「人畜無害な人間ですよ」
珍しいタイプなのだと思う。いささか派手ではあるが仕立ての良いストライプスーツと、首元まできっちり上げられたネクタイ。ワイシャツは襟の先まで皺一つなく、本革らしいホールカットシューズは品の良い光沢を放っている。そのどれもが荒くれ者揃いのプロハンターの中では浮き立っており、おそらく歳より若く見えるのだろう顔つきや、装いに反し無造作な髪型などは、一見すれば研究会に呼ばれた学生のようでさえある。
「私の聞く噂とは違いますね」
「噂は噂ですから」
あまりに強い会長のインパクトに霞みがちだが、ハンター協会の副会長ともなればそれは一角の人物なのだろう。評判はいろいろなところで聞く。どちらかというと悪いものが多い。彼が無害だというなら、それは彼が私にひとかけらの興味も持っていない証拠だろう。どうにかその状態を保ちたいものだが、こうして向き合っている以上もう手遅れなのかもしれない。彼が私の元へやって来たそもそもの理由がわからず、国際ホテルの談話室でのらりくらりとお茶を濁していた。
「N国の出身ですよね」
「……はい。今日はこれから戻るところなんです」
「お忙しいところを呼び止めてすみません。有名人を見るとじっとしていられない質なんですよ、ボク」
「有名? 私が?」
いつだって世間を賑わしているプロハンターの、頂点ともいえる協会幹部に目をつけられる覚えなどない。共通の知人が複数いるため互いに知らない仲ではないが、こうして二人で対面するのは初めてのことだ。たしかにある筋の人間の中には私に会いたがる者も多い。幼い頃から神童ともてはやされ、東の国の片田舎で自惚れながら生きてきた。けれど世の中には神の子どころか、神様そのもののような力を持った人間が山ほどいる。国を出て、世界を見、そのことを知った。
「どうです、うちに入りません?」
「試験と名のつく物があまり好きじゃなくて」
「年によりますけど、念能力を会得してるのならそう難しくもありませんよ、ハンター試験。なかなか魅力的じゃないですか、あなたの力」
彼は広げていた手のひらを膝の上で組み、保険の営業マンのような顔をして言った。
「どうして知ってるんですか?」
「言ったでしょう、有名だって」
「……そう魅力的とは思えません」
「やりようによりますよ。ブレーンでも付けたらどうですか」
「あなたと組めと?」
問い返せば、彼は素知らぬふりをして首を傾げる。今さら猫を被ったところでこの人の性根は見え透いている。他人の腹に巣食い、じわじわと内から破るような男だ。そんな人間は今までにもたくさん見てきた。特別嫌悪感を感じるほどでもない。敵に回すくらいなら、従ったほうが面倒がないのかもしれないと思う。
思えばかつてから、故郷の隆盛のためだけに能力を使い、それで満足してきた。自らの意思で自らのために何かをすることは得意ではない。戦いに向いた力ではないため単独での画策はリスクが大きすぎるし、それを抜きにしたって、生ぬるい温室育ちのせいか野心や野望というものとは無縁だった。ハンターを目指さなかったのもそのためだ。
「これって依頼ですか? 勧誘ですか?」
「ボクとしてはどちらでも。もしあなたが協会に入ってくれるなら、それなりのお約束はできますよ。名誉と金品、どちらがお好きなタイプですか?」
「私が好きなのはあそこのショーケースのフルーツタルトとか、流行りの色の口紅とか、それくらいのものです」
「すみません、そこのタルトを一つ」
皮肉とわかっているだろうに、彼はすぐさま手を上げてコンシェルジュを呼び止めた。意趣が削がれ、会話の行き先を見失いそうだ。
「今ってどんな色が流行ってるんですかね? 女性のトレンドに疎くて」
「……恋人でもない男性に口紅を買ってもらう趣味はありません」
「あの、もしかして思ったんだけどボクのこと嫌い?」
どこから引っ張り出したのかあどけない笑みを向けられて、返答に窮する。たしかに良い印象はないし今日の会話にそれを覆す要素もなかったけれど、面と向かって男に嫌いと言えるほどの度胸もない私は、曖昧に言葉を濁し下を向いた。コトリ、とタルトが置かれる。
「まあいいや。今日のところはこれで。気が向いたらいつでも連絡してください」
名刺をテーブルに置いて、彼はあっさりと席を立った。さぞ広報向きだろう濃い色の金髪をゆらしながらドアの向こうへ去っていく。
私は飛行機をキャンセルし、代わりに階上に部屋をとることに決めた。
閑
「逃す気はないだろうね。アイツあんたの力を、きっと誰よりも欲しがってる」
