赤と模範
「三番目の召喚」と聞いたとき、彼──もとい彼女とも言えるその騎士は酷く嫌な顔をした。
「三という数字にいい思い出はねえんだがな」
正確には表情が見えたわけではない。けれど彼女の感情はごくストレートに周囲の人間へと伝播した。頭部まで覆われた甲冑を四方へいからせて、竜頭の騎士はぐるりと室内を見渡す。チッと打たれた舌打ちは荒々しいが、かといって悪意や敵意ともまた異なり、どちらかといえば隠しきれない人情味のようなものがうかがえた。
そんな彼女がマスターの前へ素顔を晒したのは、二度目のシミュレーション訓練の後だった。修練場から戻ったモードレッドは甲冑を解いたあとの軽装でどかりと彼女の横へ座り、ぞんざいに足を組む。
「マスターが変わっても、バイタルチェックの手順は同じだろ」
「は……はい。私個人の検診のあと、皆さんとのパス循環率を確かめることになります」
「だるいんだよな、アレ。まあ手前らみてえなひよっ子マスターには死活問題なんだろうけどよ」
医療棟の待合椅子に大きく背を投げ出して、モードレッドはそうこぼす。そうしているうちに何かを思い出したのか、彼女は眉をつり上げ鼻筋にしわを寄せた。
一方の名前は、さてどうしたものかと考える。こちらがかしこまるほど丁重な態度で歩み寄ってくる先の二名の騎士たちと、この人は明らかに違っている。蛮勇ぞろいの英霊の中ではこういった荒々しさも決して珍しくはないのだろうが、いざ我がサーヴァントとして交流を持つとなると身が硬くなった。
そんな名前の様子を見て、モードレッドはため息をつく。
「別に怒ってはいねえよ、お前にはな。だがまあ苛ついてはいるぜ」
「それは……何に対してですか?」
「全てにだよ。喚んだり還したり、テメーらの勝手で振り回しやがって。フジマルきっての頼みじゃなきゃバカらしくて還ってるところだ」
その口から出たフジマルという名前に、名前は思わず顔を上げる。彼女にとっては自分がこの場所にいることの発端であり意義そのものともいえる存在だ。彼のことを気に留めるたび、名前は自然と厳粛な気持ちになり、またそのことに少しの罪悪感を抱いた。そういった心の動きは、ひとえに彼の人間性に由来している。
すべての象徴として心のよすがにするには、彼はあまりに素朴だった。柔和で、温かく、愛嬌があり打ち解けやすい、朗らかなクラスメイトのような少年だ。名前の人生の中でも幾人か思い当たるようなごく良心的人間が、その良心だけを原動力に向き合ってきたものの大きさを考えれば、なんだかこちらの心まで押しつぶされそうになるのだ。共感とも同情とも違う。それは痛いほどの労いであり、敬いだった。
「……なんつう顔してんだよ」
「過去を生きた伝説や英雄に囲まれているのに……私には彼が一番遠い存在に思える」
「……」
「それが申し訳ないんです。その距離は、きっと彼を孤独にするから」
言いながら、名前は小さく首を振る。自分の発言に疑問を呈するようなその仕草は、彼女の生真面目さの表れといえた。モードレッドはその仕草を見てフンと鼻先を天井へ向ける。
「一人の人間が、国を、世界を背負うのは馬鹿らしいってか?」
「馬鹿らしくはないですよ。でもまともではないでしょう」
「違いねえ。酔狂にもほどがあるよな」
言い切ったかと思えば大きな口を開けて笑ったモードレッドに、名前は己の発言の違和感の正体を見出す。
「でも正確に言えば、彼は一人ではなかったのでしょうね」
その境遇を孤独と思うことは、マスター藤丸立香への侮辱であるのかもしれない。彼は決して一人ではなく、孤独でもなく、哀れでも惨めでもなかったのだ。そうすとんと胸に落ちた名前は、彼とともに剣を振るった赤き騎士の精悍な顔をじっと見つめた。それは真っ直ぐな羨望と尊敬に満ちた眼差しだった。
