とある昼下がりのこと
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部屋のドアを開けると、いつものようにブレイクがベランダでケーキを食べていた。太陽が彼の白髪を反射させて、少し眩しい。
『……珍しいわね、ブレイクがこんな明るいところにいるなんて』
「太陽に当たりたくなったんデスヨ」
紅茶をブレイクのところへ置くと、ありがとうございマス、と彼が手にとった。たっぷりと砂糖が入ったそれはきちんと溶けきっていなかったようで、少し口をつけた後ブレイクはスプーンをくるくると回す。
「…………ワタシも流石に気が重いので、太陽に当たれば少しはマシになるかと思いましたが……あまり効果はありませんネ」
『…………』
「……まぁ、我々が塞ぎ込んでいても仕方がありまセン。貴女も一口どうですカ?」
目の前に、フォークに刺さったケーキが差し出される。私は黙ったままブレイクの元にあったケーキを皿ごと引き寄せて、紅茶のカップに入っていたスプーンでケーキを掬う。
『私はこっちを頂くわね』
「……返しなサイ」
『たまには私が食べたっていいでしょう』
「…………」
いつもとは違い、ブレイクはあっさりと手を引いた。短く息を吐いて、頬杖でフォークに刺さったケーキを食べる彼は、やはりいつもより元気がなかった。
オズくんの真相は、オズくんやギルバートだけでなく、ブレイクにも影響が大きかったらしい。私は彼とは付き合いが長いけれど、オズくんやギルバートと接した時間はそんなに多くはない。そんな私でさえ衝撃だったのだから、彼にはもっとこたえたのだろう。
『…………』
「……貴女にも、辛いことだったでしょうネ」
『……ブレイクほどじゃないわ』
「…………」
『でも、少し思ったことがあるの』
「……何デス?」
風が、ブレイクの髪を揺らした。ほんの少しだけ覗いた彼の左目が、こちらを見ているような気がした。
『ジャック=ベザリウスの、体。彼は、世界の理から外れてしまって、老いては若返ることを、繰り返してたって』
「…………」
『それが少しだけ、私には羨ましいって思った』
私がそう言うと、ブレイクは露骨に嫌な顔をした。手に持ったフォークを揺らして、口を開く。
「……何を言っているんデスカ、貴女は。いかにもあのドブネズミが言いそうなことを……」
『ヴィンセント=ナイトレイが? 失礼ね、彼と一緒にしないでよ』
「まともな人間が言うことだとは思えませんネ。どうしたら、世界から見放された男を羨ましいなどと……」
『…………』
「……なまえ?」
『……年を重ねてから、わかるじゃない?』
「何がです?」
『子どもにしかない強さとか、考え。それがわかってから戻れるなんて、いいなって』
「…………」
『やり直したいなんて思わないけれど、もっと得られるものがあったんじゃないかって、思うことがあるから』
「……全く、貴女って人は」
『ブレイク?』
ブレイクは持っていたフォークを置いて、机の上にあった小さなバスケットを弄びはじめた。
「……知っているでしょうガ」
『はい』
「ワタシは子どもが嫌いデス」
『うん』
「何故だかわかりますカ?」
『……勝てないから、でしょう?』
そう言いながら、私はブレイクの手をただ目で追っていた。彼は、小さなバスケットの中に入っていたあめ玉を、取り出しては並べている。
「……彼らは、わかっていないからこそ、強いんデス」
『…………どういうこと?』
「知ってしまっては、意味のない強さなんデスヨ。一回認識してしまえば、それは強さではなくなりマス」
『…………』
「ですから、たとえ大人になってその意味がわかった後に戻ったとしても、もう子どもには戻れまセン」
『……つまり、ジャック=ベザリウスの輪廻は、私が望むようなものではないってこと?』
「そうデス。心が子どもに戻ることはありませんからネ。……まさに、生き地獄と同じだ。終わらないことほど怖いものはありませんヨ」
少しだけ、想像してみた。ある程度歳を重ねて、また若返る体。色々知ってしまった自分が子どもに戻ることは、確かに難しいかもしれない。けれど、知ったからこそ、また新たに気付けたことを、大切にできるんじゃないかと思った。
「……まぁ、貴女の言いたいことは、わかりマス」
『え?』
「新しく気付けることも、あるかもしれませんからネ」
『……うん』
「…………以前のワタシだったら、そんな風に考えることはなかったんですガ」
『……?』
「ワタシも、変わったということデス」
『……そうかな』
私がそう言うと、ブレイクは私の口にあめ玉を放り込んだ。
『っ!? 危ないじゃない、ブレイク!』
「貴女のおかげだと言っているのが、わからないのですカ?」
『……え』
「まぁ、貴女にははっきり言わないと伝わらないんでしょうガ」
『……ふふ』
「何です?」
『なんだか告白しているみたいね、それ』
冗談でそう言うと、ブレイクは視線を私に移した。
「……それは、貴女の願望デスカ?」
『えっ』
「ワタシに告白されたいという」
『え、え!? なっ、ちが、』
「なかなか大胆ですネェ」
『だから! 違うって!!』
「違うんですカ?」
急にそう聞き返されて、何も言えなくなった。そんな風に思ってるわけじゃない。けど、期待してないと言ったら嘘になる。
『…………』
「……なまえ?」
『…………』
「……ワタシは好きデスヨ、貴女が」
驚いて、あめ玉を飲み込んでしまいそうになった。顔を上げると、私を見ていたブレイクと目が合う。
「……平和なんてほど遠いこの世界で、貴女といる時間だけは、ワタシにとってかけがえのないものなんデス」
『…………』
「わかっていただけましたカ?」
『……うん』
「よろしい」
満足げに、彼は紅茶をすする。それを見て、無意識に私の口が動いた。
『……たとえ得るものがあっても、あなたのいない人生を繰り返す輪廻なら、意味ないわ』
「…………え?」
『……いいえ、なんでもない』
気が付いたら当たり前になっていたあなたの存在。いなくなるなんて、考えられないもの。
にっこりと笑うと、ブレイクは怪訝そうに私を見た。
「……まぁいいデス。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
『ええ』
冷めてしまった紅茶を一気に飲み干して、コートを手に取った。
とある昼下がりのこと
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何でもないことのように交わした特別な話は、忘れることなく輝き続ける。
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