おせんべい

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僕は、マルシェのあるお店の前で立ち止まっていた。
珍しい食べ物ばかりを扱うそのお店は、目立たないところにひっそりとあって、僕にとってはただいつも通り過ぎるだけの風景と同じようなものだ。

でもそこに、ある文字を見つけてしまった。





「……“せんべい”…」





聞き慣れないその言葉はなまえの故郷にあったお菓子らしく、最近街で食べている人を見掛けたのだと、嬉しそうに彼女が語っていたのを思い出した。

近付いてよく見ると、薄くて固そうな丸い形をしたものが小袋にたくさんつめてある。これが、“せんべい”か。
僕はそれを買って、彼女の待つ酒場へと帰った。





『おかえりー、ユーリス』

「ただいま。……はい」

『ん?何これ……あ!』





僕が渡した袋を開けると、なまえは満面の笑みを向けてきた。ありがとうユーリス、と微笑む彼女はとてもかわいいと、素直にそう思う。





「……どういたしまし」

「おーっ、なんだなんだ?ユーリスが買ってきたのか?」

『あっ、あのねセイレン、これはね……』

「何でもないから、セイレン」





なまえのために買ってきた、と言えば絶対にからかわれる、と思い、僕は会話に割り込んでしまった。それが逆に、セイレンの興味を煽ってしまったらしい。





「んー?どうした、ユーリス? やけに反抗的だな?」

「うるさいな。セイレンには関係ないよ」

「なんだー、こいつには関係のある話なのかー?」





ぐりぐりとなまえを肘でつつくセイレン。彼女は楽しそうにしているけど、セイレンのからかうようなその顔に、僕は苛ついて仕方がない。





「もう放っておいてよ」

「うるせぇなぁ。いい加減教えろよ……って、なんだこりゃ?」





ついにセイレンは袋から強引にせんべいを取り出した。





『あ、それはせんべいって言ってね』

「なまえ! い、言わなくていいから!」

「へー、せんべいか。食い物か?」





僕が止めるのを聞かないまま、なまえが嬉しそうにせんべいについて説明すると、それを聞いたセイレンはみんなにせんべいを配り始めた。好奇心旺盛で珍しいもの好きのセイレンが、せんべいに興味を持たないはずがなく、せんべいはあっという間になくなってしまった。





『あ……せんべいなくなっちゃった』

「………」

『ごめんね、ユーリスの分のが……』

「いいよ」





せんべいの味はすごく気になるけれど、さっきのなまえの笑顔はかわいかったからそれでいいや、と諦めたそのとき、パキッと乾いた音がして、僕の方に手が差し出された。





『はいっ。はんぶんこ』

「…………」





驚いて固まってしまった僕に気付いて、なまえが小さく「あ、うまく割れてないね」と呟いた。いや、僕が固まっているのはそのせいじゃない、と言おうとしたそのとき、彼女が驚くべき言葉を口にした。





『ふふ、ハート型のおせんべいだね』





動かない僕の口に、ひょい、とせんべいを投げ入れて、なまえはにこにこしながら去っていった。

食べ物をシェアしてくれることが嬉しかったとか、ハート型だねって笑ったこととか、せんべいを食べさせてくれたときに唇に少し指が当たっただとか、そんなことで心が弾んで動けないなんて、あり得ないだろ。


















おせんべい
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当然、初めて食べたせんべいの味なんてわからなかったけれど、今度一緒におせんべい買いにいこうね、となまえが約束してくれたから、それだけで僕はせんべいが大好きになったんだ。
そんなこと君に言ったら、きっと笑われちゃうんだろうけど。





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