プロハンターである友人と会えたのは、それから三日後のことだった。協会の人間なら彼に対する自分の立場というものを明確に持っているだろうと踏んでいたが、聞けば聞くほど現副会長に対する彼女の意見は厳しいものだ。
「そんな必死には見えなかったけど」
「あんたが自分の能力の貴重さに気づくのは、奴にとって思わしくないんでしょうよ。軽いスカウトのノリで体良く利用したいのかもね」
個人よりも組織の中で役立つ力だということは自覚している。尋問に使えるほどの正確さはないが、本人すら忘れているような記憶を引っ張り出せるのだから使いようだ。忘れっぽい母が生きていたころは大層重宝され、すごいすごいと褒められることが私の生きがいだった。噂が広まってからは町のためという名目でずいぶんな汚れ仕事もやらされたと思う。幸いなのは、発動時の記憶が私に残らないことだ。
「読心系の能力者は、正直とりあいだよ。利用されるのが嫌だったら、田舎に帰って昔みたいに細々生きるしかないかもね」
「そう思って荷物までまとめてたんだけど……」
「なにあんた、ああいうのが好みなの?」
「まさか。ただ、あの人の底なしの野心にアテられたみたい」
「あれは異常だよ。個人的には嫌いだけど、まあ、あんたがこっち側に来たいってんなら止めないよ。稼ぎも良いしね」
はっきりと主張するわりに、それを押し付けない彼女の大らかさが昔から好きだった。放出系の特徴だろうか。彼女の皿には先日私が食べたものと同じフルーツタルトが乗っている。化粧ポーチの中身を思いながら、貰った名刺を指ではじく。どんな色をつけていこうか。そんなことを迷うのは久しぶりだった。
閑
「私をいわゆる協専のハンターにすることで、何かの局面が変わったりするんですか?」
国際ホテルの一室は談話室とは違い物音の一つもしない。大きなガラス窓から刺す陽光が彼の髪をワントーン明るくしている。
「ずいぶん熱心に足場を固めているようですけど、近々協会内部に大きな動きでも?」
「おや、さっそくブレーン付けました? それはあんまり答えたくないなあ」
「私にだって考える頭くらいあります」
「失礼、そういう意味じゃないですよ。あなたはとことん受け身な人と思っていたので」
相変わらず、誠実さを裏っ返して塗りつぶしたようなあけすけな笑顔を浮かべながら、彼は楽しそうに言葉を転がした。ここまでいけば逆に裏表がないと言えるのではないかと感心するほどだ。人によっては心底腹がたつのだろうが、私は腹がたつ以前に彼の真意を汲み取れるほど頭の回転が速くないため、妙なところに気持ちが落ち着いてしまう。
「誘うなら、ストレートに言ってくれませんか。あいにく田舎育ちの世間知らずなもので、洒落た言い回しはピンとこないんです」
「これは本当に失礼。ロビーは得意でもナンパは慣れてなくて」
「ナンパなんですか?」
「あ、口説くという意味でね、他意はありませんよ。あなたが必要なんです。ボクの力になってくれませんか?」
打って変わってシェイクスピア劇のように情熱的なセリフを口にした彼を見て、ますます毒気が抜かれてしまう。ちやほやされた子供時代をかき消すよう、近頃は自分の力の浅ましさばかりを意識してきたけれど、この際だからとことんまで浅ましくなって世界の記憶を覗き見るのもいいかもしれない。
「好きに使ってください」
短く答え、ルームサービスのカップに口をつける。縁にうっすらと色がついた。
「やあ嬉しいなあ」と明るい表情で頷く彼を見て、その真意がすこしだけ気になった。何を成そうとしているかではなく、何を思って生きているか、だ。今まで見てきたエゴイストたちとは何かが違うのかもしれないと思い始めている。もちろん、悪い意味の方が多い。カップを置き「一度試してみますか?」と聞くと、彼は意味深に目を細めてからこちらに手のひらを差し出した。私はそこに自分の手を重ねる。
「私の記憶には残らないので安心してください」
「なんか、ドキドキしちゃいますね」
「そういう風に言う人、たまにいるけどだいたい嘘つきなんです」
軽口をいなし目を閉じる。意識を閉じて相手の中へ入り込む。嫌になるほどなまぬるいオーラだ。深く息を吐きながら、大変なところに足を踏み入れてしまったことをさっそく後悔していた。
「良い色ですねそれ」
落ちる直前、彼の言葉が耳に届く。唇を小さく噛みしめる。
ハリガネムシとカイコ
2016-6-27
Congratulation on his(Y.T) come-back.