大樹に蝶



 穏やかな目がこちらを向く。その目に自分が映るとき、名前はいつでも少し悲しい気持ちになった。騎士と思えない痩身の体躯に、銀の隻腕。モードレッドを烈火の竜と例えるならば、彼はまるで水辺の大樹だ。長い月日をかけその場所から全てを見守った年輪が、心身に一輪一輪と刻まれているようだ。
 それなのに彼から諦観や焦燥といったものは一切感じられず、そのことがたまらなく名前を苛んだ。そして同時に、癒しもした。
「昼食は終えられたのですか?」
「はい。ベディヴィエールさんは?」
「私は、昼はあまり」
 長く軍隊に使えていただけあり規則正しい生活が性に合うのか、円卓の騎士たちはサーヴァントでありながら三度の食事を摂る者が多かったが、彼は違うようだ。
「そうですか。カルデアの食堂は甘味も充実しているので、良かったらあとでお茶をしましょう」
「ぜひ。様々な国の菓子が嗜めると聞き、密かに楽しみにしていたのです」
 二人は元来の波長が合うのか、穏やかな会話を交わしながらカルデアの長い廊下を歩いていく。
 彼が通常のサーヴァントといささか異なる成り立ちであることを、名前は知っていた。三人の円卓騎士を喚び戻した彼女が、近いうちベディヴィエールを再召喚する確率は充分に高かったため、前マスターである藤丸から伝えられたのだ。彼の霊基は人理焼却および第六特異点あってのものであること。そして、そこに至るまでに経た辛苦の道のり。
 知識としてしか知り得ない名前にとって、いざ彼と対面したときどのように接すればよいのかというのは迷うところであった。けれどこうして向き合えば杞憂であるとわかる。彼の悲哀は疑いようもなく彼の身に刻み込まれていたし、彼はそれを当たり前のものとして受け入れていた。
 こちらが気構えてどうにかなることではないのだという、その穏やかな諦めが寂しさとなって名前を包んだが、それを除けば彼との関係は良好であった。
「そういえば、モードレッド卿に地下の"道場"へ来るようにと言われたのですが、私が行ってもよいのでしょうか」
「もちろんです。自主鍛錬なので強要はしませんが、シミュレータ以外で体を動かしたいときにはぜひ」
 その質問により、午後のティータイムはさっそく道場稽古へと取って代わる。

 二人が地下を訪れると、すでにそこには一汗二汗かいた騎士たちの姿があった。道着の着付けにもすっかり慣れた三人が、紺色の袖で汗をぬぐいながら鍛錬に励む姿を見ていると、名前はなんとも不思議な心地になる。まるで故郷の町道場を見ているようだ。朝には父の内弟子が、昼を過ぎれば子供たちが、夜には学生や仕事終わりの社会人が訪れたその場所は、名前にとってかけがえのない交流の場でもあった。
 場所は違えど同じ造りの道場に、気付けば仲間が集っている。引き戸の前で胡座をかいて、胸元をくつろげるモードレッドに「だらしがない」と説教をするガウェインの姿を見て、名前は思わず笑い声を上げた。
「なんだよ、笑ってる暇があったらさっさと着替えてこい。今日もめためたにしてやるからよ」
「貴公はもう少し、騎士道というものを心得なさい。女性へ向けてめためたなど」
「そういうお前こそこの前、マスターのこと壁まで吹っ飛ばしてたじゃねえか」
「あれは少々力みすぎて……」
 やんやと言い合いを続ける異父兄弟を傍目に、ランスロットが歩み寄る。
「ではベディヴィエール卿、私が着付けを教えて差し上げましょう」
 己が受けられなかった恩恵を根に持っているのか、意地でも名前の手ほどきは受けさせないという気迫でそう言うと、彼は新品の道着を持って着替え部屋を指差した。
「はい。我が義手とその竹造りの模擬刀の相性を、確かめさせていただきます」
 伝説の魔術師より授けられた銀の義手にとってはいくらか役不足と思うが、ベディヴィエールはやはり静かに頷いた。名前はまた少し寂しい気持ちになり、それ以上に励まされる。
「よろしく。私も着替えてくるね」
 親しみが礼節を上回ったとき、彼女は自然と口調を変えるのだが、そのことに深い自覚はないようだ。そんな彼女の様子を慈しみ深く見つめるガウェインを、さらに床から見上げるのは異父弟の目であった。
 ガウェインにしても、その心の移り変わりに深い自覚はないのだ。モードレッドは一つため息をつき、"そういった感情" がいつしか再び自分たちを掻き乱すのではと懸念する。
 けれどそれは本当に一瞬のことだった。生き物としての血が通わない英霊が、今さらどんな恋をするというのか。考えるだに滑稽だし、そのような滑稽を貫くのならそれもまた良しと思ったのだ。モードレッドは己にも他人にも厳しい人間だったが、同時にそういった豪気さも持ち合わせていた。
「てめえも難儀だよな、兄貴」
「……なんですモードレッド、兄と呼ぶなど珍しい」
「いや、まあでもランスロットよりはマシだぜ。あいつに限って、懲りずに騒動巻き起こすことがありゃ、さすがのオレもぶった斬ると思うからな」
「だから何の話です。喧嘩を売っているのなら買いますが」
「上等だ。三本勝負な」
 よろしい、と構えるガウェインの涼しい顔と、溢れ出る闘気のギャップに失笑しながらモードレッドは板張りを踏む。
 名前とベディヴィエールが戻る頃には相打ちとなった二人がそれぞれ額と脛を抑えながら蹲っていたのだが、名前の姿を認めるなり何事もなかったかのように立ち上がるガウェインの根性はさすがと言えよう。一方のベディヴィエールは竹刀を握り、鉄とは異なる木や竹の柔軟性に感心していた。
 道場は活気に満ちている。幾千の時を超えて高く伸びた大樹が、一時、根を下ろすには悪くない場所だ。名前はそう思うことで己の中の寂寞をごまかした。彼を見ても、不思議と今は悲しくならない。例え自己満足だとしてもそれで良いのだ。ベディヴィエールもまた、名前の中の悲しみを己の心に写してしまう優しい人間であると知っているからだ。

二〇二〇 三月十五日
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