった公園で話でもしない?」

少女の誘いに、少年は暫し考える素振りを見せ、こくんと小さく頷いた。




住宅街の中にある公園とはいえ、木々に溢れるそこは、必然的に空気が澄んでいる。
ペンキの剥がれかけた深緑のベンチに、少女は躊躇いもなく腰掛けた。ちょうど木陰になっているその場所は、照り付けるような日差しを遮り、心地好い涼しさをもたらしてくれる。
少女の腕に抱かれた白猫は、彼女の膝の上で丸くなった。

「どうしたの?」

俯いたまま、ベンチへ座ろうとしない少年は、顔色を伺うように一瞬だけ少女を見る。
ああ、こういうことに、この子は慣れていないのか――すぐに察した少女は、柔らかく微笑み、手招きで少年を呼んだ。
少年は戸惑った様子で、おずおずと、少女から向かって左側に腰掛けた。少年の膝の上には、黒いランドセル。

「いい天気だから、ひなたぼっこでもしたかったんだろうね」
「・・・ひなたぼっこ?」

白い、きめ細やかな肌。幼くも、端正な顔立ち。色素の薄い髪と瞳。線の細い体。
まだ声変わりをしていないのだろう、少年特有のソプラノボイスは、公園の空気のように、澄んでいる。

「あの、生首」
「ああ・・・」

嫌なことを思い出したというように、眉をしかめる少年。先程見た驚いた顔といい、クールに見えて、意外と表情は多いようだ。

「・・・お姉さんは・・・ヒト?」

中学生か高校生くらいだろう、少年よりも背の高い少女。彼女の長い髪はカーキ色で、瞳はアメジストのようにキラキラとしている。日本人では有り得ない色彩の、少女。おそらく、どこの国へ行っても、彼女と同じ色彩を持つ人間はいないだろう。

少女は、微笑んだ。
それと同時に香る――甘い匂い。桜花と梅花の、優しい香り。

「人・・・みたいなものかな。人であって、人じゃない」
「じゃあ、妖怪?」
「そんなとこ。この子は、れっきとした妖怪だけど」

少女が"この子"と差したのは、彼女の膝の上で安らかな寝息をたてている白猫のことだ。少年は驚いた。

「え!?普通のにゃんこじゃないの!?」
「うん、八狐子(ハッコシ)っていう、猫の妖怪だよ」

まじまじと白猫を見詰める少年。そのあからさまな視線に気付いたのか、白猫は目を覚ました。

「おはよ、小桃」

白猫は大きく欠伸をして、短く「にゃ」と答える。

「うわぁ、このにゃんこ、目の色が違う」
「色々あってね。オッドアイっていうの」
「ふぅん・・・きれいだね」

ふわり 微笑む少年。少女と猫が初めて見た少年の笑顔は、柔らかく、彼の優しさが滲み出ているようだ。

「・・・触ってもいい?」
「猫、好きなの?」
「うん」
「だって、小桃」

白猫――小桃は、自慢のオッドアイで少年の頭から下まで視線をやり、『いいよ』と、答えた。勿論、人間の言葉で。

「猫がしゃべった・・・!」
「小桃は喋るし、人型にもなれるよ」
「すごいにゃんこなんだ」

感心している少年に、小桃は『ランドセルが邪魔』と言った。言われた通り、少年がランドセルを地面に置くと、小桃は少女の膝から少年の膝に移る。
恐る恐る撫でた小桃の艶のある白い毛皮は、少年の予想以上に柔らかかった。

「珍しいね・・・小桃は、よっぽど気に入らないと撫でさせてくれないんだよ」
「そうなの?」
「うん。あ、そういえば、君の名前は?」

少年が口を開きかけた時、公園の入口から犬を連れたおばさんが歩いて来ることに気がついた。そのおばさんは、"今"少年がお世話になっている家の、近所の人だ。
黙りこくってしまった少年に、少女は疑問の視線を向ける。

けれど、少年にも理由があった。
"普通の人間"に、妖(あやかし)は見えない。気付かれてはいけない――普通の人に見えないものが見える少年は、今までそのことで何度も傷ついてきた。その傷は徐々に深く、深く刔られ、もはやトラウマと言っても過言ではないだろう。
しかし、

「あら?貴志君じゃない?」

飼い犬の散歩をしていたらしいおばさんは、目ざとく少年に気付いてしまった。彼女たちと話しているところを見られていないか――少年の心が、不安に満たされる。

「随分と可愛いお嬢さんね。貴志君の友達?」
「先程、ナンパしてしまったんです。素敵な男の子だったので」
「まぁまぁ!お邪魔してごめんなさいね。それじゃあ貴志君、またね」

