nostalgia
§1.summer



「オイ、んだこれ」
「なにって、ヤクルトですよ」

 かいていた胡座を片膝だけ崩し、彼はぞんざいにそう聞いた。
 カミソリのような視線をうちわの風でいなして、私は見たままの言葉を返す。舌打ちが聞こえ、ため息が続いた。今夜の総督はあまり機嫌がよろしくないようだ。
 蒸した座敷の暖簾をあげるが、たいして空気は動かない。今日は夜風が死んでいる。窓の外にあいた真っ黒な闇は真空のようで、未だ宇宙を旅している気分になる。
 そういえば近頃、彼には悪いお友達ができたらしい。
 昔から悪友ばかりいた人ではあるけれど、今回の御人はどうやら宇宙を股にかける天下の大罪人であり本物の極悪人……つまりは似た者同士らしかった。星は違えど人騒がせな狂人というのはどこにでもいるらしい。まあ、幕府に抗い戦争を長引かせていたかつての同志だって、見方を変えれば立派な狂人で悪人なのだけれど。
「んなこと聞いてんじゃねェ。俺は冷酒持ってこいって言ったんだ。なんで乳酸飲料持ってくんだよ」
「いいじゃないですか、体にいいですよ。毎日お酒ばっか飲んでビタミン、ミネラル不足してるんだから、たまには胃腸整えてくださいよ」
「口の減らねえ女だな。言うこと聞かねえと素揚げにすんぞ」
 大人ぶって洒脱な態度ばかりとってはいるが、昔馴染みにはこうも口が悪いのが彼という男だ。むしむしと夜になっても気温が下がらないためか、今日はいつもより一層気が短い。
「ヤクルト好きなくせに」
「いつそんな主張したよ俺が」
「買ってくれたじゃないですか、昔」
「覚えてねえな」
 今日と同じように蒸した夏のある日、ひもじい思いに背を丸めていた私に、百戦錬磨の密売人のような笑顔でヤクルトを一つ寄越してくれた彼のことは、忘れたくても忘れられない。
「私田舎もんでしたし、甘い飲み物って言ったら甘酒かくず湯くらいしか知らなかったから、大層感激したんですよ」
「……おまえ貧乏娘だったもんなァ」
「高杉さんとこはお金持ちだし、あのころから外来品に通じてたかもしれませんけど、私は初めて飲んだあのお菓子みたいに甘あいヤクルトの味、忘れられないんです」
「大ゲサだな」
 彼はフンと鼻を鳴らし両脚を崩すと、そのまま畳にずるずると寝転がった。
 座布団を二つに折って枕にしているその姿は、笑えるくらい庶民的だ。自然とからげられた着流しの裾からは印象よりたくましい太腿が覗いている。冷たさを求めるように畳の上へ腕を伸ばし、彼はひとこと「ぬるい」と言った。
「夏は暑いものですよ。一年中真っ暗で四季もない宇宙なんかより、地球の暑さや寒さの方が私はずっと好きです」
「そうは言うがなあ」
「それに高杉さんには、夏がよく似合います」
「……そうかイ」
 夏生まれの彼には色気を帯びた初夏の夜や、儚さをはらむ夕方の蝉しぐれなどがよく似合う。夏の濃い空気はときおり時空を超越するため、彼の背負う過去や未来がそこできらきらと光ったりするのだ。それは本人からしたら些かしんどいことなのかもしれない。
「歳おうごとに、夏ってなァしんどくなるな」
「おじいちゃんみたいなこと言わないでくださいな」
 故郷とする場所や想いが増えるたびに、郷愁が増していくつらさはわからなくもない。それをすべて亡きモノにしようとしているなら尚更だ。
「酒もねえのにノスタルジックになっていけねェよ」
「それくらいしらふで耐えることに慣れてください」
「ほんとに口が減らねえなあ」
「減らしてみますか?」
「……よしとく」
 どうやら今日は本当にお疲れのようだ。
 ごろりと寝返りを打ち窓の方を向いた総督サマに、数歩あゆみ寄り膝をついた。うちわでぱたぱたと仰いでやれば、汗ばんだ襟足が次第に乾き、呼吸も穏やかになっていく。夜風はまだ動きをみせない。
 眠るなら布団で、と促すタイミングを逃し、たまには二人して単衣のまま雑魚寝をするのもいいだろうと考えた。
 彼の代わりにヤクルトが汗をかいている。

