[運命はそうして扉を開く](原作補完/幸村が倒れた話)





ぐらりと身体が大きく振れたかと見えた瞬間、何か重い物が崩れ落ちる音がした。
対外練習での帰り道、人で賑わう駅のホームで幸村が倒れた。
あまりにも突発的な出来事に立海レギュラー陣はまず問題を認識するまでに時間がかかる。さっきまで普通に振る舞っていた姿とはまるで違う、蒼白な表情と生気が感じられない身体。数秒の間の後最初に動いたのは真田だった。

「幸村!!」
その叫び声に数人が我に戻る。駆け寄った真田は幸村の側に座り込み、背中に乗っていたラケットバッグを押し退ける。持ち主から突き放されたバッグの中でラケット同士がぶつかる音が天井に響いた。
「幸村! 幸村……早く救急車を呼ばんか!!」
真田の怒鳴る声に周囲のざわめきが静まる。冷静さを取り戻した柳と柳生が真田の元へ走り出すと、他のメンバーも追随する。
「精市!」
「幸村君!」
「幸村!!」
携帯電話を取り出して緊急通報をする柳の傍らで、柳生が幸村を仰向けにさせ呼吸の有無と心拍数を確認する。座り込んでしまった切原は悲痛な声で叫ぶ。
「幸村部長、幸村部長!? 何なんすかこれ!!」
「心拍数が聞こえません静かに!!」
混乱した切原を制止し、柳生はマフラーを外してネクタイを緩ませる。そして第三ボタンまで開け気道を確保すると、首筋から脈拍を測る。電話の呼び出し音にもどかしい気持ちが募りつつも柳は他の部員に指示を出す。
「ジャッカル! 今すぐ駅員を呼んでこい。人が倒れたと言って、担架を借りてきてくれ。
 丸井は幸村の鞄の中から保険証なり水なり使える物が何かないか確認してくれ。」
「わ…分かった!」「ラジャ!」
未だにこの状況を判断しきれないが、緊急事態が起こっていることは把握したジャッカルは直ぐ様近くの階段を駆け上がる。丸井は薄青色のラケットバッグを開け、中を探る。
それから、と柳が仁王に指示を出そうとした時、呼び出し音が切れ、電話が繋がる。アイコンタクトを受けた仁王は幸村の制服の胸ポケットから携帯電話を取り出し、電話帳を開く。

「幸村君、聞こえますか幸村君。」
脈拍が正常であることを確認した柳生が幸村の頬を叩き、意識を戻らせようとする。しかし幸村はその長い睫毛を伏せたまま、一向に目を開けようとしない。
「柳生、脈は…」
「62回ですから正常ではあります。ただ、」
「幸村部長!!」
名前を呼び身体を揺さぶろうとする切原の両肩に柳生が手を載せた。揺さぶらないで下さい、と言い、続けた。
「目を覚まさないとなると脳かどこかに問題があるのかも知れません。呼び掛けるのならば、頬か肩を叩く程度にして下さい。」
「……そんな…」
呼び掛けは続けてくださいと2人に告げ、柳生が立ち上がる。そして救急に連絡している柳の所へと向かう。
「…一番近いのは北口で…はい、担架は今持ってくるよう言っています……」
柳生に気付いた柳が口から携帯電話を離す。一段落ついたらしく、口調も表情もいつも通り落ち着き払ったものになっている。
しかし緊張と戦きは未だに柳の顔をひきつらせていた。柳生は少しでも安心させようと声色に気を配る。
「どうだ。」
「呼吸はあり、心拍は62です。安定はしているようですが若干脈動が弱く感じられます。ただ、目を開けない様を見ると…」
「意識は無い、か。」
分かった、何か変化があったらすぐ知らせろ。力無く小さく呟いた後、柳は通話を再開させる。その柳の様子に顔をしかませながら、幸村の元へ柳生が戻った。

