嗤う異物



 人生において、"運"や"間合い"といったものはときに実力以上に大切な要素である。様々な運命の交差するここカルデアにおいても例外ではなく──いうなればその者たちは、運が悪かったのだ。
「ひっ……私が言い始めたわけでは……」
 男の足は床から数センチ浮き、手は宙を掻くよう力なくわなないた。しかしそれも赤い目の一睨みでだらりと垂れ下がる。
「出どころなど聞いておらぬわ。そも貴様ら雑種に固有性など求めておらぬ。問われたことにのみ答えよ」
 金の甲冑から伸びた腕が、白衣の首元を縊っている。己より遥かに小さな生物を指先でつまみ上げるような圧倒的力量差に、周囲の人間も迂闊に動くことができない。少しのきっかけさえあれば、大した悪意もなく握りつぶされてしまう危うさがあるからだ。
 廊下の片隅で立ち話をしていた彼らに落ち度があるとすれば、そこが医務棟との境であったことだろう。サーヴァントであれば誰もが定期的なバイタルチェックを課される。マスターとのパス連結率や、魔力供給率、半受肉体の自己維持率や、種火による強化率。すべての推移を確認し数値化することはサーヴァントの多騎顕現において欠かせないことだった。
「何をもって騎士王を騙る? よもや本人の言ではあるまいな」
 それは英雄王ギルガメッシュにおても例外ではない。けれど、他者からの管理を嫌う王が渋々とシステムに沿い、虫の居所の悪いまま通りすがったちょうどその時──彼らの口から「カルデアの騎士王さま」といういささか軽率ともいえる呼び名がこぼされたのはやはり相当に間が悪く、運が悪かった。
「ほ、本人のことはわかりません……ただ確かなのは、今のカルデアで円卓の騎士たちを率いているのは、濃紺のローブを纏う少女剣士であるということ……」
「……」
「誰ともなく、カルデアの騎士王と、」
 彼が再びそう言ったところで、英雄王は掴んでいた首根っこをぞんざいに放り出した。結果そこで言葉は途切れ、受身も取れず尻餅をついた研究員の男は、恐怖と安堵の入り混じった表情でだらだらと汗を流した。
「くだらん」
 嫌悪と侮蔑、それに呆れを多分に含ませギルガメッシュは吐き棄てる。
「いまだ定命の身において、軽率にその名を騙るなどこの世界に対する冒涜よ。それはつまり我への冒涜でもある」
 彼の怒りから騎士王に対する気遣いなどは微塵も感じられない。垣間見えるのはただひたすら利己的な憤慨と、世界と己を同義とする傲慢さであった。
「その女はどこにいる」
 つまみ捨てた小虫を今にも踏み潰さんとばかりに見下した王に対し、答えを告げてしまった研究員たちを誰が責められようか。世界を救う霊基であっても、この男が災害のように理不尽で一方的な存在であることに変わりはないのだ。
 カルデアのギルガメッシュがわりかし物分かりのいい印象であるのは、目的に対し利害が一致していたことと、単純に己のマスターとその盾に対し個人的好感を抱いていたからに他ならない。そして彼の言う好感とは「条件」以上に「相性」なのだ。つまるところそれを感じない他の存在に甘い顔をする理由などありはしない。爪を隠した獣と思い油断をすれば、こうして鋭い爪先で弄ばれることとなる。
「不快だな。暇潰しなどと軽んじられぬほどには不快だ」
 自分が床へ転がした研究員などもう目にも入らぬという淡白さでそう言うと、ギルガメッシュは踵を返す。耳にした当人の拠点は医務棟を通過した先にある、修練場の地下だ。再召喚ののち大した有事も起きず暇を持て余していた王が、このタイミングでこのような感情を抱いたことはやはり運と間が悪いとしか言いようがない。
 誰にとってかと聞かれれば、それはもちろん名字名前にとってだ。


 廊下の向こうで戸が引かれた瞬間から──その異様なほど刺々しい気配が、円卓の騎士の内の誰でもないことに名前は気づいていた。
