小さなアプローチ
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「ねー、ピアノの弾き方教えてよ」
『わっ、オズ!?』
背中にどしんと体重がかかる。弾みで鍵盤を強く押してしまって、部屋中に響く不協和音に顔をしかめる。
『……いきなりどうしたの、オズ』
「んー? ピアノの音が聞こえたからさ。それより早く、教えてよ!」
オズはそう言って強引にわたしの隣に座ってきた。床に届かない足が、宙を漂っている。……これでも本当はわたしと同い年の人間だなんて。
「……あ、今余計なこと考えてたでしょ」
『え』
「まぁいいや。……オレだって、やればできるんだ」
『ん、なに?』
「何でもなーい。で、どうやって弾くの?」
挑戦的な瞳を向けてくるオズは、どうやら本当にピアノをわたしに教わる気でいるらしい。こうなったときのオズは何を言っても聞かないことを、わたしはよく知っている。
『……いい? わたし先生から習った訳じゃないの。独学だから』
「うん、知ってるよ」
『………じゃあ、クラシックの有名なやつを…』
以前、素人にピアノを教えたことがある。あの時の経験から、教えることがどれほど大変なのかは、身に染みて理解していた。……けれど、忘れていた。
相手はあの、オズ=ベザリウスだったことを。
『…………』
「わーい! ピアノって楽しいね!」
『…………』
「ね、頑張ればオレ連弾とかも出来るかな、なまえ!」
『………本当に初心者?』
「えー?」
『……何でもないよ』
わずか30分で一曲弾けるようになった目の前の天才を、軽く睨む。
いくら単純なクラシックだったとしても、こんなに簡単に弾かれたんじゃ、教える方もつまらない。
『ねぇオズ。そういうなら連弾、やってみない?』
「……はは、もしかしてなまえ、オレが簡単に弾いちゃったから、ちょっとムキになってる?」
『!!』
「でもいいよ、君に教えてもらえたなら、オレ何でも弾けそうな気がする」
『えっ』
にっこりと笑みを向けられて、わたしは一瞬動けなかった。いつもの嘘くさい笑みではなく、ふわりと花が咲いたような笑み。どくん、と心臓が鳴った。
「……さ、教えてよ」
『……あ、う、うん。えーと、まず』
こことここと、この黒の鍵盤をこうして弾く。
そう言ってわたしがお手本に弾くと、オズはわたしの手に自分の手を重ねてきた。とっさに手を引いてしまう。どうして。さっきはこんな風に教えてない。
『え、お、オズ、』
「……どうしたの、顔真っ赤だよ?」
『っ!!』
「オレは、こうした方がやりやすいと思っただけだよ」
目を細めて、楽しそうにオズは笑った。からかわれているんだとわかっていても、赤くなった顔を隠すことが出来ない。
『…………っ、そ、そしたら次は、こっち!』
「……かわいいなぁ」
『え!?』
「次はこう、だっけ?」
『……あ、そ、そう』
「次は?」
『………こう』
「……こうだね!」
オズの手がまた、わたしの手に触れる。
どうしよう。オズの顔、見れないな。
『……つ、次は…』
「あ、オズ君。こんなところにいたんですネ」
「………ブレイク」
小さなノックと共にドアが開いたかと思うと、手に書類を持ったブレイクが入ってきた。
不機嫌そうなオズの手を掴んで、ブレイクは「レイムさんが呼んでマス。オズ君、借りてきマスヨ」と言い残した。ドアが大きく音を立てて閉まった後、わたしはしばらく呆然としたまま。
部屋を去るときの寂しそうなオズの横顔と、手に残った小さな温もりを思い返した。
『(………また、一緒にピアノ、弾けるかな)』
心に小さく、何かが生まれた気がした。
小さなアプローチ
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「……それにしてもオズ君、あんな形でアプローチするとは」
「ん?」
「彼女、真っ赤になってマシタ。なかなかやりますネー」
「………もう見ているだけは、やめたんだ」
「……ほう?」
「こうでもしないと、意識してくれないからね」
「おや、自分が子どもだということを自覚していたんデスネ。見直しましたヨ」
「………一言余計だよブレイク」
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