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「ねぇ名前、キスさせて」
「!?」

突然何を……と思いながら凪砂の表情を伺う。相変わらずしれーっとした顔で、まるで『今日の天気教えて』とでも言った後のようだ。

というか、凪砂よ。

「あのね凪砂……私一応、茨くんとお付き合いしてるんだけど……? ほら、茨くんビックリしすぎてお得意のマシンガントークが止まっちゃってるよ」
「うん、知ってる。ねぇ茨、いいよね?」

凪砂はきょとんとした顔のままで茨くんに質問をぶん投げた。さて彼はというと、何やら資料をすごい勢いで捲って何かを確認している。

「――ああ! ようやく閣下の真意が分かりました、頭の回転が遅くて申し訳ありませんっ! そうでした、閣下は今度ドラマの撮影でキスシーンを撮られる予定でしたね! ああ、練習しておきたいというその向上心っ! 下衆の癖に胡坐をかいて何もしない我が身を恥じたい! いえ恥じます、数メートル単位の穴を掘って身を投げたい所存であります!」
「掘るなら遺跡の地表にしてほしい」
「分かりました!」
「いやいやいや、何一つとして分からないよ二人とも……えっと、何? ドラマの撮影でキスしなきゃならなくて、凪砂は困ってるの?」

尋ねると、凪砂はこくこくと頷いた。

「はっきり言って、自分からする自信がない」
「うわぁ、何その人生の勝利者の発言は……」
「え? なぜ? キスしたことがないと、人生の勝利者になるの?」
「あ、したことないって意味なのね……」

てっきり、自分からしようと思ったことはないけどね? みたいなアレかと思った。凪砂なら十分あり得るかなと思ったのだ……だってとてもきれいな顔だし、女の人には困らなさそう。

「そう、だから名前。練習していい?」
「え? えっと……どうしよ……彼氏居る人に、というか彼氏目の前に居るのに駄目でしょたぶん……」

凪砂の仕事に必要といえば必要なのかもしれないし、一概に駄目と言えないのが何とも。恋人である茨くんの判断を仰ぐつもりで振り返ると、にこやかな笑顔の茨くんと目が合った。

「自分ごときが貴女の恋人という時点で厚かましいにも程があるというのに、加えて閣下の研鑽の邪魔をするとは何事か! と世間様から批判を浴びること請け合いですね! とてもとても、自分にお二人を左右する権限など!」
「そ、そんなぁ……いいの……かな……?」

キスしたことないまま撮影はマズい気しかしないのは確かだ。茨くんも「これは仕事」みたいなスタンスだし、凪砂に協力してあげるべきなのかな……?

「……いいみたいだね。うん、じゃあ早速練習するね」
「……う、うん」

本当に良いのかよく分からないんだけど。凪砂の雰囲気から察するに、練習するまで引かないつもりなのはよくわかる。もうこうなれば腹を括るしかないだろう。

彼はソファの上に座ったままなので、どうするつもりかと思ったら「私の膝の上に乗って。その態勢でするように台本でなってるんだ」とさらりと難易度の高いことを説明してきた。どうしても茨くんが気になってしょうがなく、ちらちらと彼を見てしまう。その様子に気づいたのか、彼はふっと苦笑い。

「すみません閣下、二十分ほど席を外します」
「あ、十分で大丈夫。きっとすぐ覚えられる」
「さすが閣下! 世の男子が羨望する発言ですよ全く、男としての器量が違いますね! では、失礼いたします!」

茨くんは出ていってしまった。な、なんかそれはそれで寂しい。というかあっさりと私、凪砂に譲渡されちゃったし……。

「……」
「名前、目が潤んでる」
「んっ」

ちゅ、と凪砂の唇が、私の唇ではなく目じりに当てられる。……どうやら台本では、凪砂の両手は相手の腰に……ということらしく、手が使えなかったからの行動みたいだ。

「凪砂、くすぐったいよ」
「なんだかごめんね。五分で終わらせればいいのかな」
「……ううん、十分ちゃんと使って、お仕事成功させてね」
「分かった。……じゃあ、目を閉じて貰える?」
「……うん」