 真っ直ぐに伸びる廊下を通り、一歩一歩と近付いてくる足取りに迷いはなく、遠慮もなく、他者の領域を侵すことへのためらいというものをまるで感じさせない。重い金属の摩擦音は静謐な木造りの道場においてまさしく"異物"と言えるものであった。無遠慮に放たれる高密度の魔力と威圧感に、名前は座したまま動くことができない。
 夕方を回り、夜までのあいだ鍛錬をしようとこの場を訪れた名前は、珍しく人気のない道場で一人、座禅を組んでいた。正面の掛け軸に向かい正座をし、目を閉じ心を鎮める。思考することは大事だが、ときには思考を捨てることも必要であると教えてくれたのは父だ。考えること以上に難しい無我の域になどとても届かないけれど、何を思うでもなく心を内から外へ、またその境すらなくなるほど茫洋と、自我を薄めていくことは真面目な彼女にとっての自己防衛方法でもあった。
 そのように、緩むと同時に敏感に張り巡らされていく身体中の神経が、"異物"を捉えたのは掛け軸に膝を向けて一時間ほどが経った頃だ。
 背後から近づく気配にうなじの産毛がぞくりと総毛立つ。男が入り口の戸を引き、廊下を進み、道場の敷居を跨ぐまでの時間はほんの数秒であったはずだが、名前の神経が冴え渡っているせいか、その男の圧力が時空を歪めているのか、酷くゆっくりに感じた。
 とうとう杉張りの板間へと踏み入った男は、真っ直ぐ名前の背後へと歩み、止まる。
 床の間へ向け座する彼女の二歩後ろで、彼は一瞬何かを考える。組まれた腕の横に金の輪が浮かび、彼はそこから一振りの剣を抜いた。
 金色の腕に、金色の剣。構えられたその先端が彼女の頭部へと向き、結われた黒髪の先端へ、わずかに触れる。
 目を閉じたまま微動だにできなかった名前だが、その刺激を契機にようやく声を発する。
「靴を」
「……」
「靴を脱いでいただけませんか」
「なんだと?」
 問い返す男の声は大きくはなく、けれどしんとした道場の内側によく響いた。芯のある怜悧な声だ。全体に満ちた横柄さの中に、少しの驚きを含んでいる。
「土足は厳禁なのです。何卒、お願い致します」
 そこまで発したところで、名前は静かに振り返る。髪の先を弄んでいた切っ先が目の前に見え、膝に乗せた手のひらにじわりと汗が滲んだ。剣の刀身をつたうよう視線を上げ、その人物の顔を見る。名は知っている。成したことも、残したものも、当然知っていた。魔術師ならば当然のことだ。
「ギルガメッシュ王」
 続けて呼びかけると──彼は意外にも素直に霊衣を解き、ついでに剣もどこかへと返した。
 生前の装束なのか、身に纏うのは柔らかそうな一枚布とその上に重ねる高価そうな羽織のみだ。甲冑と違い足の防備も薄く、ただ素足に生成りの帯が巻かれているだけだった。
「ありがとうございます」
「貴様はいつもそのように鈍いのか」
 唐突に投げられた問いかけに、名前は驚いて姿勢を正す。
「あなたがあまりに鋭い気配を向けてくるので……動けませんでした」
「剣技を鍛える場において、その緊張感のなさ。致命的な鈍さよな」
「た、確かにそうですね」
 厳しい追及はまさに裁定といえるものだ。しかし彼女にも言い分はある。名前は剣を向けてきた王に対し、すぐさま防御の体勢を取らなかった自分の心を読み解いた。
「でもこの施設にいる以上、あなたは敵ではないでしょう」
 じっと見下ろすギルガメッシュへ向けて、彼女は確認の視線を向ける。
「どのような用向きで、今日はここに」
 尋ねても言葉を返さない王の反応に困り、名前は今更ながら立ち上がると部屋の奥を指差した。自分のサーヴァントたちにしたように、まずは郷に習ってもらおうとしたのだ。
「よろしければ道着をお貸しします。ここは私の故郷を模した修練所で……」
 そう説明をしながら名前が半身を引き戸へ向けた瞬間、彼の腕が大きく動く。名前は思わず飛び退いて、とっさに数歩距離をとった。避けなければ肩を掴まれていた。挨拶のそれでは決してない。危害を加えるための鋭い動作だ。
「ふん、反応はまずまずか」
「ギルガメッシュ王、あなたの意図がわかりません」