タオル、水、ラケット、ノート。倒れた手掛かりになりそうな物は無い。くそっ、と丸井は悪態をつく。
念の為生徒手帳とタオルと水を置いたまま、残りを乱雑にバッグの中へ返してからファスナーを閉じる。苛々とした気持ちを抱えていたその時、仁王の呼ぶ声がした。
「ブン太、幸村はどないじゃ。」
「心臓動いてて呼吸もあるってよ。」
「意識は?」
「知らねぇ。」
何してんだコイツと電話している仁王を無意識の内に睨みながら、丸井は荷物を切原達の近くに移す。しかし真田と切原の混乱した表情には更に戦慄が加わっており、丸井の背筋を凍らせた。
「幸村、目を開けろ…幸村!」
方や小学生の頃からの幼馴染みにして最もその強さに近い男。
「目ぇ開けて下さいよ…アンタぶちのめすのがオレの目標なんすから……!」
方や打ち倒す最終目標でありつつも最も内面的に近しい相手。
テニス部の中でも幸村に対して一番思い入れのある2人がこんな状況になるのも分かる。でももし今幸村が、と最悪な結末が頭をよぎる。
丸井は頭を振った。絶対そんなことは有り得ない、だって『神の子』だぜ?
大したことは無い。すぐに目を覚ます。俺達がそう信じなくてどうする、と改めて気合を入れ直す。
「柳生、いちお水とタオル。」
「ありがとうございます。」
幸村の傍らに座り込んでいる中で一番冷静そうな柳生に荷物を手渡す。生徒手帳は胸ポケットに収めた。
「意識が無い以外は平常時と変わりません。」
「貧血…とか?」
「幸村君がこんな気絶するまでの重い貧血を起こすようには考えられませんが…」
低血圧とも聞いた覚えは、とまで柳生が言い、言葉が途切れる。ジャッカルが駅員と共に階段を駆け降りてきた。
「柳、借りてきたぜ!」
「後数分で着く、あまり動かさずに運べ急げ!」
ジャッカルの仕草に誘導され、2人の駅員が幸村の側に座り込む。1人は担架を整え、1人は柳生から状態を聞いていた。取り出された毛布を真田はひっ掴むようにして奪って広げ、幸村の身体を半身ずつ乗せる。
「蓮二、救急車はどっちだ!」
「北口だ!」
真田と若い駅員が幸村を担架に移し、柳生と中年の駅員が先導をする。それでもなお切原は幸村の傍から離れない。
指示を出した柳は2、3電話と会話し、既に上の改札口へと向かっている担架を追う。残った3人も全員分のラケットバッグを背負って小走りについていく。

いつの間にか集まっていた野次馬が先導の2人に道を空ける。次いで来る担架の集団に目を丸くしたかと思えば、後を追いかける3人にぶつかりそうになる。日が暮れるには少々早過ぎる時間帯とあって、その姿を見ようとする人は多い。
「幸村の親御さんと連絡ついた。」
勝手に拝借していた携帯電話を片手で畳み、仁王が丸井とジャッカルに告げる。
「それで、何って?」
「駅で倒れた、貧血か何かかも知らんけん持病あるか聞いたら無いってよ。最近医者にかかったことも無いらしい。病院分かったらこっちから連絡するっち言っといた。」
エレベーターを見送った柳と柳生と駅員が合流する。柳は駅員に救急車の配車を伝え、エスカレーターに乗った。4人は階段を数段飛ばしで上がっていく。
「親御さんの様子は?」
「半信半疑。どっちにしろ病院決まるまではよぉ動けんだろうけん、病院の人にまた電話掛けてもらう。」
長い階段を上りきり、3人は目でエレベーターを探す。北口の改札を出ろと柳から指示が飛び、比較的人が少ない通路を縫うようにして走る。駅員をエスカレーターに置き去りにし、柳が合流した。
「蓮二、幸村に持病無し。病院も最近行っとらんらしい。搬送先決まったら病院の人から連絡してもらいんさい。」
「了解した。救急車には俺が乗る。後は頼んだ。」
仁王の了承を待たず柳が階段を駆け降りる。係員の居る改札を通り、コンコースへ出る。周囲を見渡すと出入口の片隅に数人の人だかりがあった。

