emergency tokyo city
material from pakutaso | 19.07.06 tsujico


 夜の歓楽街は色が多い。ネオンの光やヘッドライトの連なりが、ちかちかと反射して路地裏を極彩色に照らし出している。
「飽きぬな。此度の任務、先が見えぬというから退屈なものになろうと踏んでいたが」
 すっかりそこらの若者のような格好をして、都心の夜に馴染んでいるのは遥か遠き皇国の王だ。
 人の姿をとったしなやかな体も、エキゾチックな長い髪も、カジュアルな衣服に収めてしまえば突飛なこの街によく似合う。彼よりよほど派手な格好をした男女が、赤い髪を揺らしながらすぐ横を通り過ぎていく。
 潜入二晩めにして有力な情報もない状況ながら、彼は満足げにそう言った。片手に携えたプラスチックのコップには、流行りの太いストローが突き刺さっている。
「混沌を絵に描いたような街並みも、安価ながら工夫を凝らしたこの甘味も、朕の世には無かったものだ。まあ、ひとえに朕が創らせなかったゆえだが」
「楽しいのは何よりですが、このままじゃ埒があきませんね。通信状態も相変わらず悪いし」
 人理が漂白されてしばらく、地球上の文明はなかったかのように白く塗り潰されたはずだが──以前と変わらないこの雑然とした風景は、果たして誰の夢の中か。
「ふむ、雀のお宿に、プロレス劇場、大奥の無限回廊とこれまでもさんざ、わけのわからぬ空間を右往左往したが……此度も一向に見当がつかぬ」
 私が見る限り、広がる街並みはある意味で平凡な舞台設定だ。おかしなファンタジー要素もなく、これといった面白改変もない。
 騒然とした繁華街にえもいわれぬ懐かしさを覚えながら、私は首を捻る。
「其方には見慣れた光景でも、朕にしてみればこれは珍妙な閉鎖空間と変わらぬものだ。噂には聞いていたが、人の世界とはこれほどまで混沌とした発展をできるものか」
 彼は興味深げに辺りを眺め回しながらも、どこか鬱陶しそうに目を細めていた。好奇心と嫌悪感の入り混じったその視線に、私の背筋は少し冷える。柔和な表情の中に時折のぞく無機質さは、機械化のなごりか。
「繋がりを求め、共感と共有を好むわりに彼奴らはみな孤独げだ。そこがまた、朕にとっては不可思議でもある」
 道行く人々が携えるスマートフォンの灯りを見つめながら、始皇帝もまた首を傾げている。
「娯楽を探し、美食を求め、利便を極める。いやはや、浪費の快楽ほど人を狂わせるものはないな」
 空になったカップを店先のゴミ箱へと捨て、私たちは足元に視線を落とした。入り切らずに溢れた容器はそこら中に散逸し、溶けた氷を体液のように地面へ広げている。
「否、物に囲まれ発達した情緒は、いずれ物だけでは満足しなくなる。最後に求めるのはやはり人か。親愛に友愛。そして──」
 そう言った彼の目線の先には、一組のカップルの姿があった。テカテカと光る長いネイルの指先が、男のパーカーを強く握りしめている。
「其方らはつがいを探すのであろう。己が心と体にぴたりと寄り添い、深く嵌る……ただ一人のつがいを」
 気付いてみれば、そこら中つがいだらけだ。意識しなければ別段なんともない光景だが、彼らそれぞれに固有の絆があると思えば街の熱気にも納得がいく。
「なんとまあ、恐ろしいまでの情の深さか」
 思い出すのは、麦を刈りとる民の笑顔だ。特定の相手どころか、特定の親すら持たないの国では、人同士の繋がりは凪いだ麦畑のように穏やかだった。
「その情に……耐えられようか」
 長い指先が頬に触れ、私はぼんやりと顔を上げる。不思議な色の彼の瞳に、街の光が差し込んで万華鏡のように煌めいている。足元には相変わらずゴミが溢れ、頭上にはラブホテルのネオンが光っていた。
 ここは一体どこなのだろう。漂白された世界に浮かぶ、いっときの夢なのだろうか。シャボン玉のように漂って、消えるだけの街であるなら、そんなものは何処にも──。
「通じ……ませんね」
「うん?」
「ダ・ヴィンチちゃんへの、通信」
 私はなんとかそう言って目を閉じた。ちらちらと瞬く何もかもから、一先ずのところ目を逸らしたかった。
