[どうしてこんな人好きになってしまったんだろうか](37←89)





立春を過ぎても外はまだ冬の風が流れている2月。
天気予報は雪か雨かと毎日落ち着かず、海は寒々しく波を岸壁に叩きつけている。
委員会の引き継ぎも終わり、後は立海大附属高校への面接試験を待つだけとしていた真田にとってこの期間は非常に手持ち無沙汰な時間だった。
テニス部は切原を部長とした新体制が王座奪還を目指し、試行錯誤している。口を挟みたい箇所が多々あるが、既に副部長を辞した身では分不相応な振る舞いだろう。
学生の本分たる勉学も、毎週末に外部進学勢の入試が控えている現状では中学3年間の復習の他行えるものがない。授業も自習が多くなり、課題を終えた後にいつも読んでいる小説も最終章に入ってきていた。
しかしそんな真田とは違い、他の旧レギュラー陣は相変わらず忙しい日々を送っているようだった。
同じく立高進学をする幸村は入退院を繰り返していたせいで遅れた分の勉強を行っており、柳はそれに付き添っている。
製菓の専門学校へ進むと宣言していた丸井は親との衝突がありつつも、結局高卒資格も同時に取れる隣の市の調理師学校の入試を受けることになった。
ジャッカルは附属高の内、立海工業の方へ進むようになっていたが、放課後は父親が働いている料理店の手伝いで手が離せないらしい。
残りの仁王に関しては『県外の工業高校へ進む』ことが風の噂で流れているが、本人はいつものように飄々と掴みどころがなく、自分の進路について発言することがない。だが両親が既に他県へ引っ越していると担任が言っていたことを考えると、恐らく事実なのだろう。
そして柳生は、と真田は歩いていた足を止め、深く息を吐いた。
柳生は医者になるという目標の為、東京の高校へ進学する。外部進学の上、立海の学習レベルより高い高校を志望しているだけに、自習の時間もただひたすらに勉強を続けている。
話によると、柳生の志望する高校は入学試験であるにも関わらず、高校1年程度の問題が出題される為、元々立海の学習進度では間に合わず塾に通っていたらしい。
普段の学校の授業だけでなく塾の講義まで受け、それでいて風紀委員会の職務やテニス部のレギュラーをこなしてきたというのだから全く敬服する。その辺りは本当に敬服するのだが、と真田は心の中にある曇った感覚を吐き出すように一つ大きく呼吸をした。

『好きです、私と付き合ってください』。その告白は突然だった。
記憶が正しければ12月の末。風紀委員長として最後の委員会会議を終え、多少の感慨に耽っていたところへの思わぬ一言。
あまりにも唐突な内容に2、3度聞き直したものの、真田には全く意味が分からなかった。誰が、誰を、どのように、どう好きなのか。順を追って説明を求めると、柳生は『私は恋愛感情で以って貴方・真田弦一郎に惹かれている』のだと発言したが、それでも真田には意味が分からなかった。
まず好かれる理由が分からない。柳生には特別な感情を抱いたことも無ければ、何かをしてやったという記憶も無い。他のレギュラー陣達と同じように接してきただけで、何故恋愛感情などと口にするほどにまで好意を抱かれるのか。それがまず第一の疑問だった。
次に分からないのは何故自分なのかということだった。確かに同じクラスで同じ委員会で同じ部活だが、そもそも相手も男で自分も男であることを考えるとやはり社会通念上は異端と判断されてもおかしくないであろう。変わり者が多い旧レギュラー勢の中でも常識人だった柳生ならば、それも自覚しての告白ということなのだろうか?
最後は何故告白してきたのかということが分からなかった。常識も知識もある柳生が、何故男である自分に恋の告白などを行ったのか。何故そのような行動を取ろうと決意したのか。好きだの何だのはさておき、今まで内に秘めていた思いを吐き出すのは、どんな形であれ精神を削る。そんなダメージを受けてでも自分に告白するだけの価値があるとは真田自身微塵も思えなかった。
その為、真田は告白されたその場で断ったものの、柳生は『絶対に諦めませんからね』との捨て台詞を吐いて、その場を立ち去った。それも真田の胸の中にあるわだかまりの原因の一つだった。
絶対に諦めない、とはっきり口にした割りには告白以来自分に対して何ら働きかけてくることが無い。その後の冬休みも休みが明けてからも、そして現在に至るまでも、何もしてこない。かえって気味が悪い。
かといって自分はあくまで告白を受けた側であり、こちらから何か行動する理由は無い。何がしたいんだ柳生は。つい徒口が漏れる。真田はもう一度溜息をつき、再び歩き始めた。