 じりじりと壁際へ追い詰めるようなギルガメッシュの威圧に、名前の焦りは増していく。剣をしまったかと思えば掴みかかり、確かめるような、愉しむような、さらには蔑むような凶暴な目を向けてくるこの男の意図が名前には読めなかった。自分とメソポタミアの王に関連するような事項が思い当たらず、自分のサーヴァントである円卓の騎士たちにまで因果を遡るも、やはりわからない。
 彼は何を求めてこの場所へ来たのか。一瞬の思考ではとても導けず、対抗手段を探すしかなかった。壁の木刀に目を向けてみるも距離が遠い。わずかに唇を釣り上げたギルガメッシュの手が名前の首に伸び、そのまま用具室の扉へと強く押さえつけたとき──。
 突如、道場内の空気が大きく揺らぐ。
「マスター!」
 我が身と直線で繋がったようなパスの強い流れを感じ、名前は止めていた息を吸う。馴染みのある魔力だ。けれどこんなにも感情的になっている彼の姿は初めて見た。その声色も、いつものたおやかな余裕を捨て去り、怒号のようにざらついている。
「その手を離せ英雄王。貴公に王としての矜持はないのか!」
 自らの武器を顕現させた太陽の騎士ガウェインに、当のギルガメッシュ王は眉ひとつ動かさず、けれど再び浮かべた複数の波紋から武器の先端をぎらりと覗かせた。互いに戦闘体勢が整ったことは明らかであったが、その火蓋が切られる一息手前、名前が諌めるよう声を上げた。
「大丈夫、ガウェイン。彼に敵意はありません」
「何を……」
「敵意があればとっくに縊っています。ギルガメッシュ王は何かを……」
 確かめようとしている。名前はそう直感し、自らのサーヴァントの目をじっと見る。ギルガメッシュの敵意の先はあくまで今現れたガウェインであり、自分ではない。そうであればガウェインにも剣を抜く理由はないはずだ。
 名前のこういった理屈はいつでも的を得ているようで、わずかに外している。マスターを護る騎士にとって、相対者の細かな目的など問題ではないのだ。己の主君に掴みかかる、その行動自体に彼は憤っている。
 マスターの目線を受け仕方なく剣を下ろしたガウェインは、彼女の前へと歩み寄る。
「ふん、なるほどな」
 同時に手を退いたギルガメッシュはその忠実さを嘲るよう目を細めた。そして視線を名前へと戻す。
「あの女が選定の剣を抜かず、一介の民として生を完うしていればあるいは貴様のような娘になっていた可能性もあろう」
「……」
「だがそれはつまり、対極ということ」
 王の発した言葉に、ガウェインは思いがけず目を見開いた。盟友から言及され、ここ数週間彼の中で燻っていた命題と、それはぴたりと重なるものであった。
「似ても似つかぬ。あの女の価値は、不幸になると告げられてなおその剣を抜き、自ら破滅へと突き進んだ愚直さにある」
「……貴公に我が王を語られる所以はない。そして、我がマスターを評される所以もまたない」
「忠実だな。だが本来、憤慨すべきは貴様らであろう」
「なんだと?」
「そやつは所詮、一時の契約者。それを人生を賭し尽くした騎士王と並べ立てられ、腹が立たぬのか?」
「周囲の評価など気にするまでもない。私にとって大事なことは、私が生前の身を騎士王に捧げたという事実」
「……」
「そして今この身は、マスター名前との契約のもとに在るという事実。それだけです」
「……見事なまでの忠犬気質よ。そこに矛盾が生じぬのであれば、確かにそれはどちらへの忠義をも証明する手立てにはなるが」
 理解はできないが納得はしたといった顔で、ギルガメッシュは息を吐く。一方の名前は、ことを荒立てず状況を見極めようとするあまり、己のサーヴァントに対し敬意を欠いていたことに気づき、ゆっくりとその肩へ触れた。
「ありがとうガウェイン。もう大丈夫」
 その言葉に、ガウェインがようやく剣を収めたのを確認し、彼女は壁際から一歩前へ出る。
「理由がわかってすっきりしました。ギルガメッシュ王」
 自分との接点と同じく、メソポタミアの王とブリテンの王とのあいだにある因縁もまた想像がつかないが、ひとまずのところ彼が自分のもとを訪れた理由はわかった。
