Invidia
『嫉妬』 折原臨也|drrr
妬み嫉みの類とは、無縁の男なのだと思っていた。
「容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群……これ以上いったい何を羨むっていうんですか」
ため息をつきながら尋ねれば、彼は片眉を上げ私を見る。
「それは生まれながらに持ってるものだろ。ちょっと遺伝子の配列が良かったってだけで、べつに俺の手柄じゃない」
「世界中の人間を敵に回すようなこと言いますね……」
「武器にはなるけど、それだけさ。俺が欲しいのはもっとなんていうのかな、代えの効かない宝物みたいなものだよ」
「あの綺麗な首みたいな?」
「あれもそうだけど、できれば人間由来がいいなあ」
「本当に注文が多いですね」
「でも許されるだろ? 容姿端麗で、頭脳明晰なんだから」
そんなことをさらりと言って、彼はパソコンのキーをたたく。一見すればナルシストだが、彼が自分に満足していないことは先の発言からも伺えた。きっと自分自身に対する皮肉なのだ。
それにしても──代えの効かない宝物とは、なんてロマンチックな響きだろうか。とは言っても、彼の指しているものはきっと色とりどりのモノや思い出なんかじゃなく。
「誰かの個人情報とか、ですか」
「勘がいいね。そう、情報くらい代えの効かないものはない。つまり俺が欲しいのはこの街に生きる人間そのものさ」
「この街の人間……たしかに平和島くんや新羅くんなんて人は、世界中のどこを探しても代えが効かない感じしますね」
その言葉が地雷だったことは彼の表情を見ていればわかった。涼しげな眉が不機嫌そうに寄る。まるで拗ね散らかした子どもだ。
「臨也さんも、そうだけど」
「急にご機嫌取らなくてもいいよ」
「そういうつもりじゃ……というか、人間誰しも代えは効かないでしょう。私だって」
「君? 君かあ。君じゃちょっと弱いかな」
せっかくフォローしているというのにこの言い様だ。腹が立ったので手が滑ったふりをしてキーボードにお茶をぶちまけてやろうかと画策していると、不穏な挙動を感じ取ったのか彼は素早く私の腕を掴んだ。
「嘘だって。かげがえのない存在だよ」
なんて白々しいんだろう。けれどそれ以上に哀れだ。妬み嫉みを原動力に街を這いずり回るこの男のそばに、もう少しだけいてあげようと思う。
Superbia
『傲慢』 高杉晋助|Ag
自分の思い通りにならないことがあると怒る。普通の人の考える傲慢はそうだ。しかし彼のもつ傲慢さはもう一段上である。
「黒だろ」
「黒は嫌ですってば」
「嫌とかじゃねえ。黒なんだよ」
「白が、」
「黒で頼む」
私の声を遮って、彼は呉服屋の旦那にそう言った。旦那さんは私の方をちらりと覗き見てから、再度遠慮がちに問う。
「黒で、よろしいですかな」
「ああ。問題ねえ」
私の意見は問題のうちにも入らないらしい。「黒は極妻みたいになるから嫌だ」と言っているというのに彼は聞く耳をもたない。迷いなく言い切られてしまえばそれ以上口を出すことはできなかった。そもそも立場が違いすぎるため、私の言葉が彼に影響を及ぼすことのほうが稀だ。こうして一隊員である私の買い物に付き合ってくれていること自体、奇跡的なのかもしれない。
「私のお金なんだから好きに使わせてくださいよ」
「だから出してやるって言ってんだろ」
「それは嫌です」
「イヤイヤって、わがままな女だな」
「わがままじゃなきゃ鬼兵隊なんて入ってませんよ」
思わずよくわからない理屈を展開すると、怒るかと思った高杉さんは「違いねエ」と言って笑った。所詮はわがままで傲慢な連中の集まりだ。だからこそ国を相手に喧嘩なんてしている。その総督となれば、そりゃもう突き詰めているものだ。思い通りにならないのなら、思った通りにするまでと。
「私服でふつう黒着ます? 引かれないかなあ」
「オメーはぶちぶちとしつけえな。俺が似合うと思ってんだからいいだろうが。他になんかあんのか」
当然といった顔で言い捨てられ、二の句がつげなくなった。隠れていない方の目が呆れたようにきゅうと細められている。なぜ私の方が呆れられているのかはわからないが、もうなんでも良くなってしまう。総督の選んだ着物を総督が褒めてくれるのなら、きっとそれ以上のことはないのだろう。こうして私も少しずつ、世界からかけ離れていくのだ。
「かんざし買ってやる。選べ」
