[貴方の瞳は私を射抜く、まるでそれは世界を造る光のように](89→37前提20&89)





「ということで」
ぱんと仁王が手を叩く。楽しそうなその表情に柳生は苦い顔を見せた。
今日最後の授業が終わり、約束した通り2人は屋上で落ち合った。関東大会に向けてダブルスの戦術を練る為だったが、それにしては仁王の気分が浮わついている。
「それで、『秘策』というのは?」
一昨日、メールをやり取りしている中で出てきた『秘策』に対し、柳生は若干の期待とおおよその疑念を抱いていた。が、どうも後者の方が当たってしまったらしい。
ラケットバッグから取り出された銀色のウィッグと仁王の幸せそうな表情に、柳生は早くも脱落してしまいそうだった。

「俺とやーぎゅが入れ替わるとか、『秘策』中の秘策じゃろう?」

それは秘策というか思い付いても誰もしないことであって、と柳生は言おうとしたが、眼鏡を取ろうとしてくる仁王の手に反論が抑えられてしまった。



「すみません、遅れました。」
「…………。」
男子テニス部のコートに仁王と柳生が現れたのは、それから15分後のことだった。
仁王は薄茶色のウィッグに伊達眼鏡を掛けて、柳生は先程の銀髪ウィッグに眼鏡を外して、文字通り『入れ替わった』姿でストレッチの途中だったレギュラー陣の輪の中に混じる。
「遅い! もう5分早く来れんのか!」
「弦一郎、人の背中の上で叫ばないでくれ。」
柳の背中を押しながらストレッチを手伝っていた真田が仁王と柳生に向かって怒鳴ると、それで気付いたのか他の面々を視線を2人に移す。
説明したいところだがと柳生は仁王を睨む。視線を受けた仁王は正に柳生がするような声色で、レギュラー陣に向かって話し始める。
「すみません。行き掛けに大量の書類を1人で運ばれている女子の方がいらっしゃいまして、手伝っておりましたら遅れてしまいました。」
申し訳ありません。柳生に扮した仁王が頭を下げたのを見て、本物の柳生は二度驚いた。声も動作も自分とほぼ同じであることと、まるで息をするように自然な嘘をつくことに。
「仁王は。」
「仁王君は靴を履き替える際に隣り合わせまして、帰りたそうだったので連れてきました次第です。」
仁王―――今はどう見ても完璧な柳生―――が、後ろに居る仁王の姿をした柳生に微笑みかけた。その視線に含まれた意図を察し、柳生は険しい顔になる。
が、コンタクトにしたその顔を知らない面々は、サボろうとしたことを真田に告げた柳生に対して不満気な仁王にしか見えなかった。
「仁王…お前また」
「うっさか、練習とっとと始めぇや。」
仕方ないと柳生は諦め、普段の仁王をイメージする。
何事にも面倒そうで、口が悪くて、なにを考えているか分からない。加えて表情の変化に乏しく、いつも人から少し離れた場所で物事を見ている。真田に向かって言葉を発する直前にイメージ像を固めてしまうと、ストレッチのためレギュラー陣の端へ移動した。
先んじて言葉を封じられた真田は一瞬怯んだ後、怒鳴ろうとしたところで柳に肩を叩かれる。柳生の言葉通り、ストレッチに割ける時間は残り少しだった。

