狡噛執行官と元同僚監視官

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私はバルコニーに来ていた。
しんと静まり返ったここは、あまり人が寄り付かない。来るのは室内では吸えないタバコを吸う喫煙者か、もしくは私のような少し変わった人間だけだ。
角の手すりに寄りかかり、目の前に広がるビル郡を見わたす。閑静で無機質なこの景色が、私はなぜか好きだった。ホログラムじゃない本物の景色が、私の目には新鮮に映るのだろうか。

ドアの開く音が響いて、足音が私の隣で止まった。手すりに肘を置いた彼は、そのままタバコに火をつけた。




『……服に臭いがつきます』

「ここは俺の特等席だ」

『狡噛さんのじゃないでしょう』

「……タバコは嫌いじゃないんだろう?」

『ヤニ臭くなるのは嫌です』




ふー、と息を吐いたあと、そうか、と彼が呟いた。煙がゆらゆらと昇っていく。




『……宜野座さんから聞きました』

「…………」

『最近、怪しい行動をしているらしいですね』

「……怪しいとは人聞きが悪いな。俺はただ、個人的に興味があって動いてるだけだ」

『潜在犯隔離施設にですか?』

「…………」

『過去の事件についても調べているらしいですね。主に未解決事件を中心に』

「……お前に対して口が軽すぎるんだ、ギノは」

『信用されていると言ってください。それより、あの宜野座さんが人に意見を求めるほど目につくってことですよ、狡噛さん』




顔を向けると、狡噛さんは小さく笑って短くなったタバコを潰し空き缶の中に入れた。そのまま慣れた仕草でもう一本のタバコに火を付ける。




『あんまり目立ったことをすると、執行官でさえ危うくなりますよ』

「そうなったらそれまでだ。他にいくらでも方法はある」

『……そんな…』

「…………」




ゆっくりと煙を吐いた彼が、タバコを口にくわえたまま手すりから肘を離し、反転して背中を手すりに預けた。口元からタバコを手に取り、また息を吐く。彼が動いた瞬間に懐かしい臭いがして、鼻がつんとした。




『…………』

「……お前も吸うか?」




顔を向けずに、狡噛さんが目だけを私に向けた。人差し指と中指の間にあるタバコの細い煙が、ぼんやりと揺れて見える。
知ってるか、と彼の声が頭の中に響いた。実は俺が吸ってる煙よりも、この先端から出る煙の方が体に悪いんだよ、名前ちゃん。




『……いいです。タバコは体に悪いので』

「そうだな」

『…………』

「お前はそれでいい」




そう言って、狡噛さんは上を向いて煙を吐いた。佐々山さんと同じ銘柄のタバコを吸い始めた目の前の彼は、常にこの臭いを身にまとっている。まるで、あの事件のことを、周りに忘れさせまいとするように。




『……背負い込みすぎですよ』

「ん、なんだ?」

『そんなんだといつか潰れますよって言ったんです』

「俺はそんなにヤワじゃない」

『人間には限度があります』

「……でもお前が監視官でいる限り、そんなことにはさせないだろ?」




彼の口元が歪んだのが見えて、私も笑みを返した。狡噛さんは、この世界で生きるには優しすぎる。刑事課には不釣り合いなほど真面目で、愚かなほどに真っ直ぐだ。
そんな彼を、私は止められるだろうか。狡噛さんが自分の意志で間違った道を選んだ時に、それが正しくないと、言えるだろうか。




『……あ、』

「…………雨か」




頬に滴が落ちてきた。ぼんやりと上を見上げると、不穏な色をした雲が狭く四角い視界いっぱいに広がった。
戻るぞ監視官、と肩を叩かれて、私は顔をしかめた。狡噛さんと、一瞬目が合う。細く鋭い瞳。その瞳の奥に、真っ黒な沼が広がっているような気がした。




『その呼び名は嫌ですっていつも言ってるはずです、狡噛執行官』

「冗談だよ苗字、怒るな」

『怒ってません』

「はは」




タバコを潰して歩き出した彼を追うように、私も一歩を踏み出した。対等だったお互いの立場も、周りの環境や人も変わってしまったけれど、変わらずにこの場所で語り合ったことはこれからもずっと覚えているだろう、と思った。







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