[繰り返される運命の中に君の存在があるとするなら](ユキアカ+89)





面白い話がありまして。ティーカップから顔を離した途端、柳生は口を開いた。
些か熱を帯びたその声に幸村は今から開始される話がどの系統なのかを大体理解した。自らもカップを置き、足を組む。
そして右膝の上に両手を重ね合わせて乗せる。柳生は気にする様子もなく、言葉を続ける。
「幸村君はループストーリー、というものを御存知ですか?」
「ループ? 縄?」
「それはロープですね。ループストーリーとはその名の通り、話が同じように繰り返されるという展開のことを言います。」

例えばAという出来事が起こり、Bという結末に達した。しかし主人公は、Aという出来事が起こる前の時間に戻ったもしくは戻された。
ではここで問題です。

「もし、Aという出来事を阻止した場合、未来はどうなるのでしょうか?」
柳生は人差し指を立ててみせて問い掛ける。随分と大仰な仕草だと考えつつ、一応考える。
「…その前に前提条件が欠けていないかい?」
「流石ですね幸村君、気付かれましたか。」
一応ね、と目を閉じて答え、紅茶を飲む。鼻を抜けるダージリンの爽やかさが晩秋の陽射しには似合わないなと幸村はふと思った。
「その主人公の記憶の扱いはどうなる?」
「ない場合はどうなると思われますか?」
「名前の通りのループだね。」

やり直そうとしても、その『失敗した記憶』が失われている以上、出来事への回避が不充分になる。AがA’に変わるだけで、結果は同じことも有り得る。
幸村の解答に柳生は満面の笑みを浮かべ、小さく拍手をする。夕陽に照らされ鮮やかなコントラストを見せている茶髪が揺れる。

「流石幸村君ですね。では、記憶が残っている場合はどうでしょうか。」
「完全に覚えているのであれば、またそれはさっきと違うループになるんじゃないかな。」
テーブルの上のティーカップに手を伸ばす。少し冷たくなった指先にじんわりと熱が灯る。一口飲み、幸村はカップを持ったまま再び手を組んだ膝の上に乗せた。
「Aを回避したせいで別の出来事Cが発生し、それはBという結果を招くかも知れない。しかしAの替わりとなる出来事が起きず、結果Bは一生発生しないかも知れない。
 だがそれが『何回目のループ』で発生するかは分からない。1、2回で済めばいいが、何百回何千回と繰り返す内に、主人公は諦めてしまうんじゃないかな?
まぁそういう意味で言えば、記憶がある時点で結末は決まっているループと言えるね。」
お見事です。そう呟いた柳生も紅茶を飲み、椅子に軽く座り直す。
幸村は腕時計を見る。恋人が来るまでにはまだ20分ほどあった。いやもう少しかかるかな、と引退してからの部のことを思い出しつつ、時計を袖の中に戻した。

そういえば柳生は『何』を待っているんだろうか。向かい側に居る同級生にふと疑問が湧くが、気にしないことにした。幸村は再びカップを手に取る。
「まぁ記憶があるにしろないにしろ、主人公にとっての結末は最後まで分からない…というのがループストーリーと言えますね。」
「それで、それの何が面白いの?」
さっき面白い話があるって言ってたけどと付け足し、幸村は残り少ない紅茶を飲み干す。
もう飲み切ってしまったらしいカップを静かにテーブルへ置き、柳生が深呼吸をする。大袈裟だなと気にしつつも、幸村も同じような行動をとった。
紅茶を飲み干すと、熱が喉を抜け、食道を通って消えていく感覚を味わう。ティーカップは空になった。

「幸村君は考えたことはありませんか?」
「何を?」
「もし自分が生きている世界がループだったら、と思ったことはありますか?」

顔を上げる。眼鏡の仕様で視線の向きが窺い知れなかったが、どうやら目が合っているらしい。真っ直ぐ人の目を見つめるというその行為に、幸村は若干の苛立ちを感じた。
人を量るような態度。紳士ねぇと視線の先の会話相手を見据え、自分の外見を予測する。
感情は表に出さない。目に見える世界は確かに灰色だが、それは今に始まったことではない。あと少しだからと心の中で唱え、恋人のことを同時に思い出すと、昂ぶっていた神経が緩んでいくのが分かった。
息を吐く。低く長く息を吐き、幸村は口元の微笑みを意識した。
「ループだったらそれはそれでいいと思うけどね。」
「おや、それは何故ですか?」
「だって、俺にはまだやり直しの記憶が無いから。」
過去の俺が何度ループしようが今の俺には関係ない。目を伏して笑った後、幸村は立ち上がる。
「今の俺にとって過去は単に未来を仮定するものでしか無い。まぁ、あくまで『仮定』と思うようになったのは最近だけどね。」
足元にある鉢から豊潤な菊の薫りが流れる。その濃さを胸一杯に吸い込むと、まるで自分まで植物になったかのように幸村は錯覚する。
最も、そう『思う』ことが既に人間である事実か。自嘲するように笑い、振り向き加減に柳生を見た。柳生は尚も口元の微笑みを崩してはいない。
「…もしかすれば未来は変わっていたかも知れない。でも、俺の『過去における未来』は今しかない。」
1秒先の未来を確定させるものは今しかない。過去はあくまで仮定にすぎない。だから、と口にしたところで柳生の口端から笑みが消えたのが見えた。

