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約束しよう

優しい朝日が、カーテンの隙間から零れ落ちてくる。今日は目覚めがよくって、ぱちりと目が開いた。隣で眠る零さんを起こさないよう、慣れない白の掛布団から抜け出し、家主さんから教えてもらった通りの光景を見に、上着を羽織り、備え付けられていた安物のクロックスのサンダルを足に引っ掛ける。

この部屋は二階で、一階は家主たる老夫婦が住んでいる。彼らはもう起きていたのか、控えめなラジオの音が聞こえてきた。

「すみません、遊びに行ってもいいですか」

なにぶん、この街に旅行したこともないぶん、一人で出かけると零さんがうるさいのだ。だから、とりあえず家主さんたちに声をかけておく。彼らはぴったりのタイミングで振り返り、「おはよう」とひとこと言ったのち、了承とばかりにうなずいた。

GOサインをもらい、意気揚々と玄関から出ていく。扉を開くと、少し離れた場所に浜辺が見えた。朝日に照らされた海の照り返しがきらきらとしていて、もっと近づきたいと思った。

ので、徒歩五分の短い道のりを行く。
さすがに徒歩五分圏内を一人で歩いたからって、怒られはしないだろう。

「にしても、静かで気持ちいいなぁ……」

朝の、片田舎の道路。車の出入りもごくわずかで、鳥の不思議な鳴き声と、朝ご飯を作る家から立ち上る煙とごはんの匂いが、私の感覚を僅かにくすぐるだけだった。

夢ノ咲学院を卒業して、零さんはアイドルになって。
昔、彼が言っていた。「いつも周囲に人がいる生き方を選んだのは俺だけど、疲れるんだよ」って。

だから、たまに零さんは、恋人の私だけを引っ提げて、こうして旅に出る。どういうツテかも分からないけれど、穏やかな田舎町や、時には日本すら出ていって、孤独を満喫するのだ。

「あ」

海までもうあとわずかという所で、私は面白いものを見つけた。
ひまわり畑だ。畑、というほどの規模ではないかもしれない。誰かが少しだけ密集させて植えた、という風情の、ひまわりの群れだった。

けれど季節はすでに秋。

太陽を向いて咲く花も、もう何本かは悲しく項垂れたままだった。まだ咲いている向日葵に近寄ろうと足を踏み出すと、サンダルのつま先に何かが当たった。不思議に思って地面を見ると、そこには綺麗に咲いたままぽっきりと枝から折れている向日葵の花があった。

「わ……せっかく綺麗に咲いてるのに」

なんだか可哀そうに思えて、その花を拾いあげる。そのまま、浜辺に向かって歩き出した。綺麗な手元の向日葵を眺めながら、潮騒を聞く。まるで純文学の一ページのようで、なんだか楽しくなってきた。

「……♪」

鼻歌がこぼれる。
きらきらとした水面の反射光に目を細めた。ちょっと海に入ってみたくなって、クロックスを脱いで海辺に近寄った、その時だった。

「お〜い、旦那様を放って朝の散歩かよ? 連れねえなぁ、名前ちゃんは」
「あ、零さん」

白シャツにジーパン、というシンプルな服を着て、零さんが私を迎えにきた。その目は眠たげで、まだ寝ていたいって感じだ。

「寝ててもよかったんだよ?」
「布団が急に寒くなったから、起きちまったんだよ」
「わがままだなぁ」
「我儘上等だ。ていうか名前こそ、心配になるから勝手に一人で出ていくなって言ったろ」
「でもお家から海まで、近いし。それに零さん、水も朝日も嫌いでしょ〜?」

朝の海なんて、最も嫌がりそうなくらいだ。
そういうと、彼は可笑しそうに少し笑った。朝の陽ざしに照らされる彼は、夢のように美しかった。

「まぁ、そうだけど。名前と朝の海って組み合わせを見るのも、悪くねえな。夢みたいに綺麗だ」
「冗談……でも私も今、同じこと思ってた。零さんがいつもの三割増しで綺麗に見える。やっぱり海がきれいだからかな」