「どこへ行きましょう」
「なに、宿泊施設は溢れていよう。ここは宿場町か?」
 たしかに一晩めは、いたしかたなく目についたホテルに泊まった。限られた資金で体力を温存するには避けられない選択だった。似たような外観のホテルを前にして、私は思い悩む。一日歩いて汗をかいたし、できれば今夜もシャワーを浴びてふかふかのベッドで眠りたい。
 現代の世をまだ詳しく理解していない始皇帝となら、大した気まずさもないだろう。何より彼はサーヴァントであり、曰く、雌雄を持たないのだ。
「ほう、連れ込み宿だったか」
 そう高を括っていたというのに、ゲートをくぐり部屋を選んだところでずばりと彼が言ったため、私は思わず硬直した。
「つ……連れ込んですみません」
「はっはっは! 許す。むしろなぜ昨夜のうちに言わん。そう思って見てみれば、どこもかしこも下世話な造りではないか」
 なぜか一段と上機嫌になった彼は、人目も憚らずそこかしこを散策し感嘆の声をもらしている。
「この機械は何か」
「か、勝手に触らないでください!」
「どうにもいかがわしい形である。興味が尽きんぞ」
「必要ありません!」
 なんとか部屋へ押し込んで一息つくものの、こうなってしまえば羞恥心は増すばかりだ。
「他意はないんです……とにかくもう、休みましょう。明日こそ事態が動くかもしれないし」
「朕とて他意はないが、まあそう禁欲に寄らずともよいと思うぞ」
「どういう意味ですか?」
「病的なまで、娯楽と快楽を追求するのが現代人とやらのさがなのであろう。この施設を見て確信をした」
 ラブホテルにこの世の真理を見られても困るが、確かに異界の王が呆れ返るのもわかる。ベッドサイドに並べられた色とりどりの小袋は、私ですら用途がわからない。
「いっそ其方も愉しんではどうか。いつ消えるとも知れない南柯の夢──なれば欲に溺れてもよかろうて」
「……か、からかわないでください。そんな欲、持っていないくせに」
「何を言うか」
 心外とばかりに、ずいとこちらへ迫った始皇帝は、いたずらをする子供の無邪気さで私の腰を掬い上げる。大きな枕が二つ、気付けば私の背後にあった。これはまさに欲に溺れる体勢である。
「今となってはこの完璧なる真人躯体に生殖の必要はないが……其方らとて、生殖のためにのみ交わるのではあるまい」
 清流のようにきよく碧い髪が、私の肩へと垂れ下がる。無邪気さと残虐さは表裏一体なのだと、彼の目を見るたびに思う。飄々とした態度でいつでも私の不敬を受け流すが、紛れもなく戦乱の混沌を統べた、秦国の皇帝であるのだ。
 彼は生前、子を成したのだったか。彼はいつまで肉体を持っていたのか。そんなことを考えながら、どこまで本気かわからないこの男に──そう、この目は明らかに男だ──私はゆっくりと首を振る。
「あなたは、一人で完結したのでしょう」
「それを否定したのは其方らだ。欲を求め、人と繋がることこそが生であると、申したのはどの口であったか」
「それは……そうです。でも全ての欲が受け入れられるわけではない」
「……ふむ、何が不満か? この体は既に完全だが、必要とあらばカスタマイズも可能である。其方に合わせ、極上の形に仕上げてもよいのだぞ?」
 言葉とは裏腹に、やはり面白半分であったのか、そうごちながら彼はあっけなく身を引いた。
 強張る私を見下ろして、少しだけ笑うと、するすると霊衣を変質させる。現代の衣服から見慣れたサーヴァントの装束へと戻った始皇帝から、生臭さのようなものはもはや一切感じられなかった。
 着物の袖はさやさやと涼しげに揺れ、私はほっと息を吐く。
「男であったことを、いつか思い出してみたいものだ」
「……もうだいぶ思い出しているようですが」
「この街の色に当てられてな。──さて、寝るとするか。明日も最先端のスイーツを食べ歩かねばならんし」
「特異点ですよ、一応」
 吹けば消えるこの街で、人類史のなごりに触れる。
 煩く、愚かで、ゴミに煌めく欲望の街をあと幾晩、彼と巡るのだろう。

2019 07 06 

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