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§2.autumn




 終えるときは死ぬときと思っていた。
 そう強いてきたわけじゃないが、部下や仲間らだってそんな心づもりでここまできたのだと思う。実際に死んでいった者は数知れない。地獄の釜のふちに立ち、刃一つと口八丁で切り抜けてきた。
「のうのうと生き残っちまったな」
「そんなふうに思う人はいません」
「どうだか」
「あなただって、本当はそんなこと思っていないくせに。気力に満ち溢れたお顔をしていますよ」
 生意気な部下の言葉をすぐさま否定してやりたかったが、俺はどこかよそを向いて鼻を鳴らすしかなかった。
 ながらく陽の下をさけた左の頬が、秋風にさらされひりひりと痛む。感じる違和感は、俺が拒んできた世界そのものだ。明るく、ひんやりとして、どこまでもみずみずしい。これから知り、慣れていくのだろうか。新しくできた傷はまだかさぶたにすらなっていない。
「ようやく、生きてく覚悟ができたのかもなァ」
 死ぬ覚悟はいつだってしていた。けれど生きていく覚悟など持ちたくもなく、だからこそ世界と心中を決め込むつもりでいたのだ。思えば奴のことが気に食わなかったのも、あっさりと(少なくとも俺にはそう見えた)共存を受け入れた奴の器を測りかねたからかもしれない。
 今になって、理解できたのかと聞かれれば否だ。奴のことはどうしたってわからないし、わかりたくもない。向こうだって同じだろう。わかることと許すことは同義ではないのだ。そしてしゃらくさいことに、あのわけのわからないクセ毛野郎のことを俺はもう許してしまっている。
「おめーは昔から銀時が好きだったな」
「好きですよ。お兄さんみたいなものです」
「あんな兄貴が欲しいのか?」
「意外と甘やかすの上手いんですよ、坂田さん」
 俺の前ではクソガキみたいに悪態ばかりついていたが、あいつは確かに下の者の面倒見がよかった。女だけじゃなく、むしろ男の多くが奴の緊張感のない間抜け面を頼もしく思っていたし、それが戦場で豹変することに、敬服していた。戦争後期、別働隊を結成した俺たちからしたって奴の存在は悔しいが大きかったのだ。
「その兄貴は、今じゃあのボロ街を率いる大将みたいだぜ」
「かぶき町ですか? あそこにはたぶん、大将なんていないんじゃないかな」
 少しだけ俯いた彼女の首に、硝煙にまみれ茶色く痛んだ髪が垂れている。
 切り落としてやりたいが、きっと拒否されるだろう。昔一度、かむろのような頭にされたことを根にもっているのだ。
「有象無象の巣窟です。鬼兵隊みたいな規律や統率はなく、崇高な理念も目指すべき未来もない」
「……」
「でもきっと、息がしやすいんでしょう。雑多な街の片隅で、相変わらず両足を踏みしめて生きているんだと思います。彼らしいじゃありませんか」
 彼女はそう言って、甲板のむこう側を見た。船のへさきはぼろぼろのターミナルへと向いている。先の動乱から唯一無傷で生き残った宇宙船だ。しかしもうエンジンにガタがきている。今じゃ単なる宿代わりだ。ほんのりと遠い目をする女に、俺は一言「お前は本当に」と言いかけ、止めた。
「あいつが両足踏んばってるところなんて、クソするときしか見たことねえな」
「総督、風流人ぶってるわりに口が汚いですよね」
「うるせェ」
 古くからの付き合いであるこの女は、たいしたタマでもないのにこうして生き残り俺の横で笑っている。いつ死んでいたっておかしくなかった。それでもいいと思っていた。
「しぶとく生き残ったんだ、余生だって捧げてもらうぜ」
「そのつもりです」
 こいつは本当は、銀時を兄だなんて思っていないのだ。それなのにこうして俺のもとへ着いてきている。死ぬほどこき使われ、運だけで生き残り、余生すら後始末に捧げると、そう言っているのだ。正気でない。
「こっち来い。髪切ってやる」
「いやですよ。またおかっぱにする気でしょう」
「似合うぞアレ」
 ならば俺が兄のようにいてやろう。代わりとなるのは少し、癪だが。