「ご期待に添えず申し訳ありませんが、私は騎士王を名乗るつもりも、目指すつもりもありません。それは彼らもわかっています。そしてあなたもわかったでしょう」
「まして我が王は、この状況に腹を立てるほど狭量なお人ではない。そちらもご承知いただこう」
 騎士は矛盾などあらぬと言うし、マスターは模倣などせぬと言う。真っ直ぐな目で述べる二人の様を見て、ギルガメッシュは眉を寄せる。
「思い違いをするな。貴様らが、ましてや騎士王自身がどう思おうと関係はない。我が不快だと、そう言っている」
 あまりに利己的な言い分に、ガウェインの体勢がまた深く沈みそうになったところで、ギルガメッシュは呆気なく口調を変えた。
「だがよかろう。此度は退く」
 二人を尊重するためというより、唐突に飽きたという言い様だった。生真面目な騎士の神経を逆なでしたいのか、もしくは無自覚の傲慢さか、彼はすんなりと踵を返し去っていく。
「暇も潰せぬ戯言と思ったが、暇潰し程度にはなった」
 そう言い残し、彼が擬似空間から出て行くまでガウェインは名前の顔を見なかった。己がどのような顔をしているか、果たしてマスターに見せられる表情をしているのか、わからなかったからだ。名前はそんな彼の心を慮り、半歩後ろから声をかける。
「ガウェイン、ありがとう。助かった」
「なぜもっと早く私を呼ばないのです。あの男がここへ踏み入った時点で、強く令呪に呼びかけていれば……」
「ごめん。咄嗟のことに驚いたのもあるし……」
「なんです」
「酷いことはされないと思ったんだ。ギルガメッシュ王、霊衣を替えてくれたから」
「は?」
「土足厳禁と言ったら、裸足になってくれたの。この場所に対し敬意を払う人なら、話も通じるだろうと思って」
「あ……あの男は気まぐれです! まともに会話をしていたかと思えば、次の瞬間には相手の首を刎ねている、そういう粗暴な王なのです!」
「うん。私が甘かったね」
 振り返り、大きな身振りで訴えたガウェインに対し名前は困ったように笑いかける。それから大きく息を吸って、両手のひらを胸の前で握り合わせた。その指先が小さく震えていることに気づき、ガウェインは眉を下げる。
「怖かった。実はすごく」
 素直にそう告げた名前の肩に、ガウェインの大きな手のひらが伸び──けれど体を包み込むことはなく、彼はその手を彼女の手へと移動させた。あくまで主と騎士であり、男として彼女を慰める立場にないことを彼は充分に自覚しているのだ。
 名前はそうしたガウェインの内心など知るよしもなく、エスコートするよう、忠誠を誓うよう握りしめられた指の温度にほっと息をつく。
 道場の入り口まで駆けつけていた他の騎士たちがあえてそこで足を止めていたのは、何も二人の関係を勘ぐってのことではない。一人の暴君に対し、円卓の騎士の中でも底なしの胆力を誇るガウェインが出向いたのなら、それで充分であると思ったのだ。同胞を信用しマスターを任せることも、複数で敵対者を囲まないことも、彼らなりのプライドであった。
 道場から退去したギルガメッシュが出口で睨みをきかす彼らを見たとき、また大層な悪相を浮かべたことは言うまでもないが、目的を同じくするカルデアのサーヴァントたちであっても相性に良し悪しがあることは仕方がない。
 今後彼らの仲が好転するか悪転するかはわからないが、なんであれ絶妙な距離感のもと共同生活をしていくしかないのだ。それこそがこの場所の珍妙さであり、柔軟さでもある。笑えるほどの奇跡であり、笑えない矛盾でもあるのだ。
 そんな雑多な箱舟が、今日も雪山の奥深く、座礁したよう岩肌にへばりついている。絶壁の上からこの世の終わりを見下ろして、見届けて、また見据えていくのだ。亡国の騎士王が見たのならば、きっと見事と笑うことだろう。

二〇二〇 三月十五日
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