レギュラー外の部員達に指示が飛ぶのを聞きながら、仁王と柳生はストレッチを始める。上腕の筋を伸ばしながら、元仁王は元柳生に話しかける。
「さっきの巧かったのうお前さん。」
自分の姿で仁王がいつも通りに話すとより性格が悪いように見え、柳生はあまり好きではなかった。そもそも、好きでこんなことをやっている訳では無い筈なのだが。
「……貴方があの事を知らなかったら、この件を了承しようとはついぞ思いませんでしたがね。」
「なんね人を脅迫犯みたいに呼びよって。」
きしししとよく分からない声を立てながら仁王が笑う。それを横目で見ながら、柳生は呆れた表情で身体を前へと半分折り畳む。
「脅迫でしょう。」
「そんなんお前さんがあんなん学校に持ってくるけん行けんのやろ。」
「人のノートを勝手に見るのはプライバシーの侵害だと思いますが。」
「『灼熱の太陽はその身を焦がし』」
歌うように始まった仁王の声に、柳生の目付きが変わる。伸ばしていた腕が隣に向かって伸び、句を続けようとしていた唇をその手で押さえつけた。片手で両頬を掴まれた仁王は、思わぬ反撃にくぐもった声を上げる。
「口を慎みたまえ仁王君。」
殺気の籠った柳生の発言と視線に仁王も思わず黙り込む。その反応に柳生は溜息をついて応えると、銀色の髪を揺らして手を放した。
どんだけ秘密にしたいんよと呆れながら、仁王は掴まれていた頬をさする。柳生は無視したままストレッチを続ける。
「お前さんの俺はちょいとクール過ぎるんじゃなか?」
「私の中での貴方の印象はこんな感じですよ。面倒臭がりで人と関わりたがらない気分屋。」
「んー、なんか違うのぅ、俺はもっとこう」
「早く合流しないと罰走させられますよ。」
座り込んだ柳生は足を広げて、爪先へ手を伸ばす。罰走という言葉に仁王は、渋々といった様子でストレッチを再開した。その姿は紛れもなく自分自身だと柳生は考える。
見えている世界も感じている感覚も普段通り、しかし自分の今の姿は仁王のもの。慣れそうにないな、と柳生は身体を温めながら、ランニングをする部員達を眺めていたのだった。



休憩10分、という真田の声の後にはどさどさと崩れ落ちる音がした。外周走を終わり、倒れ込むようにして座り込んだ部員達が舗道中に転がる。
「み…水……。」
「はあぁぁ……もう、ムリ……。」
きちんと水分を取っておけよと柳が水筒の入ったカゴを置くと、一斉に手が伸びる。自分の水筒を確保してから、柳生は近くに居た丸井の物を手渡す。
サンキュと短く答えたか否かと思えば、丸井は流れるような動作で蓋を開けて中の水分を口へと注ぎ込む。試合でも見せない俊敏さに柳生はある意味で感心する。
「ぷっはぁー!! 生き返ったぜ! あんがとなマサ!」
「……ピヨッ。」
忘れていたと柳生は考えながら仁王の口癖を呟く。尖らせた唇のままスポーツドリンクを飲むと、タオルを取ろうと立ち上がった。
ふと後ろを振り返る。同じ色のユニフォームを来た面々がそこら中に居ることに、柳生はそことなく心がざわついたのが分かった。
今自分は仁王雅治として立っている。しかし自分の意識は柳生比呂士そのものである。さりげない仕草に、仁王ではない柳生の動作が含まれているかも知れない。
だが――少なくとも今の現状としては――自分が仁王雅治であることに誰も関心を持っていない、気付いていない。
所詮そんなものだろうとは思っていた。他人が別の他人であると偽っていようがなんだろうが、『何もなければ何も無い』のは『問題ではない』のだ。
自分がそうであるように、と心の中でひとりごち、柳生は歩き始める。脈拍を整えることを意識しながら、タオルを掛けた木の下へと近付く。
その間、もう一度蓋を開けて水分を摂取する。軽い甘さに少し吐き気がしたものの、ゆっくり呼吸をするとすぐに嫌な感覚は消えた。夏が近付く中、少々身体が暑さに対応していなかったようだ。
タオルを取り、木の幹にすがって腰を下ろす。吹き抜けた風に目を閉じると、誰かが部室のドアを開けた音がした。柳生はゆっくりと目を開ける、銀色の前髪が見える。