目を閉じる。するとすぐに、唇に柔らかいものがおずおずと触れてきた。押し当てるだけの幼いそれは、凪砂の「したことない」という言葉が本当なのを伝えてくれる。

「ん……凪砂、もうちょっと顔、傾けたほうが……」
「こう……?」
「そう、上手……」

恥ずかしい、顔から火が出そうだ。ほっぺが熱くて右手で抑えていると、左の頬を凪砂の手が擦った。

「んひゃ!?」
「あ、ごめんね。冷ましてあげようと思って……あと、添えたほうがやりやすい気がするんだ」

凪砂、ほんとに何でも飲み込みが早いというか。これは恥ずかしがらず、ちゃんと教えてあげたほうがいいのだろう。きっと、茨くんだって凪砂に完璧な仕事を求めているのだろうから。



凪砂が「これで完璧」と嬉しそうに笑って、これから自室で台本を通し読みしたいと言い残して部屋から出ていった。本当に覚えたての技術を使いたくてしょうがない子供のようで、無邪気で、やっぱり協力して正解なんだと納得した。

そんな彼とほぼ入れ替わりで、茨くんが戻ってきた。なるほど確かに十分経過していた。

「い、茨くん、おかえり!」
「はい、只今戻りました! 閣下の研鑽もつつがなく終わったようで何よりです、これでまた閣下の武器が一つ増えましたよ! これは世界にとっての益ですね!」
「うん、そうだね。仕事の幅が増えれば、もっと『Adam』の活躍の場が広がる」
「ええ、とても喜ばしい!」

理論整然とした話題を並べる。そうだよね、仕事だから茨くんだって何とも思わないよね。……いやいや、良いのかな、それで?

だって、じゃあなんで最初に凪砂が「練習したい」って言ったとき、即座に返事しなかった? 頭の回転が遅いって自分を評していたけれど、あれは単に……返答したくなかったから、だとしたら。

やっぱり茨くん、無理してたんだよね。……証拠に、口数少ないし。

「茨くん」
「はっ、なんでしょう陛下!」
「陛下じゃないってば」
「はっ、失礼しました」
「……今日は名前さんって、訂正してくれないの?」

ちょっと意地悪く微笑むと、茨くんはぐっと息をのんだ。そして、私の隣に腰掛けた。……ものすごく、恥ずかしそうな顔で。

「……さっきは申し訳ありませんでした、名前さん」
「うん、いいよ」
「正直動揺してしまって。恥ずかしながら、頭が真っ白になったんです、あの時。『お断りします』って率直に言える性分ならよかったんですが、言い訳をとっさに捏ね繰り回しているうちに、修正が効かなくなって」
「うん、そっか。えへ、よかった……」
「良かった? 何がでしょうか。えっ、まさか閣下とキスしたかった……」
「そうじゃないよ!」

どうやらまだ茨くんは若干混乱気味らしい。まったく、意外と可愛いところがあるじゃないか。というか、眼鏡男子はみんな『不意』の事態に弱いのか? と、旧友の緑の彼を思い出してしまう。

彼の動揺した表情もなんだか可愛く思えてしまう私って、意外と現金なのかな。思い切って抱き着くと、おずおずとその手が私の背に回された。

「茨くんが、私のことそんなに好きじゃないのかと思っちゃった」
「……はい?」
「凪砂にキスされてもいいか、くらいの存在なのかなぁ……って思っちゃったよ、もう! 今すぐなぐさめて!」

駄々っ子のように言うと、茨くんはすっごく慌てた。ふふ、私がこんなこと言うなんて珍しい、相当怒ってると思ってるんだろうなぁ。

「たっ、大変申し訳ありません! そのような意図は、」

茨くんの言葉を軽く唇でふさぐ。見上げた彼は、驚いた顔で私を見ていた。

「……ね、慰めて?」
「……名前さん」
「うん」
「今『お慰め』したら、多分俺、相当意地の悪い男になる気がします」
「それでもいいよ。それに茨くん、いつも意地悪だし?」
「意地悪いのは、どちらもでしょう?」

茨くんは悪い顔で笑うと、私のあごをくいっと掬ってキスを落としてきた。その手が私の喉をするりと這って、次第に後頭部に回される。あ、と思ったときには舌が入り込んで、それから。

……なんて、これ以上思考を回すのは余りにも野暮かな。

私たちは小難しく考えすぎる悪い癖があるらしいし。せめて貴方にキスされてる時くらいは、何も考えない馬鹿になっても許してくれるよね、茨くん。