立海に入ってからテニスを始めた柳生はテニス部では異色な存在だった。
自分や幼馴染だった幸村をはじめ、立海男子テニス部の部員は最低でも入部前に3年以上経験を積んでいたと記憶している。そんな中、ドライブとスライスの違いが分からないような初心者が入部してくるとは誰も考えなかった。
そしてその男が、関東大会15連覇・全国大会2連覇の立海テニス部の正レギュラーになることも、恐らく誰も予想だにしていなかっただろう。
真田の脳内にある一番古い柳生の記憶は2年の秋にあった新人戦個人の部準決勝。劣勢の柳生が繰り出した強烈なパッシングショット。対戦相手の対角へ足元へ死角へ放たれる打球は鮮烈かつ正確。
『レーザービーム』と名付けられたその武器を手に、柳生はそのまま一気に新人戦優勝を勝ち取った。それが真田にとっての柳生に関する最初の記憶だった。
つまり立海に入学して2年の秋に新人戦で優勝するまで、真田は全く柳生の存在に興味が無かった。しかも2年の終わりに柳生が生徒会から移籍するまでは席を隣にするどころか、隣のクラスにすらなったことが無い。ここまで全く関連性の無い人間に対してよく興味が持てたなと、真田はある意味で柳生に感心する。
3年で初めて同じクラスになり、風紀委員会に移籍して、正式にレギュラーとなって。確かにここ1年で急激に接触は増えた。だが、真田自身としては普通のクラスメイトとして、委員長と委員として、副部長と部員として接してきた覚えしかない。やはり恋愛感情を抱かれる理由が分からない。
好意を持たれることは決して悪いことではない筈なのだが、と真田は困惑している自分自身に関して何故か決まり悪い気分で居た。同性から恋愛感情を抱かれていることに嫌悪感があるかといえば、微妙に感覚が違う。どの部分に違和感を覚えているかと考えると、やはり『全くの赤の他人である自分を何故好きなのか』という部分だった。
その部分が理解出来なければ、好きも嫌いも無いだろう。あの告白の日から今まで何度考えても最終的に辿り着くのはそんな結論だった。
だがしかし『理解する』という行為にはまずお互いの今までの環境や考え方の根底を知っておかなければならない。果たして自分はそこまで柳生のことを知っているのだろうか。
正直な話、告白されるまで家族構成や出身の小学校など柳生の個人的な部分に関して全く知らなかったというのが現状だ。事前に知っていたのは中学で初めてテニスを始めたことと、生まれつき色素が薄く目が光に弱いため逆光のかかりやすい眼鏡を掛けていること、親が医者であるため自分も人を救う医者になりたいということ。その程度の情報しか持っていない。まずそこからだなと真田は思い、腕時計を見た。
今日は木曜日。柳生の入試は今週末にあると担任から聞かされている。入試が終われば後は結果を待つのみ。自分自身の面接はもう少し先になる為、聞くとすればそのお互いの入試の間の休みぐらいだろう。
ならば週明けにしよう。週が明けた月曜にこれまで散々悩んできた疑問について答えて貰おう。それまでは最早何も考えまい。真田はそう決め、胸の中にある気持ち悪い感覚に一応の区切りをつけた。
集中が切れると再び耳が激しい波の音を捉える。明日も寒いのだろうかと真田は天を仰ぎ、薄暗い雲を見つめた。



そして週が明けた月曜日。真田は登校するなり、鞄も下ろさず柳生の席に直行する。
朝練が無くなり多少は遅く家を出るようになっても、他の生徒からすれば充分早く登校する元テニス部の2人以外には誰もまだ来ておらず、丁度良いと真田はまず思った。
柳生は栞を挟んでいた文庫本を開いたところだった。真田は机に座っている柳生に相対するように、前の机との間に入り、柳生の机に両手をついた。
バン、という音に気付いて柳生が顔を上げる。相変わらず眼鏡のせいで表情が読み取れない。やりにくいな、と少し真田は感じる。
「おはよう柳生。」
「…おはようございます真田君。何の御用でしょうか?」
「話がある。」
「私はしばらくありません。」
「俺はある。」
いいから来いと真田は柳生の右手首を掴む。ブレザーの下にパワーリストの手触りを真田が感じたところで、柳生は渋々立ち上がる。文庫本に栞を戻し、椅子から離れたところで真田は手を放し、開けたままの扉から廊下に出る。
行き先は3階の和室。事前に使用申請を済ませており、職員室で鍵も預かっている。念の為ついてきているかどうかを横目で確認するが、不承不承といった様子で数歩後ろを歩いているのが見えた。

