Sally Garden

 下着をつけただけで疲れてしまって、しばらくぼんやりと時計を見ていた。

「目の毒です。早く着てください」

 自分で脱がせたくせにそんなことを言う赤葦くんは、二人のこの関係をどう思っているのだろう。景品の安いタオルで髪を拭く彼の姿を、後ろから眺めた。その体つきが平均的な男子高校生よりもしっかりしていることはTシャツ越しでもわかる。どうやら部活動とやらに精を出しているらしいが、そんなことは私の生活とはかけ離れすぎていて、どこか別世界の出来事のようだ。
 彼と連絡先を交換したのはやむにやまれぬ事情からだ。
 帰宅ラッシュの私鉄駅で、転倒したお年寄りを助け起こしていた時だった。私の支えでは甚だ心許なく見えたのか、集団で歩いていた男子高校生たちが手を貸してくれた。荷物を持ってあげる者、杖を拾ってくれる者、駅員さんを呼んでくる者と、手際よく感じよく対応してくれた彼らに、最近の高校生も捨てたものじゃないなと感心した。
 何の変哲もないあたたかい話で終わるはずだったそれにオチをつけたのは、落ち着いた雰囲気の男の子だった。とっさに預かったのか、数人分の飲み物を両手に携えた彼は、反対側から降車してきた大量の人の波に押されバランスを崩したらしい。唐突な冷たさが私の背を襲い、シフォンのブラウスを大量の水がつたう。「わぁ!?」と珍妙な声を上げてしまったことは今思えば恥ずかしいが、たっぷり三杯分のコーラを背中で受け止めたのだからしょうがないと思う。振り返ると、私以上に呆然としていた彼は、ぎゅっと目を細め「申し訳ない……」と言った。まるで切腹前の武士のような表情に、思わずふきだしてしまった。

「お前、新手のナンパか?」
「馬鹿ぬかさないでください」

 その後、駅長室でタオルと着替えを借りてことなきを得た私は、恐縮しっぱなしの男の子から連絡先を受け取り帰路に着いた。同級生や先輩に茶化されながらも、最後まで「クリーニング代出しますから」と主張していた彼の沈んだ顔が忘れられず、本当に連絡をしてしまったのが三ヶ月前のこと。『手洗いですっかり綺麗になったので、気にしないでください』だなんてずいぶん白々しかったかもしれない。けれどそれから彼の名前が画面にポップアップされるたび、気分が浮き立ってしょうがなかった。半年後には就活がはじまるし、高校生を相手に色気付いている場合ではないとわかっていても、結局はなるようになってしまうのが男女というものだ。使っている路線が同じということも距離を縮めるにはいい材料だった。偶然か必然か、ほろ酔い気分の飲み会帰りに二度目の邂逅を果たしてしまえば、行き着くところは一つしかない。「送ります」という有無を言わさぬ彼の目と、気持ちとばかりにもらったお詫びのハンカチに、とどめを刺されてしまった。
 初めて赤葦くんとベッドに倒れ込んだ時、彼は一瞬だけ高校二年生らしい余裕のない顔を見せたけれど、そのあとは出来すぎなくらい大人びた態度で私のことをほだしてくれた。とても四つ下の男の子とは思えず、えらい人と寝てしまったものだと焦るくらいだった。


「目の毒だ」と言う彼にうながされ、ベッドの下に落ちていたキャミソールを着る。下半身が汗っぽかったので、短パンは穿かずにタオルケットをまとった。あとで全部まとめて洗濯機につっこもう。まだ明け方だけれど、シャワーをあびて、パンでも焼いて朝に備えようと思った。彼の目覚めは早いのだ。朝練というご苦労なものがあるらしい。

「忙しいねえ。高校生」
「大学生は暇なんですか」
「来年からは忙しくなるよ。もう就活だもん。やってけるかな、赤葦君の方がよっぽどしっかりしてるのに」
「そう見えます?」
「うん。いつも余裕に見える」

 彼の焦った顔を見たのは、考えてみれば出会った瞬間くらいのものだ。あそこまで動転していたのも、普段ああいった間違いをしない人だからなのだと今になって気づく。

「余裕、ないですよ。けどそういうの嫌でしょう」
「え?」
「彼氏知ってます。社会人ですよね」

 さらりと言われ、思わず言葉を失った。たしかにここ数ヶ月、サークルのOBと二人で帰ったことは何度かある。けれどそれだけだ。さすがに高校生相手に二股をかけたりはしない。誤解されていたことよりも、誤解してなお彼が涼しい顔でこの関係を続けていたことに驚きが隠せない。

「彼氏いないよ! あ、赤葦くんが、彼氏じゃないならだけど」
「……そうなんですか?」
「そうなんですよ」
「……なら」
「なら?」

 あの日以来、はじめて丸くなる彼の目を見ながら私はまた笑ってしまった。赤葦くんはフェイスタオルを掴んだまましばらくの間こちらを見て、ふいに頬を緩めた。これもまた年相応の顔だ。

「俺が彼氏で」

 彼が何も言葉にしないのは、今の関係が気楽だからとばかり思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。相手を不純と思っていたのはお互い様だ。けれど蓋を開ければ思いのほか私たちは健全な関係だったようだ。

「もしかして無理してた? いろいろと」
「べつに無理はしてません。けっこう素です。けど」
「けど?」
「その……やってる時は、わりと我慢してました」

「跡とかつけたらまずいかと思って」なんて言いながら男子高校生は不敵に笑う。背筋にぞくりと粟が立った。コーラを三杯かけられた時ほどではないにしても。

2016.9.3
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