それは、まるで水や太陽のような
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「……君は、変だね」
そう言って、ヴィンセントは部屋を出ていこうとした。その手を掴んで引っ張れば、少し顔をしかめたまま彼がわたしを見下ろす。
『…………』
「……離してよ」
『嫌』
「…………」
『行かないで』
わたしの言葉に、ふいと視線を逸らして、ヴィンセントはわかったから離してよ、と呟いた。素直に手を離して見上げると、彼の輝く赤と金の目がわたしを捉えた。
「僕は君に、今まで酷いことをしてきたよ」
『そうね。この前も、あなたはわたしを騙して囮にした』
「………なのになまえは、僕が好きだと言うの?」
『…………』
「……あれは嘘?」
『違う。あれは本当のことよ』
「じゃあ、どうして」
『ヴィンスは、好きになった理由が知りたいの?』
わたしがそう言うと、ヴィンセントは黙ってこちらを見つめている。その無言の肯定に、わたしはありったけの皮肉を込めて返した。
『そんなの、わたしが知るわけないでしょ』
「……え?」
『理由なんてないって言ってるの』
「…………」
『……は、なんて顔してるのよ』
初めて見せた彼の唖然とした顔に、思わず笑みが溢れた。それを見て、さらに大きく見開かれた彼の瞳は、とても綺麗だと思った。
今まで、ヴィンセントの策略にわたしは何度も利用されてきた。家族を人質に取られて、仲間であるギルやブレイクを傷付けたこともある。あの頃は、ヴィンセントを死ぬほど憎んでいた。いつか同じ目に遭わせてやりたいと、悔し涙を流したことさえある。
そんな憎しみが、愛情に変わったのは一体いつのことだろう。歪な彼の中に、揺るがない悲しい想いを、見つけた頃からだろうか。
自分を責め続ける彼を、癒してあげたいと思った。彼の中にある大切なものに、わたしもなりたいと思った。
そして、それは愛しいという感情なんだと、気付いた。
『ねぇ、ヴィンス』
ひんやりした彼の頬に触れる。表情を変えず、ぴくりとも動かないヴィンセント。そのままわたしが顔を近付けても、動こうとしない。
『ひとつ、教えてあげる』
「……何?」
『あなたが、複雑で歪んだ人間じゃなかったら、わたしは好きにならなかったと思うわ』
「…………」
『じゃあね』
「……待ってよ」
ぐん、と手を引いたかと思うと、ヴィンセントはわたしの後頭部を捉えて顔を思いきり引き寄せた。鼻先がかするくらい近くに、彼の顔がある。透き通るオッドアイに、驚いて丸くなったわたしの瞳が写っていた。
「…………」
『…………』
「……嘘をついているようには見えないね」
『っ!』
ヴィンセントが喋ると、息がかかった。
少しでも動けば、唇が触れてしまいそうな程近くて。
わたしは、動けなかった。
『………』
「……なまえ?」
『な、に』
「……面白いね、その顔」
『は…?』
「真っ赤だよ?」
『うっ、るさい…っ!!』
自分でも制御できない頬の熱。一番見られたくないのに、ヴィンセントはわたしの頭から手を離してくれない。抵抗するわたしを見て、ヴィンセントはくすりと笑った。その直後、一瞬だけ触れ合った唇。
『……!?』
「……ふふ…」
『い、いきなり何するのよ!!』
「あれ、嬉しくなかったの?」
『………思わせぶりな態度、とらないでよ』
「したいと思ったからしただけだよ」
『……え?』
「いつもの君らしくなく動揺してる姿、僕は嫌いじゃないよ」
『…………』
嫌いじゃない。
その言葉が思った以上に嬉しくて、馬鹿にしてるの、と強がって返したけれど、ヴィンセントは見透かすように薄い笑みを浮かべた。
彼がその言葉を使うとき、言葉通りの意味では使わない癖があることを、わたしは知っている。
つまり、“嫌いじゃない”ってことは、“大好き”ってことで。
『………っ、ヴィンスなんか、嫌いだわ』
「…君は本当に変な人だね」
『あなたに言われたくない』
「……はは」
『っ! わ、笑わないでよ!!じゃあね!』
心臓の音があまりにも大きくて、自分で自分に耐えきれなくなって、わたしは乱暴にドアを閉めて部屋を出た。
ヴィンスに優位に立たれるのは嫌だと思ったのに。
不意に笑うなんて、反則よ。
それは、まるで水や太陽のような
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「……あれ、なまえサン」
『っ、ブレイク……どうしたの、顔怖いわよ?』
「いいえ……あのドブネズミに今朝会いましてネ…」
『(……ヴィンスと?)』
「その時の薄ら笑いを思い出してしまったんデスヨ……あぁ、不快だ…」
『………』
「ん? どうかしましたカ?」
『(……その笑顔にときめいてました、なんて言ったらどうなるのか…)』
「……なまえサン、変なこと考えてますネ?」
『いやいや何でもないです』
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