黒に似合う色がいいだろう。いとも簡単に染まっていくことに、今さら躊躇はない。
Acedia
『怠惰』 中禅寺秋彦|kgk
「怠けることは罪ですか……」
「罪じゃなければ何をしてもいいという心構えで生きるのはどうかな」
「……」
「何よりまずは頭を上げたまえ。よりにもよってそれは柳田先生の本じゃあないか。罰当たりなやつだ」
本を枕にして畳の上にだれていた私は、厳しい家主の言葉にうながされ背を起こした。古い印刷物に頬を寄せて匂いを嗅いだりするのが好きなのだけれど、彼にとっては本への冒涜と映るらしい。
私は紙に並んだ文字や言葉や文節より、匂いだとか色だとか感触だとか、そんなものにたまらない魅力を感じる。そう主張しようとして、止めた。とにもかくにもいろいろなことが億劫だった。
「中禅寺さんだって、日がなこの座敷に閉じこもって本ばかり読んでいるじゃないですか」
「心外だね、僕は別に怠けてなどいない。神主の家業に加え古本屋を経営する傍らで拝み屋などもしているのだから、むしろ働き者と言える」
整然とそう言った中禅寺さんの、言葉の内容よりもやはり私は声や姿や形が好きだ。内容理解を諦めてぼんやりとした感覚のみで受容していると、とうとう呆れたようにため息をつかれる。
「ちょうどいい。そう腑抜けきるほど暇なら、廊下に積んである古紙を裏の納屋まで持って行ってくれないか」
何がどうちょうどいいのか、彼は細腕の女子に向かってそんなことを頼み、素知らぬ顔で茶を啜った。
「お邪魔している身だしそれくらいはお手伝いしますけど、あのたてつけの悪い納屋の戸は男手がないと……」
「ああ、もうすぐ関口くんが来るからそれに頼むといい」
「人使いが荒いですね」
「僕は十四の時に力仕事をしないと誓ったんだ。君も怠けるのならこれというポリシーを持ちたまえ」
「やっぱり怠けてるんじゃありませんか 」
「ふん」
基本的にフェミニストの彼だけれど、実妹及びそれに類するものへはこのさまだ。けれど確かに、いつまでも火照った手足を持て余していても仕方がない。怠惰にまみれ放棄していた女子としての自分を、再び稼働することとしよう。
Luxuria
『色欲』 アーサー・カークランド|APH
べつに四六時中セックスのことを考えているわけじゃない。
ただ、人より興味関心は強いと思う。それを取り繕おうとするからむっつりだの変態だの言われるのかもしれない。東の島国と比べれば俺のむっつりなんて可愛いもんだと思うが、たしかに自動車部品にまで劣情をもよおす近頃の自分はやばいと思う。
「意味がわからない」
「いやだって、なんかいやらしくないか」
「どこも全然」
「シリンダーとかさ……ダメだろ」
ダメなのはお前の頭だ。とでも言いたげな視線を向けられ、少しへこむ。
「人の手で精巧に作られた物ってのは、それだけでいやらしさを孕むんだよ」
「……曲線とか?」
「そう。女の体と一緒だ」
「……」
「神様ってのは、よくこんな綺麗なものを作ったよな」
*
彼が私の肩口を見つめながらそんなことを言ったものだから、照れればいいのか笑えばいいのかわからなくなって、唇がむずむずとした。
「ど、どうしたの今日。フランシスでも乗り移ってる?」
「ヤメロ、俺の素直な感動を馬鹿にするのは!」
「なんか今日、かわいいね」
「お前みたいな小娘に言われちゃおしまいだな」
不服そうに眉をしかめ、アーサーはわずかに耳を赤くする。わりかしすぐに血色を良くする、彼の白い肌が好きだ。日に焼けるとそばかすの浮く鼻先も、たくましい眉も、顎からつづく喉仏のラインも、全部が私の性へと訴えてくる。
「男の人の形だって大概だよ」
「……お前ってたまに大胆だよな。好きなのか? 俺の形」
「やらしい意味じゃなくてね。……いや、どっちにしろ同じか」
「好きだぜ、やらしい女は」
急に照れくさくなり、私は両手の指先を小指から順番にぽつぽつと合わせた。彼の唇が浅い角度に歪むのを見て、反論する気が失せていく。口を少しだけ開けて彼を見た。私だって、いやらしい男が好きだ。
Ira
『憤怒』 セブルス・スネイプ|hp
「もしかして怒ってますか?」
私のその問いが決め手となったのか、教授は眉間のしわを深くしてこちらを見た。少しだけ傾けた首の角度がもう不穏だ。
「何故そんなことを聞く?」
「あの、ちょっと不安になって。けど、そう聞かれると怒ってなくても怒りたくなりますよね……」
