目の前には、眩しく輝く未来
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不意に、玄関のチャイムが鳴った。
春から一人暮らしを始めたわたしは、この住所を、家族と、もう一人にしか教えていない。今家族は海外旅行に行っているから、思い当たるのは一人だけ。
でも、あり得ない。幼馴染みの彼は今、遠くの学校を卒業して、夢のために毎日がんばっているはずだ。
うるさく鳴り響く心臓を押さえながら、震える手で扉を開く。
「……よ。久しぶり、なまえ」
『………翔ちゃん』
目の前の彼は、驚いた顔のわたしを見て、目を細めて優しく笑った。
久しぶりに聞いた声、姿、仕草。
最後に直接見たときよりも背が伸びて、表情も大人びていたけれど、雰囲気は全然変わっていない。
今でも、彼がわたしの家にいてソファに座っているのが信じられなくて、わたしは廊下に立ち尽くしていた。それに気付いた翔ちゃんが、手招きをする。
「……なまえも座れよ。俺だけ座らせてもらってるのは嫌だ」
『………あ、うん』
名前を呼ばれた瞬間、どくん、と音を立てて鳴った心臓。なんでこんなに緊張してるんだろう。見た目が少し変わったから?
「……三年ぶり、だな。元気だったか?」
『うん。……今、仕事休みなの?』
「ああ、社長がまとまった休暇くれてさ。ま、明後日にはここ出なきゃなんねーんだけどな」
『そうだったんだ。ここに来るなら、前もって言ってくれればよかったのに』
「久しぶりだったから、驚かせたかったんだよ。びっくりしたろ?」
にかっと笑う翔ちゃんの笑顔は、昔のままで。
眩しくて、真っ直ぐに翔ちゃんの顔を見れずに、わたしは俯いた。
「……でも、」
『え?』
「久しぶりに会ったら、その……安心した。やっぱり、俺はお前といるときが一番楽だ」
『……!』
「……ん?どうした、なまえ。顔赤いな、熱でもあるのか?」
『な、ないよっ!』
不安な顔でずいっと近付いてきた翔ちゃんから、わたしはあわてて離れた。……自然とこういうこと言っちゃうところも、変わっていないみたい。
『……そ、それよりあのさ』
「な、何だよ」
『………来月、ソロシングル発売だよね。おめでとう』
「………」
『まさか直接言えるなんて思ってなかったけど。おめでとう、翔ちゃん』
「……もしかして、お前」
『ん?』
「今までの俺の活動、見ててくれたのか?」
『もちろん!』
小さい頃から知っている幼馴染みの活躍を、応援しないわけがない。夢を叶える、と言って翔ちゃんが遠くへと行ったあの日から、わたしは出来る限りテレビをチェックしては見知った名前を探していた。
最初に見つけたときは、すごく驚いて本当に飛び上がったんだよ。そう言うと、翔ちゃんは下を向いて、俺がテレビに出たのがそんなに信じられなかったのかよ、と小さく呟いた。
『違うよ!……本当に嬉しかったんだ。翔ちゃんの、夢に向かって頑張っている姿が、ちゃんとみんなに伝わっているんだって分かったから』
「………お前は、ほんと……」
『え?』
下を向いていて帽子で表情が見えなかった翔ちゃんが、ゆっくりと上を向いてわたしを真っ直ぐに見つめた。初めて見る、男らしい、真剣な眼差しに、どくんと大きく胸が高鳴る。優しくて、何かを言いたげなその瞳から目を逸らせなくて、どんどん早くなる鼓動と熱くなっていく頬。今まで感じたことのない感情が沸き上がるのがわかって、わたしはどうしていいか分からずに目を瞑った。
「……なまえ?」
『…………』
「……どうした?」
『…………』
「…………」
翔ちゃんの心配そうな声が消えて、微かに動く音がした。もしかしたら、わたしが目を瞑って動かないから、呆れられちゃったのかな。そう思って目を開けた瞬間、目の前は翔ちゃんの顔でいっぱいで、唇には柔らかい感触があって。わたしはまた訳が分からなくなって、思わずぎゅっと目を閉じた。
「……っ」
『…………』
「……なまえ。目開けろ」
『………』
「……目開けないならもっかいするぞ」
翔ちゃんのその言葉に、わたしが驚いて目を開けると、目の前には優しい笑顔を浮かべた翔ちゃんがいた。
その視線はとろけるように熱くて、さっきのキスは嘘じゃなかったんだ、と気付くと、一気に体が熱くなる。
「はは、顔真っ赤」
『わ、笑わないでよ』
「……やっとこっち見たな」
『………さ、さっきのは、その…』
「お前が……」
『え』
不意に手が伸びてきて、翔ちゃんの親指がそっとわたしの唇に触れた。
「お前が目、瞑ってたの見て、」
『………』
「気付いたらキスしてた。ごめん」
『……あ』
「ん?」
『謝らなくて、いいよ』
唇に触れていた翔ちゃんの手を取って、わたしは両手できゅっと握った。汗ばんでいるわたしの手と同じくらい熱い手に、少し勇気をもらって、わたしは必死に言葉を紡ぐ。
この気持ちを伝えられるのは、きっと今しかない。
「お、おい、なまえ」
『……今では、遠い存在になっちゃったかもしれないけど』
「………」
『わたしは、翔ちゃんの笑顔を思い出して、いつも元気をもらってたんだ』
「………」
『離れても、わたしの頭の中は翔ちゃんでいっぱいだった』
「……!」
『だから翔ちゃん、わたしは』
「待て!! ……そこから先は、俺が言う」
ぎゅ、と翔ちゃんがわたしの手を強く握り返して、綺麗な青い瞳に捉えられた。
あぁ、こんなに素敵に成長した翔ちゃんに見つめられているなんて、夢みたいだ。
「……なまえ」
『はい』
「俺は、一回り大きくなって、お前に会いに行くって決めてたんだ」
『………』
「好きだ、なまえ。俺でよければ、付き合ってほしい」
『……うん。わたしは、翔ちゃんがいい。よろしくね』
わたしがそう答えると、よかった、と小さく翔ちゃんが呟いた。そのまま翔ちゃんはゆっくりわたしの体を引き寄せる。大事そうに扱うその仕草に、すごく温かい気持ちになって、わたしも翔ちゃんの背に手を回すと、耳元で照れたような小さな笑い声が聞こえた。
「……お前、全然変わってねえな」
『ん?』
「何でもねぇよ」
『……翔ちゃんは、変わったよね』
「え?」
驚いてこちらを見る翔ちゃんに、何でもない、と言って、わたしは立ち上がった。
「おい、どういうことだよ、なまえっ!」
『ふふ、何でもないってば。ねぇ、それよりどこか出掛けようよ。せっかく来たのに、家にいちゃもったいないよ!』
ぐい、と腕を引っ張って、玄関を指差す。すると、ふわっと笑って、そうだな、と翔ちゃんが言った。
変わったのは、翔ちゃんががんばった証。今まで、変わらない、と言われるのが嬉しかったけれど、わたしも、翔ちゃんと並んで歩けるように変わっていきたい、と思う。
そうして、これからは二人で、辛いときも楽しいときも、一緒に歩んでいけたら。その未来を想像して、ほころぶ顔をそのままに、わたしはドアノブに手を掛けた。
目の前には、眩しく輝く未来
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これからも翔ちゃんはきっと、どんどん輝いていくんだろう。その彼に、隣にいてほしいと思ってもらえたからには、わたしもがんばらなくっちゃね。
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