「弦一郎!」
「蓮二! 幸村が目を開けたぞ!」
表情が緩んだ真田の声に柳はほとんど滑り込みながら座り、幸村の顔を覗き込む。まだ意識がはっきりしていないのか瞼が半分しか開いていない。しかし右手を握る切原に意思を持って視線を向けていることに安堵する。
この調子なら大丈夫だろう。緊張の糸が解け、手から携帯電話が落ちる。拾おうと手元を見て、初めて柳は自分の手が震えていることに気付いた。携帯電話の画面は通話開始から12分が過ぎていることを告げている。
遠くから慌ただしい足音が近付き、立海のレギュラー陣が集まる。口々に問い掛けるのに先んじて柳が口を開く。
「精市の意識はあるようだ。赤也の問い掛けに反応を示している。」
ただ身体を動かせてはいない所がまだ不安な点であるが。その部分には触れず、柳は携帯電話を持って場を離れた。
幸村の手を握り締め、今にも泣き出しそうな赤也の後頭部を丸井がはたき飛ばす。安心して腰が抜けたのか両膝を立てて後ろ手を突いている真田に柳生が微笑みかける。
「意識戻ったんやて?」
「泣くなよお前はよぅ。」
「あぁ…つい数分前にな。」
「泣いて、ない、っす。」
「良かった…本当に良かった…」
「一時はどうなるかと思ったぜ。」
一人ずつ幸村が目を合わせるのを確認し、ようやく全員の緊張がほどける。ぐったりと壁に背中を預ける者も居れば、タイル張りの床にへたりこんでしまう者も居た。仁王はそこから少し離れてから、幸村の携帯電話のリダイアルボタンを押した。
「後は救急車を待つだけですね。」
駅員に礼を言い、担架で運ばれてから今までの流れを柳生が聞き出す。現状を救急へ報告し終わった柳が上から幸村の様子を確認し、再び場を離れる。
仁王が電話を閉じ戻ってきた時に丁度急ぐ車輪の音が聞こえてきた。真田と駅員が立ち上がり、出口に出る。ストレッチャーと共に白と制服が見え、幸村の周囲に固まっていた面々が退く。
「救急車は蓮二が乗るっち言いよった。」
離れた場所から救急隊員の手際を見つめていた仁王が他のレギュラー陣へ伝える。狼狽していた切原と真田は元より、丸井・ジャッカル・柳生もそれに頷く。
幸村を乗せ動き出したストレッチャーの後ろを早歩きでついて行くと、普段はタクシーやバスが止まるロータリーの一角に救急車が止まっていた。非日常、という言葉を柳生は思い出していた。
「雅治、精市の携帯電話をくれ。親御さんから連絡があるかも知れん。」
「ほい。」
仁王から携帯電話を受け取り、柳は全員へ向き直る。
「幸村の状態は安定はしているが刺激への対応が確認し辛いらしい。病院へ搬送することになった。これからお前達への連絡は一斉送信のメールで行う。解散しても構わない。」
但し病院へは行くなと釘を刺し、柳が救急車へ駆ける。乗り込んで扉が閉まる間際、不安するとなとばかりに見せた微笑に全員が同じ思いを送る。
赤色灯が回り救急車が動き出す。無意識の内に足が出ていた赤也の腕を掴んだのはジャッカルだった。
ロータリーを出ていく車影を見送り、残された6人は顔を合わせる。心細さを分かち合いながら、もう一度サイレンが鳴っている方角を見据えた。


幸村の病気が分かったのはそれから1ヶ月後の話だった。



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