「もし初めからやり直すことがあれば、次は勝つってことだよ。」



目が覚める。
意識が覚醒する、という感覚に幸村はまず違和感を覚えた。しかし髪に触れようとした腕が重く軋み、ようやく自分が居眠りをしていたことに気付き納得する。
夢にしては現実味を帯びていたなと考えつつ背伸びをした。凝り固まった筋肉がほどけ、身体の中で澱んだ空気を押し上げる。ついでにと肩周りの筋肉を解し、手を降ろす。
屋上温室のベランダテーブルの椅子に座っているのは事実。ダージリンティーを飲んでいたのも事実。さっきの夢に欠けるものは、会話相手の存在だと把握し、幸村は深く長く息を吐いた。
腕時計を見る。どうも15分程度眠っていたらしい。頭の中に涼しい風が吹き込んだように澄んだ意識で、椅子から立ち上がる。
すっかり日が暮れてしまった空にはビニールの白い反射が貼り付いていた。そろそろかな、と幸村が振り返るとちょうど階段のステップを叩く音が上がってきた。足裏前方を打ち付けるようにリズム良く駆け上がるBGMを聞きながら、紅茶を飲み干す。
カップを古新聞で巻いていると、扉が開いて声がした。幸村せんぱーい。分かりやすい声だなと思いながら手提げバッグにティーセットを片付ける。
「せんぱーいオレですよー。」
「おかえり赤也。」
「ただいまっス!」
慣れたように返事をする切原に幸村は目を細める。この言葉を交わせることの喜びはいつになっても新鮮で幸福なものだ。
うたた寝の前に洗っておいたポットを割れないようにタオルで包み、幸村は向き直る。
「今日の部活はどうだった?」
「それがそれが、ようやくオレと本気ラリー30回続く奴が出てきたんすよ!」
「あぁ昨日言ってた惜しい子?」
「そうなんすよ! で、それ見て他の奴がよしオレもって感じになって、すっげー頑張ってるんすよ!」
興奮して輝く瞳に忙しなく動く両手。時間が停止したような温室の光景と切原の温度差に、幸村の口元には自然と笑みが浮かぶ。
前部長として、というのも勿論あるが、やはり好意を抱いている相手が自分のやるべきことに対して精一杯取り組んでいる部分に満足しているのだろう。
恋愛は自己愛の発展か、と心の中で呟きバッグを閉じる。
「じゃあ出ようか。」
「ういっすー。」
一足先に切原が踵を返し、通路を真っ直ぐ駆けていった。忘れ物と戸締まりを確認し、幸村も同じように扉へ向かう。
最後に蛍光灯の電気を切り、キーライトを頼りに鍵を閉める。安っぽい黄色の光が消えると、黒かった夜空が濃紺に変わった。明るかったのはここだけかと思いながら、扉が閉まったかどうかを確認する。
ノブを回し、引いたところで開かないことを何度か繰り返して、切原の方向を見た。
「じゃあ帰ろうか。」
「ういっす!」
先に降りかけていた切原がそのまま前へ進む。日が落ちて些か涼しくなった空気を肌に感じながら、階段を下っていく。徐々に世界が狭まって、いつもの景色になる。

「ぶ、先輩は何してたんすか?」
「寝てたかな。」
「あはっ、珍しいっすね。」
踊り場を曲がり、舗装された地面に立つ。温室の鍵を鳴らして、忘れていないことを確かめる。
校門までの道のりを並んで歩く。規則正しく灯っている外灯は進む道を何とも曖昧に照らし出していた。隣に感じる熱が無ければ、気が滅入ってしまっていただろう。
「なんか夢とか見たんすか?」
「んー柳生が出て来たのは覚えてるけど、あんまり覚えてない。」
「なんで柳生先輩なんすか。」
切原は笑い交じりに相槌を打った。まるで向日葵のようなその笑顔に幸村は癒される思いがした。
「何でだろうね。最近会ってないからかな?」
「会ってないから夢に見るんすか?」
「そうなんじゃないかな。俺、赤也の夢とか見たことないし。」
そんなもんなんすかねーと頭の後ろで指を組みながら、切原は空を見上げる。つられて幸村も見上げる。
外灯の明かりが通り過ぎ、光とのコントラストが目に痛い夜空が来て、また白く視界が染まる。思い立って暖かい息を吐き出してみる。何も見えなかった。

「…赤也。」
「なんすか?」
「もし、俺が、」
切原が手を降ろして幸村を見た。視線を感じた幸村も顎を下げ、左を見た。
眉間に力を込め、唇を強く左右に張った表情。笑顔から一転した不安げな顔はいつ見てもどこか懐かしい。
自分の中の嗜虐性と諦観に溜息をつき、幸村は笑う。

「……俺がボウヤに勝ってたら、赤也は俺のこと好きになってたのかな。」

切原の顔が困惑からきょとんとした不思議な表情へ変わる。それを見て、幸村の笑みが今度は自然に浮かんだ。
何言ってんすかと心の底から理解し難いといった声色。その中に含まれている安堵感が幸村に生きているという実感を与える。
幸村は切原の手を取る。指を絡め合わせ、何事もなかったかのような顔で寒いねと呟く。置いてけぼりになった切原は一瞬戸惑いを見せるも、また普段通り歩き続けた。
「ちょ、何の話なんすか一体。」
「んー? ちょっと言ってみたかっただけだよ。」
「何すかそれ、何でいっつもいきなり何か言い出すんすか。」
「そうやって不服そうな赤也の顔が見たいからかな。」
切原は口を尖らせる。部長性格悪いっす。折角呼び方頑張ってたのになぁと含み笑いを返し、幸村は繋いだ手に力を込めた。
いつも通りいたいいたいと叫ぶ声が暗く冷たい歩道に響く。今の空気と相反する熱に満ちた肌が心地良かった。
繰り返しか、と口の中で呟く。繰り返しでも、赤也が俺のことを好きになってくれるなら、生きていけるかな。
右手でポケットの中の鍵を握り、幸村は前を向く。守衛室の明かりが校門の鉄柵に黒い影を落としているのが見えた。



[End.]


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