あの美しい反射光に照らされる、もっとも好きな人……って思えば、とってもロマンチックだった。

「零さん、おなか減った」
「子供か。でもまぁ、朝飯まだ食ってねえしな……戻るか」
「うん」
「おっと……手ぇつなごうと思ったら、先客が居たな」

零さんが私の右手に触れ、そういった。ああ、向日葵を手に取っていたのだった。

「綺麗でしょ、これ」
「あっちの向日葵の群れから取ったのか? ほとんど枯れかけだったのに、こいつは元気なままだな」
「そう、咲いたばっかりっぽいのにね……ぼっきり茎からいっちゃって」
「くっくっく……老いぼれた花こそ、根を付けておるのにのう」
「その喋り方、久しぶりに聞いたなぁ」

高校三年生の時から、彼はおじいちゃんみたいにしゃべってた。それこそ人生をやめた、遁世者のように。

いまも、テレビに映る『朔間零』はその口調だ。

「こっちのしゃべり方のほうが好きか?」
「うーん……わかんない。でも、今のしゃべり方の時は、いろんなことがあったね」
「ああ。楽しかった時も、苦しかった時もあったもんだ。今となっちゃ、全部馬鹿みたいに輝いてるもんだけど」
「過去ってそんなものだよね」

零さんと友達だったことも、彼と一緒に過ごしたことも、全部輝かしい思い出だ。ずっと美しいまま、私たちの中で眠っていくのだろう。

「あのね、零さん」
「なんだ?」
「口調はそのままでいいよ」
「おー、そうか」
「うん。だって、旦那様は元気でいてくれなくちゃ」

向日葵が私の右手の先約なので、代わりに零さんの腕をとって抱き着いた。

はやく家に帰って、二人で朝ご飯を食べたいな。
それで、きっと零さんは私を二度寝に誘ってくる。
それもありだ。二人ぼっちで居たいなら、そのままそっくり叶えてあげたい。そしてまた、今度は夜中の散歩に付き合ってもらう。今度は零さんも一緒に連れていく。

輝かしい今日の予定を反芻して、帰ろうとばかりに零さんの腕を引っ張って歩き出す。零さんは相変わらずの低体温で、海風に熱をさらわれたのか腕も冷たい。私の体温を移すようにぎゅっと腕に抱き着くと、零さんがポツリとつぶやいた。

「あ〜……結婚してえ」
「うん?」
「したいな、結婚。お前とさ」
「え……え? このタイミングで!?」
「はは、驚いてるなぁ。可愛い可愛い」
「え、ちょっ」

ぐしゃぐしゃと頭を掻き撫でられて、訳が分からないまま零さんを見上げていた。

「退屈が苦痛じゃなくなる、この世でただ一人の相手だって思ってな?」
「退屈が――」
「そう、俺の最も嫌いなもの。でも、お前といたら、詰まんねえはずの二度寝も、何もない田舎町も、全然辛くねえ、むしろ楽しいんだ。

だから今度はちゃんと、指輪を用意して言うけどさぁ、今言いたい。
俺と結婚してくれよ、名前」

子供のような口約束で、永遠の愛を誓われる。
ただ、その顔は、今まで見たことないほどの幸せそうな顔だったから。

「――うん。零さん、ずっと一緒に居ようね」

こちらまで子供みたいに、無邪気に笑った。
零さんは一瞬目を丸くしたあと、その余裕ぶった表情に、じわりじわりと喜色をにじませ、こらえきれないように私を思いっきり抱きしめた。

「わっ、零さん――って、あはは、なに泣いてるの」
「るせえな、名前だって泣いてんだろ」
「だって、ずっと好きだったから」
「知ってる。俺もだから」

彼は涙のにじんだ声で言って、私の右手にあった向日葵を手に取った。

「ああもう――最高だ!」

ブーケトスでもするように、小さな太陽を空へと投げて、彼は笑った。