和室の鍵を開け、引き戸を開ける。畳の間に入る前の土間にラケットバッグを下ろし、上靴を脱ぎ揃えてから和室に入る。
部屋の隅にあった座布団を床の間の前に少し距離を置いて2つ縦に並べる。先に後ろに居る柳生に席を無言で席を勧めると、何も言わずに下座に正座する。普段家では自分が下座に座ることが多いため、微妙な違和感を感じつつも真田は上座で胡坐を組んだ。
再び真正面から相対する。やはりこの方が話しやすいと真田は得心しつつ、口を開く。
「お前に聞きたいことがある。」
「何でしょうか。」
「俺はお前のことを全く知らない。」
「存じ上げております。」
「だからまずお前のことを教えてくれ。」
「そんなことであれば柳君にお尋ねした方が早いのでは? 私なんかよりも私自身のことをよく知ってのこ」
「お前の口から聞きたい。」
「…一体どういう風の吹き回しですか、真田君。」
室内の空気が徐々に変化していく。普段柳生が醸し出している温和で柔和な空気ではなく、明らかに敵意に近いものを含んだ重い空気。何故そうなると真田は内心で頭を抱える。
「俺はお前と口喧嘩をするために呼び出した訳ではない、ただ」
「ただ?」
「お前からの告白が意味の分からないものだったから聞きたいことがあっただけだ。」
柳生の口元が真一文字になり、眉間に皺が寄る。目の前の表情の変化を見て、真田は自分自身もこんな顔になっているのだろうなと溜息をつきたくなった。
「それで、聞きたいこととは一体何でしょうか。」
話を早く切り上げたいのか、柳生が先を急かす。まぁ待てと真田は手で制しつつ、制服の胸ポケットから紙を取り出す。
2つに折り畳まれたメモ用紙を開き、真田は内容を再確認する。そして柳生に問う。

「お前の家族は何人だ?」
「……はぁ?」
「お前の家族は何人居ると俺は聞いている。」
先程まで怒っていた筈の柳生の顔が急に困惑したものに変わる。真田は小首を傾げつつ、柳生の返答を待つ。
「……私を含め4人です。祖父と両親と妹と私です。」
妙な間が空き、柳生が答える。真田はなるほどと納得した様子で、メモ用紙に『祖父・父・母・妹』と手短に記入していく。
「そうか、妹が居るのか。いくつだ?」
「今年小学4年生になります。」
「そうなると…9歳か。俺の甥っ子と歳が近いな。」
「…聞きたいのはそれだけですか? それでは」
「いやまだある。次は今読んでいる本について教えてくれ。」
「……ちょっとそれ貸していただけませんか?」
痺れを切らした様子で柳生が膝立ちになり、真田の手の中にあったメモ用紙を奪い取る。何だ一体と思いつつ、真田は使っていたボールペンの先を収め、胸ポケットに戻す。
しばらく柳生は無言でメモ用紙の内容を読んでいたが、全て読み切った辺りでいきなり脱力したようにその場にへたり込んだ。驚きつつも真田は何かを呟いている柳生の小声に耳をすませた。
「……『テニスを始めた理由』『レーザービームの取得時期』『普段の練習時間』って、後半ほとんどテニスのことじゃないですか……」
少しだけ聞き取れた柳生の呟きに真田はメモ用紙を見る。家族構成、読んでいる本、風紀に来た理由、立海に来た理由、テニス部に入った理由、レーザービームの取得時期、普段の練習時間、好きな本の種類、トレーニング方法、好物、嫌いな物、その他特筆しておくべき事項。等間隔でそれぞれの項目が簡潔に記してあるだけの紙を再び真田は手にして、元の通り座布団に戻る。
「これがお前に聞きたいことだ。全て答えてもらうまで俺は聞くぞ。」
さぁ今読んでいる本は何だ? 真田が再度胸ポケットからボールペンを取り出し、答えを待つ体勢になる。その若干楽しげな空気に柳生は足を崩したまま、こめかみを親指で押さえた。
「……んですかそれは。」
弱々しい柳生の声を聞き逃した真田は「すまん、聞き取れなかった。もう一度」と言い掛ける。が、それを待つか待たないかの間に柳生は大声で次の言葉を発した。