飼い犬と共に、去っていくおばさん。少年の瞳は、驚きに満ちている。

「?どうしたの?」
「お、お姉さん、妖怪なのに、人に見えるの・・・?」

そんな少年の疑問に、少女は納得した。

「見えてるよ。勿論、小桃もね。私には妖怪の友達が沢山いるけど、みんな普通の人にも見える」
「ど、どうして・・・?」
『格が違うんじゃない?』

少年の疑問に答えたのは、彼の膝の上で大人しく撫でられていた小桃だった。そんな小桃の返答に苦笑を漏らし、少女が言う。

「原理はよくわからないけどね・・・私も小桃も、私の友達も・・・人間社会で生きてる。格っていうより、単に長生きして、その術を知っているってことかな、多分だけどね。あんまり意識したことないから、わからないんだ。ごめん、答えになってないね」
「いや、充分だよ」

少年の心に渦巻いていた不安が、爽やかな風にさらわれるように消えていく。
今まで迫害ともいえるイジメを受けてきた彼にとって、彼女がもたらした奇跡のような真実は、まるでまばゆい光のようだった。

「それで・・・改めて聞くけれど、君の名前は?」
「夏目・・・夏目貴志」
「貴志君、か。素敵な名前だね。私の名前は神野美羽だよ。こっちが小桃で、男の子なの」
「よろしく、夏目」

いつの間にか、夏目少年の膝の上でくつろいでいた白猫の姿はない。その代わり、目の前には小学校高学年くらいの、白髪の美少年が立っていた。
斬新で露出度の高い黒い服を着た少年は、大きなエメラルドグリーンと鮮血のようなオッドアイ。

「もしかして、小桃・・・?」
「そう、小桃だよ。これが、小桃の人型バージョン」

誇らしげにそう言う小桃だが、夏目少年は戸惑うしかできない。しかし、小桃から差し出された右手を、反射的に握り返していた。(日本人の習性だ)
小桃は、満足げに微笑む。そんな二人の様子を見て、美羽はあることを思いついた。

「折角だから、二人で遊んだら?この公園、意外とアスレチック多いみたいだし」




誰かと過ごす楽しい時間というのは、本来の時の流れよりも早く過ぎ去ってしまうと感じる。
全力で遊んだらしい小桃と夏目少年は、疲れた様子で美羽のいるベンチへ戻ってきた。

「楽しかった?」
「・・・僕、こうやって遊ぶの初めてだから、ちょっと疲れた。でも、すごく楽しかったよ」

今や、夏目少年の表情は満面の笑顔に変わっている。口調も饒舌になっているし、何より、美羽はその笑顔が嬉しかった。

青空が橙色に変化している。小学生は、もうそろそろ帰らなければいけない時間だ。

「あ、僕もう帰らなくちゃ」
「そっか・・・今日は楽しかったよ。ありがとう、貴志君」

そう美羽が言うも、夏目少年の表情はすぐれない。

「・・・美羽お姉ちゃんと小桃は、またここにいる?」

陰りが差した彼の表情に、美羽も小桃も罪悪感が沸き上がってきた。

「ごめんね、貴志君。私も小桃も、旅行でこの街に来ただけだから・・・明日には帰らなくちゃいけないの」
「・・・そっ、か」

明らかに落胆したのであろう、夏目少年。
そんな彼の前に美羽はしゃがみ込み、小指を立てて、右手を出した。

「・・・?」
「指切りげんまん。私たちは、絶対また、貴志君に会いに来るよ」
「で、でも、僕は・・・」

"気味が悪い"と、親戚中をたらい回しにされている夏目少年。彼女達が再びに会いに来てくれた時、夏目少年は、もうこの街にはいないのだろう。

「・・・大丈夫、君がどこにいようと、私達は必ず見付けて、会いに行く」
「・・・・・・」
「だって"友達"でしょう?」

――不覚にも、泣きそうになった。
生まれて初めての"友達"。人ではないけれど、何よりも望んでいた存在。

「小桃も!ゆびきり!」

三人で指を絡め、"また会うこと"を誓う。
優しい友達との、優しい約束。

「いつか・・・私の友達も紹介するね」




"今の家"への帰り道。
今まで経験したことがない程、夏目少年の小さな胸は満たされている。

美しい夕焼けに染まっていく空が、まだ幼い少年には滲んで見えた。






(彼等の出会いから数年後)(交わした約束は果たされる)




2011.01.22


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