「オイ、んだこれ」 「なにって、ヤクルトですよ」 かいていた胡座を片膝だけ崩し、彼はぞんざいにそう聞いた。 カミソリのような視線をうちわの風でいなして、私は見たままの言葉を返す。舌打ちが聞こえ、ため息が続いた。今夜の総督はあまり機嫌がよろしくないようだ。 蒸した座敷の暖簾をあげるが、たいして空気は動かない。今日は夜風が死んでいる。窓の外にあいた真っ黒な闇は真空のようで、未だ宇宙を旅している気分になる。 そういえば近頃、彼には悪いお友達ができたらしい。 昔から悪友ばかりいた人ではあるけれど、今回の御人はどうやら宇宙を股にかける天下の大罪人であり本物の極悪人……つまりは似た者同士らしかった。星は違えど人騒がせな狂人というのはどこにでもいるらしい。まあ、幕府に抗い戦争を長引かせていたかつての同志だって、見方を変えれば立派な狂人で悪人なのだけれど。 「んなこと聞いてんじゃねェ。俺は冷酒持ってこいって言ったんだ。なんで乳酸飲料持ってくんだよ」 「いいじゃないですか、体にいいですよ。毎日お酒ばっか飲んでビタミン、ミネラル不足してるんだから、たまには胃腸整えてくださいよ」 「口の減らねえ女だな。言うこと聞かねえと素揚げにすんぞ」 大人ぶって洒脱な態度ばかりとってはいるが、昔馴染みにはこうも口が悪いのが彼という男だ。むしむしと夜になっても気温が下がらないためか、今日はいつもより一層気が短い。 「ヤクルト好きなくせに」 「いつそんな主張したよ俺が」 「買ってくれたじゃないですか、昔」 「覚えてねえな」 今日と同じように蒸した夏のある日、ひもじい思いに背を丸めていた私に、百戦錬磨の密売人のような笑顔でヤクルトを一つ寄越してくれた彼のことは、忘れたくても忘れられない。 「私田舎もんでしたし、甘い飲み物って言ったら甘酒かくず湯くらいしか知らなかったから、大層感激したんですよ」 「……おまえ貧乏娘だったもんなァ」 「高杉さんとこはお金持ちだし、あのころから外来品に通じてたかもしれませんけど、私は初めて飲んだあのお菓子みたいに甘あいヤクルトの味、忘れられないんです」 「大ゲサだな」 彼はフンと鼻を鳴らし両脚を崩すと、そのまま畳にずるずると寝転がった。 座布団を二つに折って枕にしているその姿は、笑えるくらい庶民的だ。自然とからげられた着流しの裾からは印象よりたくましい太腿が覗いている。冷たさを求めるように畳の上へ腕を伸ばし、彼はひとこと「ぬるい」と言った。 「夏は暑いものですよ。一年中真っ暗で四季もない宇宙なんかより、地球の暑さや寒さの方が私はずっと好きです」 「そうは言うがなあ」 「それに高杉さんには、夏がよく似合います」 「……そうかイ」 夏生まれの彼には色気を帯びた初夏の夜や、儚さをはらむ夕方の蝉しぐれなどがよく似合う。夏の濃い空気はときおり時空を超越するため、彼の背負う過去や未来がそこできらきらと光ったりするのだ。それは本人からしたら些かしんどいことなのかもしれない。 「歳おうごとに、夏ってなァしんどくなるな」 「おじいちゃんみたいなこと言わないでくださいな」 故郷とする場所や想いが増えるたびに、郷愁が増していくつらさはわからなくもない。それをすべて亡きモノにしようとしているなら尚更だ。 「酒もねえのにノスタルジックになっていけねェよ」 「それくらいしらふで耐えることに慣れてください」 「ほんとに口が減らねえなあ」 「減らしてみますか?」 「……よしとく」 どうやら今日は本当にお疲れのようだ。 ごろりと寝返りを打ち窓の方を向いた総督サマに、数歩あゆみ寄り膝をついた。うちわでぱたぱたと仰いでやれば、汗ばんだ襟足が次第に乾き、呼吸も穏やかになっていく。夜風はまだ動きをみせない。 眠るなら布団で、と促すタイミングを逃し、たまには二人して単衣のまま雑魚寝をするのもいいだろうと考えた。 彼の代わりにヤクルトが汗をかいている。 |
nostalgia |
nostalgia |
2018.09.17 |