「何なんですかそれは! というか、何考えてるんですか貴方は!!」
「な、何だ?」
「私貴方に告白して一度断られてるんですよ? なのに何で貴方は今になって私のことを知りたいなんて言い出すんですか!!」
「それは、その、断ったとはいえ、お前が諦めない等と口にしたから、こちらも意味が分からないまま断るのは筋が違うのではないかと考えてだな、」
「何ですか私のせいなんですかもう本当に馬鹿じゃないんですか貴方は!」
肩で息をしながら柳生は立ち上がり、一気に捲くし立てる。その剣幕に若干面食らった真田もつられて立ち上がり、どうにか落ち着かせようとする。
「お前のせいなどと俺がいつ言った。俺はお前に興味が無かった分、お前について何も知らない。だが、まぁその、好きとか何とかは別にして、告白という行動そのものに多大なエネルギーを使わせているのに俺がそれに答えないというのはお前に対して失礼ではないかと思い、ではまずお前の告白の何処がどう意味が分からないのかを考えた結果、まずお前自身のことを知らなければ理解出来ないのではないかという結論に達して、今こうしてお前に問いかけているのだ。」
分かるか?と真田は付け足し、柳生の目を見る。眼鏡に阻まれて全く動きが見えないが、恐らく常に冷静沈着を心がけている柳生は今脳を全力で稼動させて状況を整理しているのだろうと真田は思った。
しばらく2人とも立ち上がった状態のまま、睨み合いと沈黙が続いた。2、3分経ったところで、先に座布団の上に座り直した柳生を見て、真田も後に続く。
「…真田君。」
「何だ。」
「今私が何を考えてるか御存知ですか。」
「俺は千里眼ではない。分かる訳が無かろう。」
「えぇ当然です。何故なら私自身分かりませんから。」
柳生の謎の発言に真田の頭の上に疑問符が浮かぶ。まるで禅問答だなと真田は家の縁側で祖父と兄が繰り広げる頭脳戦の事を遠く思い起こしていた。
「それで、何を考えているんだ?」
「今言いましたでしょう。私も分からない、と。」
「しかし多少分かることはあるのだろう?」
「まぁ、そうですね。」
歯切れの悪い柳生の返答に真田はどうしていいものかと考える。言いたくないのか言えないのか、そもそも言葉に出来ないのか。自分で知りたいと言った以上、柳生のことが気になって仕方が無い。どのように聞けば答えが返ってくるのか。真田が長考に入ろうとしたその瞬間、柳生が動いた。
正座をした体勢から座布団を蹴り出し、前へ。胡坐をかいていた上に神経が思考に集中しかけていた真田は反応が遅れ、そのまま柳生の突進を直に受けてしまった。
どうにか後頭部を畳に強打することは避けられたが、真正面には壁ではなく天井が見えていた。状況が掴めないところにぬっと柳生が眼前に現れたことで、ようやく自分が後ろへ押し倒されたのだということを真田は理解したのだった。
「…一体何の真似だ。」
「私が考えていた事の一端です。」
「ふざけるな、退け。」
「お断りします。」
押し倒され仰向けになった真田の上で柳生は胸に顔を埋め、ぎゅっと丸くなる。真田はどうにかして押し退けようとするが、思いの外柳生の力が強く、簡単には引き剥がせそうに無かった。
何だこの状況はと真田は半ば諦めた気分で腕時計を見る。朝の学習時間まではまだ20分もあった。時間切れも待てないかとついぞ諦めた真田は反撃することなく、畳の上に両手と両足を伸ばした。

