Consolation
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自室の扉を開けて、腰に巻いてあるベルトをソファに投げ付ける。小さな武器がたくさん仕込まれているそれは、大きな金属音を鳴らして布に沈み込んだ。
『……はぁ』
体がだるくて、シャワーを浴びる気も起きずにベッドに倒れ込む。夏が近付いてきた今、薄くなった布団はわたしの体重を抱えきれずに、ベッドが軋んだ音を立てた。目を閉じると、脳裏に両目に違う色を持つ彼が浮かんでくる。
全く、薄笑いで無茶な要求ばかりするんだから。
わたしが動かなくなると、音が消えた。微かに聞こえてくるのは、冷蔵庫の機械音くらいか。
不意に、日付が変わったことを知らせる壁掛け時計が鳴った。……今日は日付が変わる前に帰ってこれたんだ。
『……よし』
少し元気が出て、重い体を動かして洗面台へと向かった。シャワーを浴びようと思ったけれど、また明日にしよう、と思い歯ブラシに手を伸ばす。洗濯機を回すことを思い出して、スイッチを押した。ボタン一つですぐに洗濯出来るなんて、便利な世の中になったもんだ。
歯磨きを終えて、軽く着替えてまたベッドに戻った。目を閉じれば、洗濯機の回る音が部屋に溢れて心地よい。生活感のある音は好きだ。生きてる感じがする。
電気を消そうとリモコンに手を伸ばしたその時、控え目に部屋のドアがノックされた。
『はい』
「……なまえ、起きてる?」
躊躇いがちのその声を聞いた瞬間、体からふっと力が抜けていくのがわかった。ああ、やっぱりすごく安心する。
『オズ、どうしたの……とりあえず、入って』
わたしが声を掛けると、小さくドアが開いた。そこでやっと、ドアの鍵を閉め忘れていたことに気付く。
「ドア、閉めなくちゃ……危ないよ」
『オズが来るって分かってたから開けてたの』
「……そういうことにしておくよ」
苦笑混じりにそう言って、オズはソファに腰掛けた。
「ごめんね、起こしちゃった?」
『ううん、いいよ。オズ見たら元気になった』
「はは、嬉しいなぁ」
『………』
「………」
『……で、何の用?』
「…………」
『オズ?』
「これ」
『?』
ずい、とオズの手がわたしの顔の前に差し出される。その手の中にあったのは、わたしがよく飲んでいる栄養ドリンクだった。
『……ん?』
「あげる」
『ありがとう!……でもなんでいきなり』
「………この前、ブレイクと…」
『ブレイク?』
顔を覗き込むと、顔を赤くしたオズに睨まれた。かわいいなぁ、と思うのと同時に少しびっくりする。オズのこんな顔は初めてだ。
「ブレイクとなまえ、パンドラの談話室で話してた日、あったよね」
『……んー、そうだっけ?』
「栄養ドリンク、ブレイクから渡されてたでしょ」
『……あー!』
そういえば一昨日、栄養ドリンクを買い忘れた、とブレイクに漏らしたら、そう言うと思ってました、とブレイクがわたしに缶を渡してくれたのを思い出した。仕事でもプライベートでもなんだかんだでお世話になっている彼のことだから、きっとわたしの行動パターンを読んであれを渡してくれたんだろう。
『そうだったね。……ん、なんでオズが知ってるの?』
「え?……た、たたたまたまね!部屋を通りすぎようとしたらね!見えたんだよ!」
『ふーん』
「そ、そんなことよりっ」
オズは早口でそう言うと、わたしの手に缶を握らせた。そのままわたしの両手を優しく包み込んで、じっと見つめてくる瞳はすごく綺麗で、オズから目が離せなくなる。
「昨日今日と連続で、遠出してたでしょ。お疲れ様」
『……うん、ありがとう』
「これ飲んで、元気出して!」
ぎゅっと手を握って、満面の笑みを向けてくるオズにつられて、わたしの顔もふにゃりと歪んだ。正直わたしにとって栄養ドリンクは気休めとして摂取しているものだったけれど、この缶だけは大事に飲もう、と心に決めて、オズにもう一度お礼を言った。
本当は、栄養ドリンクなんてなくても、このオズの笑顔のお陰で1ヶ月頑張れるくらいの元気はもらえたんだけれど。
『ありがとう、オズ』
「……いつも」
『え?』
下を向いたオズが低く呟いて、思わず聞き返したわたしを、透き通る緑色の瞳が貫いた。さっきとは違って深く憂いを帯びた色になったそれを、わたしは真っ直ぐに見られなくて俯く。
「辛いことばかりさせて、ごめんね」
『……?』
「オレには、缶を届けることくらいしか出来ないんだ」
そう言って唇を噛み締めたオズを、わたしは軽く抱き締めた。辛い、なんて思ってない。わたしがパンドラに入ったときから、これは覚悟していたことなのに、そんなことでオズを悩ませたくなかった。
「……っ、なまえ」
『わたしはオズのお陰で、今までがんばってこれた』
「…………」
『オズがいてくれるから、今のわたしがいる』
「……本当に?」
『もちろん!』
さっきまで感じていた疲れとか、もやもやと心に広がっていた闇とかが、オズを見るだけで和らいでいた。本人は全然気付いていないけれど、それって、すごいことなんだ。
『ありがとう、オズ』
「……うん」
『ほら、もう遅いから』
「…………」
部屋を出ても心配そうにこちらを見るオズの頬に、軽くキスをして、わたしは部屋のドアをゆっくりと閉めた。挨拶だよ、と言っているのに、わたしがキスをするとオズはいつも驚いた顔をする。感情が籠っているからだろうか。
オズから受け取った缶をあけて、少しだけ口にした。じゅわっと酸味が広がって、体に染み渡る。いつもはただの刺激にしかならないその感覚も、オズからのものだと思うと心地よく感じる。明日からの仕事も、頑張れそうだ。
残った栄養ドリンクを冷蔵庫に突っ込み、部屋の鍵をかけて、わたしはベッドへと潜り目を閉じた。
Consolation
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わたしにとっての慰めは、オズの存在そのもの。
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