[We're all a little crazy, kid.](幸村&仁王)





趣のある鉄の螺旋階段の先には、中学校にしては珍しい屋上庭園があった。
私立大学の附属系でも、こんなだだっ広い温室があるのはそう無いと言うのは、公共建築のデザインを任される父から聞いたことがある。
むしろ別に園芸科がある訳でも無い文武両道を主とする学校に何故温室があるのか。仁王にとってはそちらの方がよほど謎に思えた。
ドアを開けて中に入る。秋の陽射しを溜め込んでいる温室は、妙に湿気が高く、空気自体が重いように感じられる。
暑い、と仁王はネクタイを緩め、ポケットに突っ込んでいた扇子を広げた。

どこかで話し声がする。
首元に風を送っていた手を止め、仁王は耳をすませる。
どうやら木々の生い茂る現在位置よりも奥の方からしている。花壇か、と仁王はそちらへ足を向ける。

最後の曲がり角から頭だけ出してみる。
花壇の前には思った通り人が居た。濃紺の緩やかなウェーブがかかった髪に白いベスト。
話し声というのは、彼が花に向かって何事か語りかけていたものらしい。流石人の『普通』というものを遥かに飛び越えた思考をする彼らしいと、仁王は無駄に納得した。
曲がり角から体を出し、彼に近付く。近付くほど、話し掛けている内容が聞き取れてくる。
「―――だから…――君が綺麗に咲くには…―――」
手元を見ると、ほころびかけた花をちぎっている。
白い肌に生々しい赤色が取り込まれていく様は、温室特有の光とあいまって、あまり気分の良いものではなかった。
それは彼も同じらしく、見たこともない辛そうな顔で手の中に蕾を仕舞い込んでいく。ぶち、という音がコートの上では容赦の無い鬼と化す彼の一面を覗かせていた。

「…完璧なものなどありはしないのに、」
澄んだテノールが温室の空気に溶け込んで消える。
「それでも完璧を求めるのは、俺が人間であることを甘受しているせいなんだろうね。」
そうして一つだけ膨らんだ芽を残し、花を握り締めた彼は溜息をつく。
「醜い、とは思わないかい?」
膝に両腕を組んで載せ、顔を半分まで埋めてから呟く。あの夏の日に見た瞳がそこにはあった。

「……花に泣き言言うたら枯れるんじゃなか?」
空気に耐えられず仁王が努めて明るく話しかける。振り向く彼は初めから仁王の存在に気付いていたかの如く自然に微笑みを浮かべる。
「やぁ仁王。」
「何しとるんじゃ?」
「花摘みだよ。これをしないと綺麗な花が咲かないんだ。」
一つの茎に一輪だけ蕾を残すと栄養分が集中して大輪の花が咲く。幸村は簡単に説明しながら、立ち上がって歩き出す。
仁王もそれについていき、摘んだ花が捨てられたのを見た。その瞬間の顔には、さっきの様な仄暗さが漂っている。
「…そのまんまにしときゃあええじゃろ。」
「ん?」
「そんな顔するぐらいやったら花摘まんならええやろ。」
白いプラスチックのテーブルに案内され、仁王が席に着く。幸村は内側の扉の前で何事かしているようだった。