「……あまり夢見がちなこと言うもんじゃないぜ。鮮やかで眩い夢ほど、醒めたあとに残るのは虚しさだけだ。まあオレは、そんなしけた現実ならすべて吹っ飛ばすまでだけどな」
調子が狂ったのか、彼女はそう言って顔を背ける。医務室からかけられたマスターへの呼び声に「おら言ってこい」と背を押すと、自身は再びソファーの背もたれを軋ませた。
マスターへの感情をフラットに保ちたいという願望は、彼女なりの誠意の表れでもあった。なのでそれを阻む雑音に対し、モードレッドはだんだんと過敏にならざるをえない。
例えばそれが己の因縁と深く関係をしているとあらば、情緒が荒れるのも致し方ないことだろう。
* 管制塔のアラートが鳴るのはいつでも突然だ。それは世界の存亡を揺るがすほどの深刻な事態であったり、常人の理解が及ばない素っ頓狂な事件であったりするのだが、それゆえこうして平穏な日常が続いているあいだに出来る限りの準備と、鍛錬をこなしておく必要があるのだ。
各マスターに課せられた日課には、戦闘訓練を兼ねサーヴァントに必要な魔力リソースを回収する仕事や、魔術礼装を身につけ戦闘をすることで、その練度や相性を向上させる作業などがあった。どれも強制され行うものではないのだが、魔術師である以上鍛錬を怠れば己の命が危ぶまれるだけであると本能的にわかっているため、皆堅実に勤しんでいる。
そんな日課の中、マスターに新たな霊衣や礼装が配給されることは稀にあるのだが──その日のシミュレーション訓練後は、円卓の騎士たちの間にどこか神妙な空気が漂っていた。
努めて普段通り振る舞う名字名前へ、各々労いの言葉をかけた彼らであったが、マスターの姿が見えなくなった途端言いようのない沈黙が走る。その緊張感は、彼らを見て何事かを囁く研究員たちの声によってさらに後押しされた。見たところ不用意に反応をしているのは技術開発部の者たちではない。直接開発に携わった者でないだけに、新鮮な感嘆がもれるのだろう。
にわかに色めき立ったカルデア内に、モードレッドはわざと大きく舌を打った。単純に煩わしかったこともあるし、またそう感じる自分の未熟さに苛立ちもしたからだ。見れば自分以外の男どもは、思うところありながらも澄ました顔で平静を保っている。名前にしてもそうだった。彼女は"それ"を受け取ったときも、試行をしたときも、あえていつもより淡白にふるまっているようだった。
機能は良い。合理的だし、自分たちとの相性も悪くない。問題はあのデザインなのだと、モードレッドは思う。
「ふざけやがって」
個人的な鍛錬を続けていたかいあってか、名前の剣の腕を実戦可能の域と見なしたカルデア技術部が、彼女に持たせたのは一本の剣だった。自らの魔力により物質強化を補助・促進する優れもので、人の力であっても中型のエネミー程度なら対抗ができる。そこまではマスターをはじめ、騎士たちも皆感心をしていたのだが──剣を嗜むマスターへと誂えられた礼装服には、魔力保持用の外套が備えられていた。
礼装自体は道着袴を基にした和装風のものであるが、そこにあてがわれたローブともいえる外套は、明らかに西洋を思わせるデザインであった。胸元に跨ぐ革の紐に、濃紺のビロード。青の深さこそ異なるものの、羽織ればやはり女騎士の様相を得ることになる。
技術部の者らがそこにどのような思いを込めたのかはわからない。けれど剣とローブを着用した彼女の背後に、円卓の騎士が並ぶとなればそれは一つの意味を持たざるをえないのだ。
*「オレから言わせりゃ、全然似てねえよ」
「貴公はそう言うでしょうね。モードレッド」
大食堂から一つ角を曲がった談話室で、鍛錬の疲れを取りながら紅茶を嗜んでいた騎士らは、モードレッドの一言をきっかけに口を開いた。
「あ? じゃあお前は似てると思ってんのかよ、ガウェイン」
「まさか。けれど真っ直ぐな人間には共通点があります」
