あなたの影が消えるまで

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旋律の中に、それはあった。

真っ黒の手袋をしたわたしの指が、ピアノを撫でるように動く。
わたしが触った鍵盤には、血が付着している。ピアノを弾くたびに赤が増えていって、たまに血で指が滑って奏でられる不協和音にも、わたしの心は震えた。

溢れる涙を拭うこともせずに、旋律に身を委ねたまま、わたしは目を閉じた。

















『あ、ギル!』

「……なまえ!珍しいな、お前がこんなところにいるなんて」

『うん、たまにはここに来ないと。家は窮屈で仕方ないから』

「……そうだな」





そう言ったギルは、とてもやわらかな笑みを浮かべている。
本当にお人好しだな、と思った。





『ねぇギル、わたしもピアスしたい』

「なっ…!だめだ!」

『……どうして?』

「自分が体傷付けるのはいいのに、他人が傷付けてるのは嫌なんだろ。……我が儘なやつだな」

『エリオット!』





声がした方に顔を向けると、従者のリーオを連れたエリオットが、軽く手を上げながら歩いてくる。





「よう。なまえ、新しい楽譜が手に入ったんだ、連弾しねぇか?」

『ええ、もちろん!』

「おい、エリオット!俺にも挨拶し」

「えーいいなぁ、エリオットばっかり。僕も弾きたいよ」

「お前とは昨日弾いただろ、リーオ」

「違うよ、僕はなまえと弾きたいって言ったの。……全く、相変わらず自意識過剰だね」

「……なんだとリーオ!!ただ勘違いしただけだ!その言い方、俺がいつもナルシストみたいに聞こえるじゃねぇか!」

「おい、話を聞け」

『とりあえず二人とも、洋室まで行こうよ。それとエリオット、ナルシストなんて言ってないから』

「ほんとだよ。耳まで馬鹿になったの、エリオット」

「もののたとえとして言っただけだ……!なんでお前はいちいちそんな……」

『ってことで、またねギル!お仕事頑張って!』

「おい、なまえ!?待っ……」





おろおろするギルを笑い飛ばしながら、軽く言い合いをするエリオットとリーオに挟まれて歩き出すわたし。
昔から変わらないこのやりとりに、緩む頬を抑えられないわたしに、リーオが声を掛ける。





「……ん?何だか嬉しそうだね、なまえ」

「おいリーオ、話聞け!」

『ふふ。楽しいよ、すごく。エリオットも、たまには眉間の皺、取ればいいのに』

「………うるせぇ。好きで皺作ってるわけじゃねぇよ」





キイ、と音を立ててドアが鳴る。
綺麗に整頓された部屋に、ぽつんと置かれたピアノに向かって歩くわたしとエリオット。その辺にあった椅子を持って、リーオが後ろからついてくる。





『リーオ、待っててね。あとで弾こう』

「うん」

「……よし、やるぞなまえ!」





エリオットの軽やかな旋律に導かれて、わたしが和音を奏でる。新しい楽譜、と言っていたけれど、これはきっとエリオットとリーオが自分で作ったものなんじゃないかと思った。時々ベース音に混じってくるリーオの低音が、わたしたちの音を支えて、より荘厳になっていく一方、まるで底なしの穴の中に落ちていくように、旋律は暗いものへと変わっていく。

そのとき、そっと手を差し伸べるかのように、エリオットの奏でるメロディが、明るいものへと変化した。ベースや和音は暗いままなのに、楽しそうに聞こえてくる旋律に、わたしまで心が弾む。
















そっと目を開けると、血まみれの鍵盤が目に入った。
そのあと、どうなったんだっけ。



あの頃より少し傷が増えたわたしの手は、たくさんの人の血を吸って、重くなっていった。
そういえば、ピアノに素手で触りたくない、と言ったわたしに、この手袋を差し出したのもエリオットだった。哀れみとはまた違う、決意のようなものを含めたエリオットの瞳が、とても印象的だった。

わたしの頬を伝った涙が、鍵盤を彩っている血の上に落ちて、赤黒く光っていたそれを薄くしていく。





『……間に合わなかった』





傷から流れる血を止めようと抑えたわたしの手に、優しく自分の手を重ねて、微笑んだエリオットの姿が脳裏に浮かぶ。

好きだった、と。
彼は、確かにそう言った。





『………っ…』





今さら気付くなんて、遅いかもしれない。
でも、気付いてしまったらもう、止まらなくて。





『エリオッ……ト』





もっとたくさん笑顔を見たかった。連弾したかった。いろんな話をしたかった。
一緒に思い出を、作っていきたかったよ。

抑えきれずに漏れる声が、部屋に響いた。
まだ、あなたのことは乗り越えられそうにないけれど。
せめて今、この部屋でだけだから、あなたの思い出のそばにいさせて。






















あなたの影が消えるまで
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そればかりを追いかけていても、仕方がないことはわかっている。
でも、彼の影は至るところに残っていて、わたしはまだ、離れられないまま。








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