君は本当に言いたいことを言うね。
幸村が笑いながらそう言い、扉の近くから離れる。その手にはティーカップと水筒があり、仁王はあぁと納得する。
「自然とは自ずからままと言うしね。俺もそう思うよ。」
「じゃあ何で摘むと?」
「ここは自然では無いからさ。」
2つのティーカップに紅茶を注ぐ。紅茶、と仁王が認識したのは、幸村がよく好んで飲んでいるハーブティーの香りが白い煙として流れてきたからだった。
「温室が彩れるのは花の持つ美しさだけだ。
 特にうちは研究科でも無いから、植物の持つ能力や生命力なんてものは必要ないからね。その方向は顕著だ。」
「お前…高々私立大附属の中学校の温室じゃぞ?」
「高々私立大附属の中学校の温室でも、俺が担当してるんだ。」
どうせなら綺麗に咲かせたいじゃないかと言い放った直後、幸村は自嘲の声を立てて笑う。その姿があまりにも絵になりすぎて、仁王は少々食傷気味に感じた。
「……全く以って下らないよね。『綺麗』なんて人間にしか意味の無い尺度で計られるなんて。
 いや俺だってね分かってるんだよ。そんなもの俺の単なる自己満足でしかないってこと。俺の自己満足で摘まれる花には殺されてもおかしくないほど恨まれても仕方ないと思ってるよ。」
自分の中の矛盾に対し、幸村は非常に自虐的になる。
二重人格が疑われそうな彼らしいと言えば彼らしいが、仁王にはどこか空々しく見えた。そのことは多分本人もよく分かっていることだろうと、口には出したことは無かったが。
「ところで、」
「ん?」
「何か用だったのかい?」
微笑みを絶やさないまま幸村が仁王に尋ねる。仁王はしばらく視線を天井に向けたが、面倒臭そうにテーブルに突っ伏した。
「んいや。」
「そう。ならゆっくりしていくといいよ。」
部活も引退し、自由な時間がいきなり現れてしまった仁王は柳の帰宅時間に合わせるべく暇を潰しに来ていた。
幸村は園芸趣味を満喫しているようだったが、多分一人でテニスをすることに飽きただけだろう。現に昨日までホームルームが終わったら一目散に帰っていたのは彼ぐらいしか居なかった。
「ゆっくり言うたってすること無かろう。」
「思索に耽ればいいんじゃないかな。」
「思索って…参謀じゃあるまいし。」
「とりとめなく好きなことを考えればいいんだよ。例えば君なら…」
幸村が伏せていた目を開き、仁王を見る。総てを見透かす様な濃紺の瞳は、何処か影があり、無意識の内に他人を拒絶している。
仁王は幸村の不可解な深層部分に触れることが恐ろしかった。他の誰とも違う、触れただけで精神が侵食され、腐敗していくかの如く惑わされる。
それはある意味では人を魅了し、ある意味では人を崩壊させる。幸村精市という男は、人間というには似つかわしくない程、複雑で相反する存在の様に仁王は感じていた。
「…何で俺と仲良く出来るのか、とかどうかな?」
「仲良いんか?」
「俺は君と仲が良いと思ってるよ…赤也以外で考えると、一番かも知れないね。」
「参謀は?」
「アイツは俺と良く似ているから、仲が良い、とは言えないかもね。」
お互い性格が悪いからね、と付け足し、幸村は再度笑う。今度の笑みは自虐的で無いことを認識出来、仁王は安心する。
「そいか。」
「俺は君の『頭が良いところ』が好きだよ。」
幸村の指す『頭が良い』というのは、対人コミュニケーション能力のことを示しているとの恋人の言葉を仁王は頭に浮かべる。
感覚が鋭く、相手の心裏を読むことに長けている幸村は、世間一般的な人間関係を嫌っていた。
『トモダチ』『シンユウ』『カノジョ』『カレシ』。幸村からすれば都合の良い言葉で包まれた、動物よりも粗野で本能的で、全く人間らしくない関係。仁王は特段そんなものに興味が無かったので、仲良くなれたと言えるのかも知れなかった。
「そう言って貰えると嬉しいのぅ。」
「で?」
「で?」
「仁王は何で俺と仲が良いと思う?」
ある意味で、と仁王は考える。ある意味ではこの幸村という男は、誰よりも真面目に他人のことを考えているのでは無いだろうか。
仲が良いから仲が良い、という曖昧なものでなく、何かがあるから仲が良いのだと考えている。
そうして自分と相手との距離を正確に計り、自分の世界を構築していく。柳とはまた違う誠実なアプローチが気に入っているのだろう、と仁王は思索する。
ただそのアプローチ方法はえてして純粋で直球である為、世間には理解されにくいとも考えた。幸村もそれを知っているからこそ、人嫌いを自称しているのであろう。
「…お前さんの人の付き合い方が俺に合っとるけんじゃなか。」
「ふーん。」
「ま、お前さんの言葉を借りるなら『頭が良い』からじゃよ。」
「へぇ。」
椅子の背もたれに腕を乗せ、仁王は残ったハーブティーを飲む。柄にも無いことを言ったせいか、自分でも少し顔が赤くなったのが分かった。
「そう言って貰えると嬉しいな。」
「そいか。」
「お茶飲むかい?」
「んいや、もうええ。」
仁王がティーカップをテーブルに置くと、何か思い出したらしく幸村がふふっと笑った。こういう素直な表情の時は見とれるぐらい綺麗だと言えるのに、と仁王は口をつぐむ。
「そういえば君。」
「あ?」
「ハーブティー嫌いだったね。」
今頃思い出したんかと思いつつ、仁王は同意する。今度から普通のフレーバーにするよという幸村の言葉に、そことない違和感があった。
「緑茶でええよ。」
「ドリアンティーでいい?」
「…フレーバー無しのんにしてくれん?」
温室の生温い空気に、ハーブティーが案外合っていたとは言わないでおこう。
仁王はそう心に留め、幸村の指先に潜む暗闇には見て見ぬ振りをすることにした。



[End.]


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