いきりたつ赤と対極に、深緑のマントを床へと垂らすガウェインは鷹揚にかまえている。
「共通点? 例えばなんだよ」
「そうですね、例えば人の目を見て話すですとか」
「……」
「よく食べ、食物を粗末にしない」
「……」
「それに清潔で規則正しい」
「修道院の規則かよ、しゃらくせえ……」
オレをからかっているのかと、義兄を睨みつけるモードレッドの目は竜のように爛々としている。いつでもそうだが、こと父の話題となればその熱量は一気に増すのだ。
「その程度で父上の再来とか言われたんじゃ、あいつも災難だよな」
「もちろん彼女と我が王は全く異なる存在です。彼女に王を見ることは、何より彼女にとっての不幸でしょう。あの在り方を求めてよい女性など現世には……いえ、いつの世にもいないのです」
そう言って、ガウェインは手元のカップへ視線を落とす。皆それぞれ生前の主君に対する思いは異なるようだが、一つ言えることは自分たちの生きた時代と、今の世情もまた全く異なるということだ。
「それに彼女は、伝説の剣を抜かないと、抜けないと言いました」
ガウェインはあの日道場で向かい合い、己の目を真っ直ぐに見た名前の顔を思い返す。
「けれど戦える強さがほしいと。それで充分ではないですか」
ことりとソーサーを鳴らした彼に、その意外なほどの落ち着きに、それまで黙っていたランスロットは頷いた。
「ガウェイン卿、あなたは結論として彼女に我が王を見ることを否定したいようですが……それではまるで」
「まるで?」
「我が王が、もし聖剣を抜かなければあのような女性に──と」
そこまで言って、ランスロットは言葉を止める。人の心をよく慮る彼であるが、それゆえに勘が鋭く、どうにも踏み込みすぎるきらいがあるのだ。自覚してなお黙しきれないのは、彼の詰めの甘さであり人の良さでもある。
「いえ失礼。無粋な発言でした」
「……」
大きく息を吸い、話題を変えようかと考えたランスロットであったが、珍しく考え込むように顎を引いたガウェインの横顔を見て口をつぐむ。そのまま黙ってカップを傾け、不完全燃焼のまま子供のような顔であぐらをかいているモードレッドとともに無言の時を過ごした。
生前も共闘をした三人であるが、年齢関係がだいぶ違っていた。こうして全員が全盛期の肉体年齢を得て集うことは、彼らにとって想像以上に新鮮なことなのだ。友人のように、兄弟のように、青年同士の心で語り合うことができたなら、我らの結末も違っていただろうか。
ランスロットはそう思い、またすぐに首を振った。こんなものは目がくらむほどの奇跡であり、一瞬の夢のようなものだ。それを与えてくれたマスターに感謝をするのは当然である。リツカも、名前も、そういうわけで彼にとってはやはり特別なのだ。
沈黙のまま、三人は神妙に丸い卓を囲む。食堂ではギリシャの英霊たちが何らかの奇声を上げ、カルデアの白い廊下に彩りを添えていた。いつの時代の英霊も、どこの国の蛮勇も、この白に包まれては抗いようもなく気が緩む。緩み方は、人それぞれ異なるようだが。
* モードレッドが地下の擬似空間を訪れたのは、その翌日のことだった。
基本として、彼女が相手を慮り行動を制限することは一日が限度なのだ。それでも彼女にしてはよく待った方だろう。平静を装うマスターに恥をかかせたくないという自粛であるし、制御できない感情で彼女との関係を台無しにしたくないという自制でもあった。
「木と建材と、使い込んだ木綿の匂いだ」
彼女は敷居を跨ぐなり大きく一つ息を吸い、感想を漏らす。名前の手渡した道着にくんと鼻先を寄せ、険のあった表情をわずかにほころばせた。
「これには覚えがあるぜ。ずいぶんと丁寧に管理してるみてえだが、怠ると臭えんだ。汗の染みた修練着なんてものは」