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§3.winter




 私が坂田さんを兄のようだと言うたび、彼はうっすらと哀れむような目をした。
「土が凍ってます。こうなるとお野菜はもうだめですね」
「雪がふりゃあ、まだいいんだがな」
 寒気にさらされた茶色い土は、固く霜をはって生き物の侵入を拒んでいる。長い戦いの末、宇宙から地球に降りてきた私たちはこの星の不自由さを思い出し、なんとも複雑な気持ちになっていた。都合の良い休憩所としていたときには忘れていた、暮らしの中での不自由さだ。無重力の宙と違い、地上ではすべてのものが土に足をへばり付け、自分の重みを担っている。
「雪は降りそうにありませんねえ。京にいたころはよく見られましたが」
「江戸は乾いてやがるな」
 菜園の草葉はからからに痩せている。重なり合うように倒れ伏す色の失せた植物は、私にあるものを連想させ気を重くした。総督も同じに思ったのか、ぱしりと障子を閉め、羽織の中に手を入れている。
「冷えるな」
「本館に戻ります? こっちは空調設備が引かれてないから、この火鉢が頼りですよ」
「いや、向こうはうるさくていけねえよ。あいつら戦がないからって体力持て余してやがる」
 鬼兵隊の住処は今もこうして健在だけれど、目的を終えた組織に以前のようなルールはなく、皆好きなように自分の生活を続けていた。出て行った者もいる。地球に戻らなかった者も多い。一緒にい続けるにはあまりに多くのものを失ってしまった。けれど拠点が残ることは、私たちにとって想像以上に大切なことなのだ。
「おめーはどうする」
 高杉さんは不意にそう言い、こちらを見た。
「捧げろたあ言ったが、従う必要はないぜ。俺はもう総督じゃない」
「今さらそんなことを言うんですか」
「行きてえ場所があるんだろ。俺だっていつまでも一所にはいない」
「私は……」
 彼が言わんとしていることを感じとり、私は何も言えなくなってしまう。彼は誤解をしているのだ。憧れと恋慕は違うもので、私はとうの昔に後者を選択しているというのに。
「江戸には長居しません。私も」
「いいのか」
「高杉さん、人は遠くにあるものに憧れるものです。近くに寄ったら終わってしまうから」
「……」
「坂田さんのことが好きでした。でも私は、あなたの傍にいると決めたんです」
 火箸で炭をつきながら、私は一世一代の告白をしている。冷え込んだ真冬の朝、こんなにも頬をほてらせているのはきっと江戸中を探しても私だけに違いないが、どうか炭火の赤が映っているだけと思ってほしい。
「わかりますか? 憧れは綺麗なもの。けれど恋は違います。近くにいればいるほど汚く見えて、どうしようもなく滑稽で、笑っちゃうくらい甘いものなんです」
 顔をあげて彼を見る。高杉さんは私の隣に腰を落ちつけて、もぞもぞと懐手を解くと、炭の火を煙管へ移した。
「あなたがくれた甘いヤクルトと一緒」
「……引っ張るな、それ。いい加減忘れろ」
 大きく煙を吐く彼の頬も、火種と一緒に小さく紅潮しているように見える。
「さっきからちっとも褒められてる気がしねェが……まあ、そう思うならお前さんの好きにしろ」
「好きにしますよ。好きにしか、できないじゃないですか私たち」
「たしかにな」
 火鉢の前で背を丸める高杉さんは、随分と機嫌がいいようだ。いい日も悪い日も、綺麗なときも汚いときも、この不自由な星の上で、彼と。
 それが私の望む今であり、未来だ。
 まだ見ぬ春が土の下で息づいている。

2018.09.17 
ありがとう銀魂。
私たちの青春でした。

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