少女たちは昼に眠る



 ゆっくりと確かめるよう自分の名を呼んだ少女が、
何らかの感情に身を焦がしていることはわかった。


「奇遇だねえ。もう危ない遊びはしてないのかい」
「……はい」
「お友達は?」
「今は自宅で療養していて、私も会えないんです」
「そうかい。そうだろうね」

 彼女はまっすぐ俺の前に立ち、何か大きなものを飲み込んだ後のように少しだけ顎を持ち上げていた。あの夜カーライトを反射していた彼女の大きな目が、今日もうるうると昼の光を取り込んでいる。頬はわずかに紅潮していた。彼女のわかりやすい反応に苦笑しそうになるが、ここで自惚れられるほどもう若くはない。あの日の恐怖が思いがけずよみがえり、俺に畏敬の念を抱いているのだろう。そう思った。

「お礼を言わなきゃと思って……」
「言ってくれた気がするけどねえ」
「そう、でしたっけ」

 言葉を小さく区切りながらも、彼女は以前とは違い両足でしっかりと地面を踏み締めていた。相対した人間の強さは立ち方でわかる。いつからここへ来ているのかは知らないが、ジムの指導者が有能である事がそんなところから伺え、複雑な気持ちになる。

「本当にありがとうございました」
「もういいって。それよりうちのお嬢と仲良くしてやってちょうだいや。なかなか人見知りなところがあるんでね」

 以前はそんなこともなかったのだが、近頃はすっかり人間不信に陥ってしまっている。そんな心境の変化を自覚し、悩みもがいているのだから健気なものだ。俺がそう言うと、彼女は車に乗り込むお嬢をちらりと見てから頷いた。

「仲良くもなにも、ここでは茜ちゃんの方が先輩です。今日も組手をしてもらいました」
「そりゃいいや。あの子は思い切りがいいから手強いだろう」
「あの……赤林さん」
「ん?」

 またもや噛みしめるように俺の名を呼び、彼女は小さく息を吐く。瞳の膜が厚いのは生まれつきだろうか。外界の光を写し込み、万華鏡のように揺れているのが綺麗だ。

「赤林さんのことを、九瑠璃ちゃんや舞流ちゃんに聞いてもいいでしょうか」
「聞く? ……つうと?」
「嗅ぎ回るとか、興味本位とか、そういうんじゃないんです。ただ、赤林さんのことが知りたいんです」

 律儀にもそんな伺いを立てられたことなど初めてで、何と返したものか迷う。しかし素人の娘に探られて痛む腹など今更ありはしないので、軽く頷いた。

「うん、いいけど、茜のお嬢のいないところにしてくれると助かるね。わかると思うが繊細な年頃なんだよ」
「はい、もちろんです」
「知って得することなんてないと思うけどねえ。それに妹たちもおいちゃんのこと、そこまで知ってるわけじゃないんだよ」
「妹?」
「……ああ、お兄さんがいるんだ」

 つい漏らした言葉に彼女が反応したため、しまったと思った。粟楠のような玄人の組織なら、いくら探ったとて女子高生の人生と交わるものではない。けれど日常に潜み込み、友人のような顔をして社会の裏に引きずり込む不埒な輩だってこの世には存在するのだ。「そうなんですか」と大した抑揚もなく返事をした彼女の気をそらすよう、話題を区切る。

「ま、おいちゃんみたいな男に興味を持たないことが、一番の護身術ってこった。わかってると思うけどね」

 今度は彼女が苦笑して、頭を下げた。軽く手を上げ俺も車に乗り込む。家族サービス用の地味なセダンだ。幹彌さんの気遣いや苦労がうかがえ、ため息がもれる。少女というのがいくつからいくつまでを指すのかは知らないが、とかく繊細で愛おしい生き物なのだ。




 池袋という街の裏社会がどれだけ広く、そこにどれだけの人がいるのかはわからないけれど、その中から彼一人の元へ再びたどりつけたのだからこれは運命と言っても差し支えないのではなかろうか。それも最短距離に違いルートだ。九瑠璃ちゃんや舞流ちゃんは私の話を聞いた時点で見当がついていたのかもしれないけれど、ジムの入り口で彼の真っ青なシャツを見つけた時、私は吹き荒れる暴風を自分の中にとどめることに必死だった。

「何話してたの?」

 気を使ってか、エントランスに下がっていた双子が興味深げに私の腕に絡みつく。

「うん。赤林さんのこと、二人に聞いてもいいかって」
「二人ってうちら? それでなんて?」
「いいけど、知っても得しないだろうって」

 そう言うと、舞流ちゃんは眼鏡の奥の瞳を一度薄くしたあと、いつも通りの口調で続けた。

「本人から許可が下りたなら遠慮なく話すけどさ、私の知ってる限り赤林さんは粟楠会の中でも上から数えた方が早いくらいの人だよ。幹部クラスってやつ。組織屈指の武闘派で、顔が広くて、若い子なんかにもいろいろとツテがあるみたい」

 粟楠会というのが池袋を根城にする目出井組の組織であることは私なりに知っている。療養中の友人が教えてくれたことで、薬の売買なんていうものも本来ならば彼らに話を通さずにはできないことらしい。

「ていっても、私たちが知ってるのだってそれくらい。文車妖妃に毛が生えたようなものだよ」
「ふぐるまようき……?」
「知らない? ネットとかあんまりしないタイプ?」
「編(みんなでつくる)……識(データベース)……」

 九瑠璃ちゃんはスマートフォンをとりだすと、素早くタップし私に向けてくれる。画面にはあちこちにリンクの組み込まれたツリー式の説明文が並んでいた。驚くことに、そこには複数の個人名までも並んでいる。人の口に戸は立てられないと言うが、好き勝手な噂を共有する文化はネット上ではさらに盛んなようだ。

「粟楠会の赤鬼……」
「誰が書いたか知らないけどさ、あながち大げさでもないでしょ?」
「たしかに」

 あっという間に売人たちを転がした彼の強さはまさに鬼だった。海月、うみつき……? なんと読むのだろう。さすがに年齢は載っていないが、自分の想い人がネット上に情報をまとめられるような人間であることを実感し息を飲む。親兄弟はこんなのを見たら心配に思うんじゃないだろうか。

「そういえば、二人はお兄さんがいるんだってね」
「え? ああ、いるよ。ろくでもなさならヤクザ以上のしょうもない兄貴が、一人」

 あっけらかんとそんなことを言いながら舞流ちゃんは笑った。彼女たちのお兄さんというのだからそれは個性も強いのだろう。

「まともに生きてりゃ関わることもないと思うけど、粟楠会の赤鬼に惚れちゃうような人は気を付けた方がいいかもね」

 彼女の目がまた三日月のように揺れる。二人の目は赤茶に透けていてとても綺麗だ。


つづく
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