五感から、中でも嗅覚からその場の印象を判断するモードレッドの動物的反応に、名前は面食らいながらも少しだけ安心した。
「どこの国でも変わりませんね。努力に汗臭さは付き物です」
そう言って笑った名前の顔を、今度はモードレッドがじっと見る。その目ははじめ鋭く見開かれ、徐々に細まり、最後には呆れたように閉じられた。
「お前、極端に気遣いしいなのか、脳天気なのかどっちだよ」
「……え! ど、どっちでしょう。私としてはそれなりにいろんなことに気を遣っているつもりだし、でもきっとあなたの生きた時代の人間ほど、張り詰めた感性も持っていないので」
彼女の言ったことは半分正しい。名字名前はこの時代にしては真面目な人間であるが、生と死が隣り合わせである、人間にとって不条理な環境を余儀なくされていた中世ヨーロッパのそれと比べれば赤子のような無防備さだろう。
けれど半分はそうとも言えない。彼らは中世を生きた生身の人間の再現ではなく、聖杯から時代に即した価値観や感覚を知識として与えられた、特異な存在なのだ。
「わぁってるよそんなことは。相対的にモノを言うんじゃねえ。お前の心を聞いてんだ」
「私の心」
「嫌か、父上と比べられるのは」
順序立てて会話をしようと試みる名前に対し、モードレッドは性急だった。ストレートに、誤魔化しようもなく本題に切り込むと、壁際に置かれた竹刀に手をかけくるりと肩に乗せる。これは威嚇というわけでなく、単純な手癖だろう。
「嫌、とかそういうことでなく……」
「……」
「おこがましい、とも違うかな」
それらしい言葉を、一言返してしまえば終わる会話なのかもしれない。けれど慎重な彼女はそうはせず、自分の心、と言われたからにはその内側を探りだす。
「そもそも、模倣したり、なぞらえたりすべき存在ではないので」
「だから、いい子ちゃんの模範解答なんざ聞きたくねえよ! お前はどんな立場を望んでんだ? オレたちにとってのよ」
噛み合わないやりとりは互いが真っ向から命題へ向き合っている証拠でもある。苛立つモードレッドの言葉を受け、名前は一度息を吸った。五感に馴染んだ道場の匂いと、静けさと、道着の感触が彼女を包み、自らの心をすんなりと浮き上がらせる。
「誰も、誰かの代わりなんか求めていないでしょう。それは死者でも、生者であっても同じです」
英霊だとかサーヴァントだとか、騎士だとか王だとか、そんなことは関係がない。人と人との関係において当たり前のことだ。彼女はそう言ってモードレッドの碧眼を見た。親譲りの澄んだ目だ。名前は騎士王を目にしたことはないが、不思議とそう思う。
「私は私として貴方たちと関わっていきたい。だって多分、それしかできないから」
家臣であるガウェインやランスロットと、直接血を引いたモードレッドとではやはり心境が違うのだろう。名前には彼女の苛立ちの詳細は理解できないが、彼女との関係において大事なことは、過去の因縁に対する理解でなく、今向かい合う相手への理解なのだということはわかった。
「やっぱり模範解答じゃねえか……本当、お前はしゃらくせえよ」
「すみません」
「安心しろ、ちっとも似てねえから」
そう言いながらも、叛逆の騎士はどこか眩しそうに彼女を見た。
「……着替えてくるから待ってろ」
そうしてすぐに背を向けて、颯爽と着替え部屋へ歩んでいく。一人取り残された道場の真ん中で、名前は竹刀を握り直す。手垢にくもった質素な道具だ。けれど剣に違いはない。
手に取るものがなんであれ、振るえばそこに意味が生まれるのだ。例えば赤き円卓騎士による辛口の評価だとか、指導だとか、駄目出しだとか、罵声だとか、そのようなものが。
「へこたれてんじゃねえ! オレはあいつらみてえに甘やかさねえぞ!」
努力に見合った平等な汗を衣服に染みこませ、今日も剣士は剣を握る。束ねた竹がばしりと鳴り、未来を回す音となる。
二〇二〇 二月二十九日