「逆だ。何故私が怒っていないと思える?」
「ええっ」
挙動不審な私に対して怒っているのかと思いきや、やはり初めから怒っていたらしい彼は預言者新聞をガサガサと閉じながらため息をつく。紙面ではヴァルチャーズの選手たちが慌てたように旋回していた。なぜ怒っているのだろう。クィディッチワールドカップの試合結果のせい、ではないだろう。彼がこだわるのはホグワーツ内、それも自寮と敵対寮の勝敗というごく限られたマッチだけだ。
私の今日の行いが悪かったのだろうか。クラスメイトにサプライズのバースデーパーティを開いてもらい、浮かれきった私は色とりどりのモールを首から下げていた。メンバーの大半がお祭り好きのグリフィン生だったため、自然と彩りはオレンジが基調だ。それとも、こんな遅い時間に教授の部屋を訪ねたせいか。それとも、それとも──。
「もしかして……薬品庫のエラコンブのことですか?」
「エラコンブ?」
「いえ、違いますね。なんでもないです」
私は素知らぬ顔でひざ掛けをたたみ直し立ち上がった。そのままなんともないフリをしながら新聞入れを整える。うまく流せただろうか、とドキドキしながら振り返ると、視界が思いの外せまく、瞠目する。
「エラコンブが?」
教授は私の寿命を縮めることをなりわいとしているのだろうか。背が高く顔色の悪い薬学教授が至近距離から見下ろしていたら、後ろ暗いことがなくとも心臓に悪いというのに、思い当たる節の一つ二つ三つある私にしてみればこれはケルベロスの鼻先よりも辛い。
「わ、割りました」
「それで?」
「戻しました」
「ほう」
「けど、レパロしたらミスって隣の干しトカゲまで一緒の瓶に……」
教授の一見穏やかな相槌に耐えられなくなった私は、最後まで言い切ることができず下を向いた。干しトカゲどころか、明日には私もエラコンブと一緒に薬漬けにされているかもしれない。いや、教授はラベリングに厳しいからそれはないか。
「本当に申し訳なく思っております」
平身低頭しながら、私はもう余計なことは何一つ言うまいと心に決めた。口は災いの元、沈黙は金だ。
「謝罪はいい。今言うべきはそれじゃないだろう」
「え?」
顔を上げ彼を見ると、先ほどまでの仏頂面に少しばかりの変化が見られた。どうというわけではないけれど、言うなれば少し若返ったような。
「同級生と遊ぶのもいいが、こんな日くらい私にわがままを言ったらどうだ」
わがままを言って欲しくて怒るなんて、相変わらずこの人は難解すぎる。何を言わず、何を言うべきか。迷いながらも、私は一つの言葉を口にした。
Avaritia
『強欲』 クロロ・ルシルフル|H×H
あれが欲しいこれが欲しいと言う間もなく、彼はそれらを手中に収めている。
「手品師だったんですね」
「一応盗賊って言われてるけど」
私にしたってそうだ。好きともなんとも言っていないし言われてもいないのに、気づけば彼の胸の上だった。これはもはやイリュージョンの域である。
「どうやってここまで来たか覚えてません」
「それは酔ってたからじゃないか?」
「……お酒なんか飲みましたっけ」
「お前が珍しいジュースだと思って飲んでたアレは、東の国の酒だ。それにしたって弱いけどな」
「知ってたなら教えてくださいよ」
「馬鹿なふりしてるのかと思って。まさかほんとの馬鹿とは」
「クロロさんは言うべきことを言わず、言わない方がいいことを言う人ですね?」
「怒るなよ」
なにを聞いても、本気なのかからかっているのかわからないことを返す。彼はシャツのボタンをとめながら私の服を投げてよこした。意外とぞんざいな動きをする人だ。
「風邪ひくぞ」
「ありがと」
たしかにこの部屋は少し寒い。加えて、胸骨の隙間あたりになんだかすうすうと風が抜けるような心地がした。もちろん精神的な問題なのだけれど、思わず身震いが走る。なにか盗られた気がしてならない。私の心です、なんてお決まりのセリフを言うつもりはないが、彼は人の心にするりと手を入れて大事なものを抜き取るのだ。
「心が軽くなった気がする……」
「そんなに楽しかったか?」
「まちがえた、魂が」
「もどしてやろうか」
無感動にそう言うと、彼は私の鎖骨のあたりに手を当てた。指先のぬるさに悪寒はひどくなるばかりだ。
「いらない。持ってて」
うつ伏せに逃げた背中の向こうで、「捨てちまうぞ」と笑う声が聞こえる。
Gula
『暴食』 及川徹|hq!!