「……気持ち悪くないんですか。」
しばらく丸くなったままだった柳生が顔を少し上げ、真田に問う。真田は少々気怠い声で答える。
「何がどう気持ち悪いんだ。」
「こうやって私みたいな男から抱きつかれる感じがです。」
「…甥と赤也と兄で慣れている。」
「『男から』ではなく、『私みたいな』という部分が重要だったんですが真田君。」
「意味が分からん。」
「貴方を好きと公言してる同性から抱きつかれても何も思わないんですかと問うているのですよ真田君。」
聞き返しても何が言いたいのか真田には全く理解出来なかった。何をどのようにどう気にすればそんなことを聞くのだろうか。木張りの天井を眺めながら、真田はもう考えるのさえ面倒になってきた。
「お前に抱きつかれようが赤也に抱きつかれようが何も変わらん。」
「…では女性に抱きつかれたら如何ですか?」
「…抱きつかれたことが無いので分からん。」
そうですか、と柳生が呟く。そして再びお互い黙り込んだまま時間が過ぎる。
真田は逆さまになった視界のまま、壁の時計を見る。7時17分。そろそろ他の生徒達も登校してくる時間帯になってきた。そんなことを思っていると、やおら柳生が体を起こし、真田の視界に再度現れた。
「真田君って変ですよね。」
そして何の気なしに言葉を発する。変とは何だと真田は怪訝な表情で起き上がり、至近距離で柳生を睨み付ける。
「何が変だ。」
「だって私に好かれてたり押し倒されたりしてるのに全く拒絶も抵抗もしないんですから変ですよ。」
「抵抗はさっきしたがお前は無視しただろう……拒絶はそもそもする理由が無い。」
「理由なんて無くても『嫌悪感』とか『気持ちが悪い』とか、そんな感覚的なものぐらいあるでしょう。」
「…どちらかといえば、お前が俺を好きになる理由が分からないことに関して違和感はあるが、嫌悪感や気持ち悪いなどと感じたことは無い。」
人から好意を持たれることは少なくとも悪いことではないだろう。ただ、お前は少しそれが俺との交流が少ない割りに過度であるから、違和感があるだけだ。自分で口にした言葉に、今までの柳生との会話や仕草が記憶の中から連動して目の前に浮かんでくる。数少ない会話、数少ない接触。そして記憶は流れ、今目の前には。
「…お前は本の匂いがするな。」
向き合っていて初めて知った柳生の姿。
意味が分からないところで急に怒り出したかと思えば、唐突に行動する。断る時はきっぱりと断り、鬱陶しいほど頑固。と思えば何を気にしているのか分からない質問をしてきては黙り込む。面倒な奴に好かれてしまったなと真田は視線を窓に向け、溜息をついた。
柳生は真田の太腿の上に乗ったまま、俯いたまま微動だにしない。朝の学習時間まで後10分も無い。そろそろと真田が考えていると、急に体が軽くなった。
朝の薄い光から視線を外し振り返ると、柳生は真田の傍らに背を向けて立っていた。真田も足を崩し起き上がると、元のように座布団を部屋の隅に重ね置き、柳生の横に並んだ。
そして帰るか、と一声掛けてみるものの柳生から反応は無い。また怒っているのかと真田が溜息をついたところで、勢いよく柳生が真田の方へ振り向いた。

「今週の土曜日。」
「は?」
「今週の土曜日。貴方が私のことを知りたいというのでありましたら、その日一日は私に付き合っていただきます。」
「おい待て何のはな」
「詳しくは後日メールでお伝えしますので、必ず今週土曜の予定は空けておいてください。いいですね?」
「だから一体」
私は同じことを二度も言いません。柳生はそう言い切ると和室の襖を思いきり開けて部屋から出て行った。
数秒後、ようやく何を言っているのかを理解した真田が慌てて呼び止めようとしたものの時既に遅く、柳生の姿は扉の向こうに消えてしまっていた。
意味が分からん、とこれまで何度呟いたか分からない台詞を口にして、真田は頭を掻く。強引な上に人の話を聞かない。今日知ったことに付け足しておこうと真田は考えつつ、和室を出る。
今日のところは結局柳生に妹が居る事しか分からなかった。だがしかし本人が言っているのだから今週の土曜には聞きたいことに答えが出るのだろう。
全ての話はそれからで良かろう。真田はそう統括してラケットバッグを背負う。それからみたび腕時計を見ると、職員室へ鍵を返しに行っても朝の学習時間には充分に間に合う時間だった。ついでに日付を確認する。今日は2月14日木曜日、土曜は16日になる。
そういえば何故柳生は質問の後半がテニスに関する項目だったことがあんなに不服そうだったのだろうか? それも聞いてみるかと考えながら、真田は引き戸の鍵を掛け、廊下を歩き始めた。



[Fin.]


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