「―――さあだ。」

今しがた部室から現れた副部長の名前を呼んだ。振り返った本人は、拭いたのか汗一つ無い涼しげな顔だった。見下ろす視線に柳生は差を思う。
「何だ仁王。」
「何もなかよ、呼んでみただけ。」
「ほう…」
疲れていないようだな、とほくそ笑まれる。彼の笑みは何処と無く自らの優位さを含んでいるような無邪気さがある。柳生はこれまでの真田の行動を思い起こしながらそう考えた。
何せ1年前には既に『皇帝』と呼ばれていた人物だ。そう呼ばれるだけの能力と努力と、ある意味での傲慢さがあるのは至極当たり前だろう。
「のぅ真田。」
「何だ。」
「お前、レギュラーのことどう思っとう?」
「む?」
横目で確認するが、自分に擬態している主は後輩辺りと話し込んでいる。あぁ今なら好き勝手なことが出来ると考えた柳生は、真田に問い掛ける。
しかしまた何故その問いを選んだのかは自分でも分からない。多分自分が他人の評価を気にするからだろうと柳生は脳内で自己完結させた。
「俺から見ればどいつもこいつも欠点があるようにしか見えんがな。」
「ふーん、例えば?」
「丸井には最後まで粘ろうとする意志が足りん。ジャッカルと攻守を分けるのは別に構わんが…」
以下、幸村は全国大会までの体調が、赤也は全体的に見劣りがと続く。適当な相槌を打ちながら、柳生は話している真田の顔を見た。
視線はそこら中に散らばっている部員達に注がれ、不満げな口元ははっきりとした声を柳生の耳に届かせている。その姿は威風堂々たるもので、思わず柳生は皮肉と自虐を込めて笑ってしまった。
だが真田は気にしない。柳の『データ以上の展開への対処』まで言ったところで、地面に座り込んでいる柳生を見る。無意識まで見透かされそうな瞳に、一瞬咎められた様な感覚が背筋を通り抜ける。
「お前は試合を行う精神状態にムラがある。体力も無い。」
「…お前があり過ぎなんじゃろ。」
やはり今の自分は仁王にしか見えないらしい。その事実に対し、予想以上に気落ちした自分を意外だと柳生は感じた。
伏せていた目を上げ、真田を見る。まだ白い太陽に照らされた眩しい姿は、そことなく笑っていた。

「だが今日は頑張っているな、まるで別人の様だ。」

言葉にならなかった。『様だ』というと気付いては居ないのだろうが、それでも柳生には充分だった。
ラケットを振れば見抜いてしまうだろう、だがまだ本練習前の段階。あの柳ですら首を傾げているだけであるのに、本能的に理解したとでも言うのだろうか。
柳生の耳を心臓が強く鳴っている音だけが埋め尽くす。強烈な衝撃を認識して、顔に熱が集まっていくのが分かった。
真田は怪訝そうな表情をしていたが、柳に呼ばれて向こう側へ行ってしまった。歩き去るその背中を眺めつつ、柳生はぐったりと俯く。
かないません。そう呟き、前を見る。手の届かない場所に居る真田は、遠かった。

「……灼熱の太陽はその身を焦がし、光を纏う。」
暁闇の影はその身の宿命ゆえ、一つになれず。
白は世界を映し出し、黒は白を想う。永遠に融け合う事の無い輪郭線は―――。

柳生は立ち上がる。普段より数倍鬱陶しい前髪を跳ね上げ、自分が自分でないことを確かめる。そうしなければ、ますます自分では無くなってしまいそうだった。
それでも彼なら、と思い自嘲する。彼の為に自分を他人に偽っておいて、何を思うのか。単なる本末転倒だと、色素の薄い瞳が閉じられる。
他人にとって自分以外の人間は足るに取らない存在。彼とてそれは変わらない筈であるのに。そうであって欲しいと思っているのに。
自分の中に湧き上がる感情がある。小さく悪態を吐き、左手に持ったタオルを首に掛けた。
そして銀髪の柳生は微笑んだ。自分の想いなど何も気付かない癖にやたら勘だけはいい、想い人の背中へ。自分の世界を造り出す、たった一人の存在に。



[Fin.]


8937目次へもどる
トップにもどる


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -