嫉妬
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「……お前、気にならないのか?」
狡噛さんの自室で、彼のまとめた資料とにらめっこをしていると、背中から声をかけられた。
『え、何のことですか?』
「タバコだよ。俺の部屋はタバコ臭いだろう?」
『そうですね。でも、佐々山さんのおかげで慣れていましたし、そんなに気にならないですよ』
一係に配属になって、初めは本当に苦労した。時代遅れのヘビースモーカーである佐々山さんと一緒に行動するたびに、嗅ぎ慣れないタバコの臭いに悩まされたものだ。
そんな彼は、もういなくなってしまったけれど。
「そうか。……でもあんた、タバコは吸ったことないんだろう?」
『はい。吸う人の気が知れません、あんな害しかないもの』
「……まさにその通りだな」
自嘲気味に笑う狡噛さんを見ながら、私は、あ、と声を漏らした。
そういえば。
「なんだ?」
『一度だけ、吸ったことがありました。煙くてほんの少しだけでしたけど』
「……なんでだ? 興味本位か?」
『まさか。佐々山さんにしつこく言われて、一回だけ吸ってみなよ、って』
「……なんだと」
『一回吸って咳き込んで終わりですよ。それにもうなくなりかけだったので、火も消えかかってましたし……』
資料に目を戻しながらそう言うと、いきなり肩を掴まれた。驚いて顔を上げると、あまりにも近くに彼の顔があって、さらに驚く。
『え、な、なんですか』
「あんた、佐々山が吸っていたタバコを吸ったのか?」
『え、はい』
「……佐々山がくわえていたタバコを、か?」
ぎろりと、鋭い瞳がまるでナイフを突きつけるかのように私を見ていた。その威圧感に耐えられなくて、私は視線を逸らした。
『あ、その……えっと、ごめんなさい』
「どうして謝る」
『……怒ってますよね?』
「……怒る? 俺が?」
『ち、違うんですか?』
「…………」
『……狡噛さん?』
しばらく私と向き合っていた彼は、何も言わずに私の肩から手を離し、灰皿から短いタバコを拾うとそのまま火をつけた。
『…………』
「…………」
狡噛さんは口元からタバコを取ると、ゆっくりと息を吐いた。そして、ふたたびタバコをくわえて私へと目を向ける。
「…………」
『……?』
「吸ってみるか?」
『……え? だから私は』
「一回くらいいいだろう」
彼はそう言いながら、タバコを挟んだ手を私へと差し出した。
鋭い瞳が私を静かに見つめている。佐々山さんの時と同じ状況なのに、何故だかあの時よりも緊張していた。
そして差し出されたタバコに視線を向けた私は、目を疑った。
色がついている口元の場所には噛んだ跡があり、少し形が歪んでいた。まるで、子供がストローを噛んだかのようなそれに、驚きが隠せない。
『……あ、の』
「なんだ」
『…………』
その噛んだ跡は、薄く光っていた。それが唾液だと分かった瞬間、私の顔が真っ赤に染まる。
今更ながらに実感した。このタバコは、先程まで狡噛さんの口にくわえられていたもの。
「…………」
『……っ、か、からかわないでください』
そう彼を睨むと、狡噛さんはわずかに口角を上げた。
その表情は今までに見たことがなくて、一瞬たじろぐ。なんだかよからぬことを企んでいるかのような、そんな笑みだ。
彼は急かすようにタバコを持っている手を揺らしながら、口を開いた。
「佐々山の時は吸ったんだろう? それとも俺に勧められたものだからか?」
『……そ、その言い方はなんだか卑怯です』
「そんなことはない」
『……わざと言ってますね?』
「さて、どうだかな。……とりあえずあんたは、佐々山のくわえたタバコは抵抗なく吸えるが、俺のタバコは抵抗があって吸えないってことだ」
『…………』
何も言えずに黙っていると、小さく笑い声が聞こえてきた。
「……少しからかいすぎたな」
『…………』
「そう怒るな」
『……怒っては、ないですけど』
「そうか。その割には、顔が赤いが?」
『……!!』
「はは」
楽しそうに笑う狡噛さんに、またからかいましたね、と言うと、趣味のようなものだから気にするな、と言われた。
それにしてもからかうのが趣味だなんて、普段飄々としているくせに悪趣味だ。
狡噛さんは立ち上がって、短くなったタバコを潰した。そこから煙が薄く立ち上っていく。
「……さて、そろそろ二係が任務を終えて帰ってくるだろう。それまでに、この資料を自分なりに整理しておくんじゃなかったか?」
『あ……。もう、狡噛さんが変なことするから……!!』
「言っただろう、趣味なんだ」
『厄介な趣味ですね』
そう返しながら、私は少し疑問に思った。
からかったにしては、どこかいつもと違ったような気がする。どこが、と言われるとわからないけれど。
せっかくだから他の奴の意見を聞きながらの方がいいんじゃないか、と言われ、私は気になる資料だけを手に取ってドアへと向かった。彼の情報によると、大抵この時間に談話室で征陸さんと縢くんが飲み交わしているらしい。
ドアの前で私を待っている狡噛さんに、私は声をかけた。
『……それにしても、狡噛さんって変な癖があったんですね』
「癖?」
ドアを開けた彼が、訝しげにそう言う。礼を言って部屋の外に出て、そのまま私は続けた。
『タバコを噛んでたじゃないですか。まさか狡噛さんにそんな子供みたいな癖があるなんて思いませんでしたけど』
「……ああ、あれはわざとだ」
『え?』
後ろでドアが閉まる音がした。どうして、と振り返ろうとすると、狡噛さんはそのまま私の横を通り過ぎていった。
一瞬見えた横顔が意地悪く笑っていたのは、気のせいだろうか。
「特に意味はないさ。……さっさと行くぞ」
『え、あ、はい』
慌てて追いかけて彼と並んだけれど、その表情は見ることが出来なかった。
嫉妬
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