体が大きいのだからたくさん食べて然りだと思う。よく動くし、成長期だってまだ終わっていないだろう。厳しい練習の後は失ったカロリーを補給しなければいけないし、次の日に備えエネルギーを蓄えなければならない。
けれど、でも、しかし、それにしたって。
「食べ過ぎじゃない?」
「そ? こんなもんだよ」
二つ目の替え玉を口いっぱいにすすりながら、徹は言う。知る限り、彼はここへ来る直前に菓子パンを食べている。部室から出てきたとき口元に粉砂糖がついていたから間違いない。さらに言えば部活の前に売店で買ったシャケおにぎりを頬張っているのを見たし、もちろん昼には二段に加えおかずタッパーをもう一つ重ねた重箱のようなお弁当を食べている。二時間目と三時間目の間にお菓子の袋を開けているのもよく見るし(それもあんこ系のけっこう重いやつだ)、下手をすれば朝練の直後から早弁しているときだってある。
そうして迎えた部活帰り。
家に着くまでの間すら堪えられなかったのかふらふらと暖簾の向こうに引き寄せられていった徹は、ものの三、四口ほどで一杯目のラーメンを完食し店員さんに声をかけた。
「おばちゃん! 替え玉ちょーだい」
「よく食べるねぇ〜綺麗な顔してまあ」
すっかり常連なのか、店員さんたちは皆自分の息子を相手にするようニコニコと湯気の向こうから徹を見ている。そんなやりとりを二度ほど繰り返しての、今だ。
「もうやめときなよ。帰って晩ご飯食べられないよ」
「シャワー浴びてから走り行くから、夕飯はその後。ぜんぜんへーき」
残りわずかの麺を集めながら、徹はなんてことないように言う。これだけ食べて太らないのは筋肉が多いからだろうか。彼の体は常に燃えているのだ。だから触るといつでも温かいのだろう。
「お母さん大変だね」
「作りがいあるって。俺好き嫌いとかないし」
「けど、部活やめたらちょっと減らさないと太るよ」
「やっぱそうかな〜。気にしないで食べられるの十代までだってお父ちゃんも言ってた」
これからさらに体格が良くなっていくだろう徹だけれど、食欲はきっとここがピークだ。そうでなきゃ困る。誰が、とは言わないけれど。
「なので、お嫁さんはそんなに大変じゃないと思います」
彼は急にかしこまったふうにそう言って、箸を置いた。スープまで飲みきった満足げな顔がこちらを向いている。丸くて鋭くて大きな目の中に、キラリといたずらな色が光っていた。この男はいつだってハングリーだ。すでに持っているものに満足せず、常に新しいものに手を伸ばそうとする。
「がんばって見つけてね、お嫁さん」
「もうアテあるから平気」
「ふーん」
「遠回りとか好きじゃないから、進路決まったら速攻でいくつもり」
「いくって……」
「待ってて」
私の鼻先をビシリと指差して、最強の男子高校生は笑った。彼が自分をどう思っていようと、私にとって彼は最強だ。よく食べてよく笑い、たまに泣いては上を向く誰にも負けない男の子なのだ。